ロマンチックな何かを求めてカップルを眺める。
久々に恋愛関連の記事を書く。
人が「恋人が欲しい」と言うとき、だいたいロマンチックな何か、性的な何か、人との繋がり的な何かであることが多い。
「彼氏がいたらこんなところに一緒に行きたいな」
これはロマンチックな何かを求めている。
今回はこのロマンチックな何かに焦点を当てる。
最近はあまり感じないけれど、私にもこの感覚が分かるには分かる。特に5〜6年くらい前はよく感じた。
これはロマンチックな「雰囲気」を求めていて、自身がその中にいなくても実はいい。
何かしらそういった雰囲気に浸れればいいことに気づいたのは1〜2年前。
例えば、休日に夜景が綺麗なところに行くとカップルがたくさんいる。カップルたちを眺めているだけで、そのロマンチックな何かは満たされる。
(いつからか、ロマンチックな何かが「おままごと」のように感じてしまい、それを求めることがあまりなくなった。)
これだけ書くとカップルを眺める変な人だけれど、「ロマンチックな映画を観る」と言ったらどうだろう。
ロマンチックな何かを求めて、何かを見る。同じようなことだと思う。
しかし、一般的にはそこで終わらず、ロマンチックな何かと他の何かを大いに関連させるので、「実際に恋人が欲しい」になるのだと思う。
ロマンチックな何かと、実際の恋人とはまた別であることを認識するのは案外難しいらしい。
人生を「学校・仕事」「恋愛・結婚」「家族」「趣味」のどれかの要素にしか当てはめられないと、要素それ自体が「人生」になってしまうのと同じだ。
だから、「仕事」で"成功"していないと、人生もダメだと思ってしまう。そういう心理の飛躍が見られる。
ロマンチックな雰囲気はロマンチック雰囲気であって、それは実際の恋人とのデートや結婚、性行為、信頼関係とはまた別。
ロマンチックな雰囲気はそれとして味わえばいい。
すると、少なくとも私は「恋人が欲しい」という飛躍には至らない。