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【双極性障害】“毎日note”をやめた僕に起きた心の話
久しぶりにこんにちは。
お元気ですか?
僕は元気じゃありません。
控えめに言って、鬱です。
さて、約1ヶ月半毎日続けたnoteの投稿をやめて4日が経ちました。
断食ならぬ、断noteをしたわけですが、自分なりの意図を持ってnoteから離れることにしたわけです。
そうして実際にnoteの投稿はおろか、見ることもやめて数日を過ごしました。
そんな31歳独身会社員の心の変化をお届けします。
◆誰のために生きているのかわからない
noteをやめて1日経った頃にふと思いました。
「誰のために僕は生きてるんだろう」
それまでnoteではほとんどすべての感情を表現していました。
良いも悪いも、嬉しいも幸せも、絶望も落ち込みも、いろんな自分を発信していました。
それは、ありのままの自分を見てもらうことで共感や勇気や安心や幸せを感じてもらいたいと思ったからです。
写真を選ぶのも、言葉一つ選ぶにも、読んでもらえるようにタイトルをつけるのも、生きづらさを抱える人たちの心に届けたかったからです。
でもnoteから離れたことで、その手段がなくなりました。
伝える相手がいなくなりました。
生きる意味すら見失いました。
◆日々のすべてが「毎日note」のためにあった
写真や言葉、タイトルと書きましたが、記事そのものだけじゃありません。
僕の生活や人生そのものがnoteのためになっていたことに気づいたのです。
「ちゃんと寝よう」と思えたのは、noteで良い記事が書けるように脳を休ませたかったからだし、みんなの健康を後押しするのにまずは自分が健康でいなくちゃと思ったからです。
「マインドフルネス瞑想」を続けていたのも同じです。
毎日noteを書き続けるために元気でいようと思っていました。
毎日noteで発信するために生きていました。
◆失恋の代償か?
以前の記事 で、noteは僕の恋人だと表現しました。
今回改めてそれを感じさせられました。
noteから離れて、まるで失恋したときのような気持ちになったのです。
いつも一緒にいた人が突然いなくなってしまったような、愛情を伝える相手がいなくなってしまったような、自分を必要としてくれていた存在がいなくなってしまったような、そんな寂しさや苦しさがありました。
◆noteを断つには遅かったか?
結局鬱になりました。
というか、noteをやめることにしたあの日すでに鬱のような状態で、noteをやめたことが追い打ちをかけてしまったのかなとも思います。
仕事にはなんとか行きましたが、毎日が本当にギリギリの一週間でした。
適応障害を起こして休職・退職をした4年前と全く同じような状況になりかけていました。
いや、今もまだ脱してません。
もっと早くに毎日noteをやめていれば、脳疲労も溜まらずメンタルももう少し安定させられたかもしれません。
◆僕にとってのnote
やっぱり僕には毎日noteが必要でした。
そういう単純な結論にしたいわけじゃありません。
僕にとってnoteには功も罪もあると思っています。
そして熱しやすく冷めやすい僕がこの先いつまで続けるかもわかりません。
でも今回改めてnoteが大切な存在であることがわかりました。
noteという表現の場
noteという繋がりの場
noteという希望の場
みんながいるこの場所が僕はやっぱり好きです。
毎日やると頭が休まらないとして、
3日に一回なら無理なく続けられるのか。
土日や休日だけにするのがいいのか。
それともそんなこと決めずに気ままにやった方がいいのか。
まだ答えは出ませんが、noteとの適度な付き合い方をこれからゆっくり見つけていきたいなぁと思います。
自分と、自分が大切にしたいものを大切にする。
2021年の僕自身のテーマをもう一度胸に刻んで、ぼちぼち生きていきたいと思います。
いつもありがとうございます*