独身、結婚どちらかが勝ちの二元論。
独身の方がいいとか、結婚した方がいいとかの言説をよく見かける。
人生どちらかしかないと思い込んでしまっている。
確かに結婚制度という概念が存在する土地なら、結婚しているか独身かの2種類しかない。
つまり、「人間には2種類しかいない。結婚しているか、していない(独身)かだ。」ということになる。
「その通りだ、私は〇〇側で、あの人は⬜︎⬜︎側で...」と感じただろうか。
別の例をいくつか出してみる。
「人間には2種類しかいない。公務員かそうでないか。」
「人間には2種類しかいない。住所登録が東京かそうでないかだ。」
「人間には2種類しかいない。20歳以上か、それより下かだ。」
「人間には2種類しかいない。日本国籍を保持しているか、そうでないかだ。」
どれも「当たり前でしょう。だから何?」と感じた人もいるだろう。
そう、当たり前で、だから何?になる。
「結婚しているから何?」「独身だから何?」になる。
勝ちとか負けとか、どちらが良いとか悪いとか、そんなこと考えたって仕方がない。
それでも、こんな人たちが多くいる。
日常的に「私は結婚している」「私は独身だ」ということを再確認して、そこにまた良いとか悪いとかの記号をどんどん付与していって、優越感・劣等感の理由にして、それに悩み、人生の尺度、危機にもなり、自身の人生の勝ち・負けをそこで決定してしまう。
確かに法的ステータス上では結婚しているか、そうでないかしかない。
だから、なんだというのだろうか。
多くの人がこれを大きな問題、人生の問題としてしまうがゆえに、そういう情報で溢れる。この記事も含めて。
その溢れた情報が問題を問題たらしめる。
自然と気にしなくなった時に、心への引っ掛かりが減った・なくなったときに問題は消える。
「結婚しているかそうでないかが人生」ということを自然と手放せたときに。
問題の解決は、問題それ自体が消えたところにある。
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