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対人関係に必要なことの全ては、ベンジャミン・フランクリン師匠が教えてくれた。

さて、ベンジャミン・フランクリン著の『フランクリン自伝』について書きたい。より良い人生を送るなら『フランクリン自伝』は避けては通れない一冊だ。

「夏は長袖より半袖の方が快適」なのと同じように、より良い人生を送りたいなら『フランクリン自伝』を読んだ人生の方が快適になりうる。

フランクリン自伝を読んだ側の人が、読んでいない人を見ると「夏なのに長袖を着て…半袖の快適さを知らないんだな」と思ってしまうほどの傑作だ。いや、言い過ぎだ。言い過ぎか?


過去、私が本を読み終わった後に「全人類がこれを読んだら平和なのに」と思った本が全部で3冊ある。それは、


1.司馬遼太郎著の『竜馬がゆく』

2.遠藤周作著の『愛情セミナー』

3.ベンジャミン・フランクリン著の『フランクリン自伝』

▶︎『竜馬がゆく』についてはコチラ


この3冊だ。『愛情セミナー』についてはいつか書きたい。恋愛に関する遠藤周作の名エッセイだ。今記事は『フランクリン自伝』をオススメするものなのだが、この本をどんな方に読んでほしいかといえば、

・人生を好転させたい

・コミュニケーションで悩んでいる

・対人スキルを高めたい

・他人の深い洞察から学びたい

・なんとなく暇を潰したい

こんな方々には間違いなく刺さる。
なんなら刺さりすぎて抜けないと思う。
高千穂の天の逆鉾のように。

この本を読み終わった後に「尊敬する人は誰?」と聞かれたら、間髪入れず「ベンジャミン・フランクリンですが?」と半にやけで言えるようになる。半にやけだ。


ちなみに今記事は後編にあたるので「ベンジャミン・フランクリン?誰ぞな?」という方は、前編をまずご覧になってから今記事を読まれることをオススメする。

▶︎【前編】ベンジャミン・フランクリン



それではいこう。
ベンジャミン・フランクリン著の『フランクリン自伝』を読んで、私が感銘を受けた箇所をご紹介する。選書の参考にされたし。



▶︎フランクリン自伝を読んでのメモ

メモは全部で16に絞った。
フランクリン自伝に学んだところを16箇所引用しながら紹介したい。

行くぞ!れっつらフランクリン!




[1]他人の自慢話を許容する

ーーたいていの人は、自分はどんなに自惚れ屋でも、他人の自惚れは嫌うものだが、しかし、私は他人の自惚れに出会うといつもなるべくこれを寛大な目で見るようにしている。

自惚れというものは、その当人にもまたその関係者にも、しばしば利益をもたらすと信ずるからである。

したがって、人生の他の様々な楽しみとともに、自惚れを与えてくださったことに対して神に感謝するとしても、多くの場合、必ずしも道理に合わぬことではあるまい。
自惚れを許容するという寛大な逆説だ。




[2]正直であれ

ーー役に立つと思った行いも、「正直に」したことでなければ、本当に役に立つものではない。
役に立つことも卑怯であれば意味がない。




[3]議論を避けよ

ーー議論は避けよ
私たちは言い合いをしてないか?





[4]断定口調で話すな

ーー異論が起こりそうに思えることを言い出す時には、「きっと」とか「間違いなく」とか、その他意見に断定的な調子を与える言葉は一切使わぬようにし、その代わりに、「私はこうこうではないかと思う」とか、「私にはこう思われる」とか、「これこれの理由でこう思う、ああ思う」とか、「たぶんそうでしょう」、「私が間違っていなければそうでしょう」とか言うようにしたが、この習慣は、自分が計画を立ててそれを推し進めていくにあたり、自分の考えを十分に人に呑み込ませてその賛成をうる必要があった場合に少なからず役に立ったように思う。

会話の主要な目的は、教えたり教えられたり、人を喜ばせたり説得したりすることにあるのだから、ほとんど決まって人を不快にさせ、反感を引き起こし、言葉というものが我々に与えられた目的、つまり知識なり楽しみなりを与えたり受けたりすることを片端からダメにしてしまうような、押しの強い高飛車な言い方をして、せっかくの善を為す力を減らしてしまうことがないよう、私は思慮に富む善意の人々に望みたい。
会話は人を喜ばせるためにのみ使う。




[5]人にものを教える時には

ーー人にものを教えるには、教えているような風をしてはならない。その人の知らぬことでも、忘れたことのように言い出さねばならない。

確かなことでも、確信なげに話せ。不遜な言葉には弁護の余地がない。謙遜が足りないのは、分別が足りないのだから。
とにかく謙虚であれ。




[6]先に亡くなった親友との約束

ーー私たち二人は、先に死んだ方が、できたら生き残っている方を親しく訪れて、あの世の事情を知らせることにしようと固い約束を結んでおいたが、いまだに彼はその約束を果たしてくれないでいる。
この文章がめちゃくちゃ好き。




