健者

生と性に向き合う。 読んでいただきありがとうございます。

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恋愛・結婚で極楽浄土は現れない。

最近、ネット上でよく見かける言葉。 「弱者男性」 なぜか恋愛・結婚の文脈で使われることが多い。 いつもそこに通底する価値観がある。 「恋愛」「結婚」している人生の方が絶対に上、というもの。 だから、「恋愛」「結婚」できない自分の人生は下に位置していてダメ、という思考になるのだろう。 恋愛・結婚はただ、恋愛・結婚としてただそこにあるだけで、実は「人生」とあまり関係ない。 「人生」は「人生」の問題であり、「恋愛」は「恋愛」の、「結婚」は「結婚」の問題がある。 恋愛も結婚

    • 人生のアドバイスに依存するな。

      人生のアドバイスはそこら中に溢れている。 具体的なレベルから抽象的なものまで。 この記事もその一つなのかもしれない。 この生き方が良い、あの生き方が良い、「統計では...」「〇〇しないと...」「より良い人生のために...」「〇〇な人は人生でこうなる」 こんなわかりやすい形ではなくても、イデオロギーを前提としたメディアはあらゆるところにある。 広告に、映画に、ブログに、世の中の風潮に、周りの人たちの言葉・生き方に、あらゆるところにある。 参考にするのはいい。 それを取り

      • 心の中の監獄。

        たいてい、人は心の中に監獄を抱えている。 その中に「私」が入ってる。 「理想の私」という規範から外れていないかどうか、看守が監視している。 もしそこから外れれば罰が下る。 人はそれを恐れている。だから、なるべく規範から外れないようにする。 規範から外れた時に罰から逃れられる方法がある。 その一つは、被害者になることだ。 「こうなったのは私のせいではありません。私はこんな状況に放り込まれたむしろ被害者なのです。」 こう看守に必死に訴えかける。 すると、罰を逃れられるかもしれ

        • 自身が「良い」側だと思ってる人たち。

          耳あたりの良い言葉。 進んでいる、クールだと思ってそれらを標榜する。記号を身に纏う。 でも、それが「身体」に落とし込まれていない。「身体」になっていない。 「良い」言葉、概念、イデオロギーを身に纏っているだけで、自身も「良い」側だと思っている。 自分は決して「悪い」側にはならないので、"敵"である「悪」をいつでも批判できる。 こうして、自身には「悪」がないかのように錯覚することができる。 表面的なリベラルにありがちだと思う。でも、そんな在り方は「リベラル」「自由」とは呼

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        恋愛・結婚で極楽浄土は現れない。

          「幸せ」と「興奮」は違う。

          「幸せ」を興奮と勘違いしてしまうと、「幸せ」が遠ざかるかもしれない。 刺激を求める世界に入ってしまう。 刺激の頂点を目指すと、映画『ヘル・レイザー』のようなことになってしまう。究極の痛みは究極の快楽、という。もちろんそれを目指したいのであれば、目指せば良いと思う。 何かステータスを変えるような何かがあった。それが嬉しくて、興奮して「幸せ」だとすることはよくある。 希望の大学に受かった。好きな人と付き合えた。結婚できた。子供ができた。昇進した。 それはやはり興奮だ。一つの形で

          「幸せ」と「興奮」は違う。

          「今」しかない。

          「今」しかない。 体験できるのは今しかない。 明日という未来もない。 明日があったとしても、明日になったらそれはもう今になっている。 過去もない。 記憶はある。でも、記憶を辿ってもそれは過去ではない。今があるからそれとの対比で記憶になる。過去を思い出しても、今にいることに変わりはない。 タイムマシンで過去のある瞬間に戻る。あるいは心だけ過去に戻っても、戻った瞬間にそれが今になってしまう。 今しか体験できない。 今が過去から未来へと線上に並んでいるのでもない。 もっと

          「今」しかない。

          人生すごろく。

          人生のすごろく。 人は、それを生きてることにも気づかない。 あれしてこれして、幸せな人生が待っていると思っている。 何かを組み立てるマニュアルのように人生が進んでいくと思っている。 階級のようなものを昇っていくことで、人生の何かしらの境地に辿り着けるって。 でも、すごろくをいくら進んでも、何かが足りないと思っている。 「毎日楽しいよ。」 と知人に話していても、ふと「人生何なのだろう」と感じたりもするが、そんなことは「気の迷い」になってしまう。 そういう人は、彼らのすご

          人生すごろく。

          独身、結婚どちらかが勝ちの二元論。

          独身の方がいいとか、結婚した方がいいとかの言説をよく見かける。 人生どちらかしかないと思い込んでしまっている。 確かに結婚制度という概念が存在する土地なら、結婚しているか独身かの2種類しかない。 つまり、「人間には2種類しかいない。結婚しているか、していない(独身)かだ。」ということになる。 「その通りだ、私は〇〇側で、あの人は⬜︎⬜︎側で...」と感じただろうか。 別の例をいくつか出してみる。 「人間には2種類しかいない。公務員かそうでないか。」 「人間には2種類し

