#183_どうせ捨てるなら跡形もなく完全に、一抹の未練もなく、それが心底不要だと理解してから捨てるための瞑想であり坐禅。
ニンゲンは言葉で出来ています。
世界は言葉でしか認識されることが出来なくて、世界はすべて、言葉を発したりそれによって行われる認識の主体であるジブンとの関係としてのみ定義され得るものです。
世界が存在して初めてニンゲンとかジブンが存在出来るし、世界がなくなることはニンゲンとかジブンとかなくなることを意味します。
世界なんてたまたま備わっている低スペックの知覚器官に入ってきた数バイトの情報に過ぎず、その鏡像であるニンゲンとかジブンとか、幻のような、蜃気楼のようなものですが、ぼくたちはどうしてもそのことが受け入れられません。
いなくなってしまいたくない、という根源欲求は、それさえも言葉によって支えられていて、ということは、ぼくたちの一生のいとなみは蜃気楼のように消えてしまいそうになるジブンを全力で支えることに過ぎないのではないか?
では、どっちも捨てましょう。
どうせ捨てるなら跡形もなく完全に、一抹の未練もなく、それが心底不要だと理解してから捨てるための瞑想であり坐禅。