[7]人との関わりに必要なもの

ーー私は人と人との交渉が、真実と誠実と廉直とを持ってなされることが、人間生活の幸福にとって最も大切だと信じるようになった。
真実、誠実、廉直が全てだ。




[8]長い目で人生を見よ

ーー人はみな世の中の舞台に登場するにあたって、それぞれ適当な時期を待つべきです。

人の気持ちはもっぱら目前の一瞬間だけに向けられているため、私たちは最初の一瞬間の後になお多くの時間が続くこと、したがって人は生涯のあらゆる瞬間に合うように行動しなければならぬことを忘れがちです。
一瞬を切り取って生きないように。




[9]これは自分のアイデアだ、と言わない

ーー何かある計画を成し遂げるのに周囲の人々の助力を必要とする場合、有益ではあるが、自分たちよりほんのわずかでも有名になりそうだと人が考えやすい計画であったら、自分がその発起人だというふうに話を持ち出しては、ことはうまく運ばない。

そこで私はできるだけ自分を表面に出さないようにして、この計画は数人の友人が考えたことで、自分は頼まれて、人のところを話して回っているのだと説明した。

この方法を取ってからというもの、仕事は一段と円滑に進んだ。その後もこのような場合にはいつもこの手を使ったものだが、大概うまくいっていることから言って、私は心からこの方法を勧めることができる。

現在名誉心を満足することを少し我慢すれば、後で償いは十分にくるのである。

誰の功績か、しばらくはっきりしないような場合には、君よりも名誉心の強い男がそれを良いことにして、自分の手柄だと主張することもあるだろうが、そういうことがあっても、やがては君を妬んだいるものですら、偽りの名誉を剥ぎ取って、正常な持ち主にそれを返そうと公正な態度を取りたい気持ちになるものである。
「いや、考えたのは僕じゃないんす」と言えるか




[10]悪習慣を廃し、良習慣を作れ

ーー完全に道徳を守ることは、同時に自分の利益であるというような、単に理論上の信念だけでは過失を防ぐことは到底できない。

確実に、不変に、常に正道を踏んで違わぬという自信を少しでもうる為には、まずそれに反する習慣を打破し、良い習慣を作ってこれをしっかりと身につけなければならないというのである。
フランクリンには13の習慣がある




[11]頭ごなしに他人を否定するな

ーー間違いだと思われることを人が主張した時でも、頭から反駁したり、いきなりその主張の不当を指摘して快を貪るようなことはやめ、これに答えるにも、まず最初に、時と場合によっては君の意見も正しいだろうが、現在の場合はどうも違うようだ、自分にはそう思えるのだが、と述べるようにした。
こういう上司が全ての人の理想




[12]どんな人があなたの支援者か

ーー 一度面倒を見てくれた人は進んでまた面倒を見てくれる。こっちが恩を施した相手はそうはいかない。
社会経験を積むと身に染みてわかる


[13]最初に取り決めを交わせ

ーーあらかじめ用心して、喧嘩の種が一つもないように、各当事者がなさなければならぬこと、ないしはしてほしいことを残らず明瞭に契約書中で取り決めておいたのによるところが多いと思う。

契約当時には当事者同士がお互いにどんなに信頼と尊敬を持っていたにしても、仕事の上の心配や気苦労などが不公平だという考えが起こると、それにつれてちょっとした妬み心や嫌気が頭をもたげ、そんなことから友情にヒビが入り、せっかくの関係もダメになって、訴訟沙汰やその他の面白くない結果に終わることがよくあるからである。
現代に通じる概念




[14]万物は巡る

ーー我々は他人の発明から多大の利益を受けているのだから、自分が何か発明した場合にも、そのため人の役に立つのを喜ぶべきで、それを惜しむことがあってはならない。
サービスは他人のためにあるから独り占めしない




[15]幸福は些細なところにある

ーー人間の幸福というものは、時たま起こる素晴らしい幸運よりも、日々起こってくる些細な便宜から生まれるものである。

例えば、貧しい青年に自分で顔を剃り、カミソリを整頓して置くことを教えてやるのは、一千ギニーの金を恵んでやるよりもその男の生涯の幸福に寄与することが大きいであろう。
長い目で幸福をとらえる




[16]人間が満足するのはいつか?

ーー人間は何かやっている時が一番満足しているものである。
たしかにnoteは楽しい



いかがだっただろうか。
フランクリン自伝を読み終わる前と後では、人への関わり方に天と地ほどの差が出る、気がする。


何歳から読んだって遅くはない。
長い目で人生を見て、やさしく人と接することは何歳からでもスタート出来るから。



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