          独身、結婚どちらかが勝ちの二元論。

          ロマンチックな何かを求めてカップルを眺める。

          久々に恋愛関連の記事を書く。 人が「恋人が欲しい」と言うとき、だいたいロマンチックな何か、性的な何か、人との繋がり的な何かであることが多い。 「彼氏がいたらこんなところに一緒に行きたいな」 これはロマンチックな何かを求めている。 今回はこのロマンチックな何かに焦点を当てる。 最近はあまり感じないけれど、私にもこの感覚が分かるには分かる。特に5〜6年くらい前はよく感じた。 これはロマンチックな「雰囲気」を求めていて、自身がその中にいなくても実はいい。 何かしらそういっ

          ロマンチックな何かを求めてカップルを眺める。

          「悪」を外部に求める人。

          noteには多くの社会問題について述べている記事がある。 ほとんどの記事に共通することがある。 「〇〇がいけない、悪い。もちろん私は〇〇ではないし、〇〇を要素として持っていない。」 〇〇はある集団や、システム、現象のこともある。 自分自身が社会問題の原因と捉える記事をほとんど見たことがない。 「私」はいつも離れたところから、社会を見ていて、「私」が悪になることはない。 「悪」を外部に求める傾向が人にはある。 これさえ排除すれば、平和が取り戻されるのに、と。 悪をあ

          「悪」を外部に求める人。

          話す内容と、話す行為それ自体② 「SNSでよく見る論争」

          前回「話す内容と、話す行為それ自体①」の続き。 「その発話で何をしようとしているのか」 この視点が抜けると、発話の内容・意味に捉われて堂々巡りになってしまうことがある。 例えば、SNSやコメント欄で良く見かける。 「これは〇〇だ」という発言があるとする。 「いや、〇〇というのはただの決めつけだ」 と「論争」になる。果てには、幼稚な言い合いになったりしている。 そもそも、その人が「これは〇〇だ」という発言をそのコメント欄でしたのはどういうことだろう、という視点。 「これは

          話す内容と、話す行為それ自体② 「SNSでよく見る論争」

          話す内容と、話す行為それ自体①

          人が話すのを聴いているとき、その内容と意味を理解しようとする。 人の文章を読んでいるとき、書かれている内容と意味を理解しようとする。 それ以外に何を理解するのか? 話している・書いている行為そのものの理解だ。 話されている・書かれていることに反応して、気を取られて、話している・書いている行為そのものには関心を向けていなかったりする。 発話内容は当然ながら、発話行為そのものを見る必要もあると思う。 「それを話すことでその人は何をしようとしているのか」という問い。 こ

          話す内容と、話す行為それ自体①

          異性を憎み、異性から愛されたい人たち。

          ※シス、ヘテロセク(と思われる)の人たちについてです。 「女/男は〇〇だ」と蔑視とも十分取れるような発言をする人たちを見かける。オンラインでは特に良く見る。 そういう人たちの他の発言からしても、異性を憎んでいるようにしか見えない。 憎んでいるにもかかわらず、次の発言ではマッチングアプリで相手を探しているとか、パートナーが欲しいとか、婚活とかのワードが出てくる。 憎んでいると同時に、愛されもしたいのだ。 憎まないで済む異性の理想型、例外がどこかにいると信じているのだろ

          異性を憎み、異性から愛されたい人たち。

          独身男性は不幸と思っている独身男性の不幸。Pt. 2

          前回の続き。 Pt. 1とは別の知人との話を紹介したい。 私「最近はただ座っていても充実感があるんだよね。将来の心配とかはゼロではないけど、それは『人生の問題』じゃないし。だから『人生』としては基本的に毎日楽しい感じで過ごしてる。」 知人「でも、キャリアとか結婚とかやばくない?そうやって楽しいって思い込もうとしてるんだろ。まあ〇〇は実際楽しそうに見えるけど。でも非常に危険な状態ですね、これは。(中略、というより中間部はあまり覚えていない。)また彼女作れば満足するよきっと

          独身男性は不幸と思っている独身男性の不幸。Pt. 2

          独身男性は不幸と思っている独身男性の不幸。Pt. 1

          先日、散歩してカフェに寄って帰ってきた。 ただ歩いているだけなのに、嬉しくて充実感がある。 これは家でただ座っていても感じることではあるけれど、散歩は散歩でそれなりの嬉しさと充実感がある。 同世代の知人に先日散歩をしてカフェに入ったら、様々な人を観察できて嬉しくて、楽しかったという話をした。こちらはしているつもりだった。 でも、あることを話しているときに彼は以下のことを言った。 私「カフェに入って、真剣な面持ちのPCを眺めるスーツの男性、70代くらいの賑やかな女性のグ

          独身男性は不幸と思っている独身男性の不幸。Pt. 1

          あるべきところにそれがないから寂しい。

          「寂しさ」の一つのケース。 あるべきところにそれがない。だから寂しい。 あるべきだと信じているところにそれがない、と言った方がいいか。 それがただ「ない」だけでは、寂しさはない。 親がいるべきなのに、いない。 恋人がいるべきなのに、いない。 友達がいるべきなのに、いない。 部屋に家具があるべきなのに、ない。 ある・いることを前提としているから、寂しい。 ある・いる状態が「普通」だったから、そして今それがない、いるべきなのにいない、だから寂しい。 ある・いることが「当

          あるべきところにそれがないから寂しい。