JW487 新羅より愛を込めて
【垂仁天皇編】エピソード16 新羅より愛を込めて
第十一代天皇、垂仁天皇(すいにんてんのう)の御世。
紀元前27年、皇紀634年(垂仁天皇3)。
ここは、丹波国(たんば・のくに:現在の京都府北部)の比治(ひじ)の真名井(まない)。
丹波道主王(たにわのみちぬし・のきみ)(以下、ミッチー)の元に、ある家族が訪れていた。
すなわち、新羅(しらぎ)の王子、天日槍(あめのひぼこ)(以下、ヒボコ)の家族である。
詳しく言えば、妻の麻多烏(またお)(以下、マタリン)。
息子の但馬諸助(たじま・の・もろすく)(以下、諸助)。
孫の多遅摩日楢杵(たじま・の・ひならき)(以下、ラッキー)である。
ミッチーの妻、河上摩須郎女(かわかみのますのいらつめ)(以下、マス子)も同席する中、永住の理由について語らい合うのであった。
ヒボコ「ヤマトに、聖なる王がいると聞き及び、この地で暮らそうと思ったニダ。」
諸助「でも、本当は、昨年の赤絹(あかぎぬ)強奪事件が関わっているような気がするニダ。」
マタリン「エピソード477で、新羅の人が、任那(みまな)の赤絹を奪っていった事件のこと?」
諸助「はい。赤絹は、ヤマトが贈った品物ハセヨ。強奪事件を聞いて、ヤマトが怒ったのではないかと、ウリは、考えているニダ。そして、アボジ(父上)が、人質になったのではないかと・・・。」
ミッチー「いや、それは無かろう。人質なれば、永住することは無いはずじゃ。ほとぼりが冷めれば、国に帰ることも能(あた)うはず・・・。他に、理由(わけ)が有ったのではないか?」
ラッキー「我(われ)は、ヤマトと誼(よしみ)を結ぼうという人々と、抗(あらが)おうという人々に分かれ、外交方針を巡る争いをしていたと考えているニダ。そして、誼を結ぼうという人々は、争いに敗れ、おじいさまは亡命することになった・・・と思っているニダ。」
マタリン「怒った女神様というのも、ヤマトが怒ったことを指(さ)しとるのかも・・・。」
ミッチー「『ヒボコ』殿? まことのところは、どうなのじゃ?」
ヒボコ「全て、まるっと、作者の妄想ハセヨ! これぞ『ロマン』ニダ!」
こうして、作者の妄想は、ロマンの一言で片付けられたのであった。
それから、数か月の時が流れた。
そんなある日の纏向珠城宮(まきむくのたまき・のみや)で・・・。
垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)の元に、甥っ子の八綱田(やつなた)(以下、つなお)が参内(さんだい)していた。
つなお「大王(おおきみ)・・・。今年、東国にて、社が建てられもうした。その名も、倭文神社(しどりじんじゃ)にござりまする。鎮座地(ちんざち)は、群馬県伊勢崎市(いせざきし)の東上之宮町(ひがしかみのみやまち)にござりまする。」
イク「倭文神社? もしかして、祭神(さいじん)は、倭文神(しとりのかみ)?」
つなお「左様にござりまする。機織(はた・お)りの神、倭文神にござりまする。」
イク「天照大神(あまてらすおおみかみ)が、天岩戸(あまのいわと)に引きこもった時、誘い出すため、布を織った神様だよね? でも、どうして、その神様を祀(まつ)ることになったの?」
つなお「絹(きぬ)を織る、倭文部(しどりべ)という職人集団が移住したからと伝わっておりまする。ちなみに、絹のことを『しずおり』とも言いまして、そこから転訛(てんか)して『しどり』になったのだとか・・・。まあ、そういうわけで、社が建てられた次第にござりまする。」
イク「職人集団? そんな人たち、初めて聞いたんだけど・・・。」
つなお「これから、いろいろな職人集団が出て参りまするので、その第一号かもしれませぬな。」
イク「そういうモノなのかな? ところで、上之宮と聞いて、思い出したんだけど、同じ群馬県に、下之宮(しものみや)があったよね?」
つなお「さすがは、大王(おおきみ)!」
下之宮とは?
次回につづく