異性を憎み、異性から愛されたい人たち。
※シス、ヘテロセク(と思われる)の人たちについてです。
「女/男は〇〇だ」と蔑視とも十分取れるような発言をする人たちを見かける。オンラインでは特に良く見る。
そういう人たちの他の発言からしても、異性を憎んでいるようにしか見えない。
憎んでいるにもかかわらず、次の発言ではマッチングアプリで相手を探しているとか、パートナーが欲しいとか、婚活とかのワードが出てくる。
憎んでいると同時に、愛されもしたいのだ。
憎まないで済む異性の理想型、例外がどこかにいると信じているのだろう。
むしろ憎んでいるからこそ、例外を見つけたいし、異性に執着するのかもしれない。
本当は憎みたくないのかもしれない。
憎む感情だけではバランスが取れないから、「異性を愛したい」「異性から愛されたい」になるのかもしれない。
しかし憎んでいる限り、「愛する」ことは難しい。「愛される」ことしかできない。
愛したい、でもできない。なぜなら憎んでいるから。
なぜ愛したいのか。それができないから。
できないのは憎んでいるから。
憎んでいると、「愛したい」と感じて「愛するフリ」はできても、実際に「愛する」ことは難しいだろう。
その事実に目を向けたくない。すると、「愛される」方向にシフトする。
だから、憎しみから発して異性を求める先には、どれだけ「愛される」かの基準ばかりが参照される。
「愛される」のは、自身のコントロール外で、相手の話。
だけれど、それも認めたくない。
どうにか相手をコントロールしたくなる。
憎む相手を自分のコントロール下に置きたいと思うのは当然かもしれない。
当人は相手の動きに振り回されている感じがするかもしれない。でも、振り回している(振り回そう・コントロールしようとしている)のは自分であることに気づかない。
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