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小さな幸せ

40代後半になると
自分が主役でいられる人生は
そろそろ引退のようです。

私は元々人をサポートする側が好きでした。
音楽やバレエをやっていてステージに立つ幸せも沢山知っているけれども、それ以上に創作し形にみんなでしていく過程で頼られて必要とされてサポートして、サポートするにはみんなの3倍は練習と学び(観劇etc)に時間を費やして、その見えないサポートの時間がささやかだけど私には贅沢な幸せに感じました。

事故をして健康な身体が当たり前ではない、日々の積み重ねの小さな努力で健康な身体は出来ていることを知り、生活の基盤を大切にするように心掛けています。

やっぱりみんなが嫌がるような事柄が多いです。

掃除や整理整頓ばかりだからです。

睡眠を取りアイデアを考え制作作業をする自分の部屋は、常に綺麗にすることは、私にはとても大切なんです。

朝起きたら
○ゴミ出し
○体重測定
○白湯を飲む
○トイレ掃除
○ベッドメイキング

これが1番始めに出来ないと朝がどんどん夜になり、深夜生活となっていきます。

でも夜型生活は
子どもみたいに早く寝なきゃいけないとか学校に行かなきゃ行けないとか制限のない人には、少し不健康ではあるけれど、皆さん寝静まっている時間なので、ゆっくりと集中して好きなご飯やおかずの作り置きをして、雨の時には調子が良くなるので絵に没頭したり、父が起きてくる頃にはキッチンの水回りとガスコンロを綺麗にして、洗濯を済ませることが習慣です。

そこに
週1は共同で使うキッチンの周りの通路の床そうじが追加されるようになりました。

お風呂キッチン玄関裏庭全てが繋がっている吹き抜けない場所は、土いじりの好きな父が気が付いていても出来ない土埃と野菜くずが溜まりやすい。

弟が独り立ちする際に2ヶ月ほど毎日この床そうじをバタバタ夜中にしていて、うるさいなぁと思っていたけど、父は耳が遠いし私は弟ほど生活音がうるさい人ではないので、弟から引き継いでこの床そうじをするように習慣を付けてます。

こういうことは
主婦のやることで、家事と言うのは終わりのない仕事です。

勉強はいつか終わりが来るし、資格や試験に合格してもそれまでなんです。虚しさしか残りません。

「終わりのない世界」に拘り考えてみましたが、家事には勝りません。

家事に勝る終わりのない世界は今のところ私にはありません。

何よりも自分が必要とされていることが、まざまざとわかるからです。

人は人
家族は家族であっても自立した共同体なので、自室だけに拘ってましたが私が見えないところでしていることが私にはささやかな幸せに感じ、お茶の時間ひとりご飯の時間を毎日大切に生きていると、彼と同居した際にとても素直にそれが出来て、スムーズに移行出来る。

自分のやりたいことと家事家庭生活を安全に安定して幸せに両立することはこういう継続力から成立します。

勢いで結婚してしまうことは、後々ほつれが来て心の崩壊と現実の崩壊もあり得るし、先の見えない不安を生み、ういう人を山程見送って来ました。

勢いでなんでも出来てしまう人はいるかもしれないが、周りの被害が大きい。

後先考えないでやることは旅行だけにしておいて欲しい。

何事も一朝一夕では成り立たない。

爆上がりとかに目が向く人は
「ラクしてお金が儲からないかなー」とか

自己開発女神度アップセミナーに目が向く人は
「スピリチュアル能力が欲しい」

こういう魂胆があるそうです。


どうしてそんなものが欲しいのかな…


わからないものがみんな知りたいのかな
未知のものだから魅力的なのかな


神秘に触れることは
学術や歴史に触れること
歴史や哲学を掘り下げること

二千年前を知らなければ
二千年先を知ることは出来ない。

予知と言うのは地があって出来るのです。

スピリチュアルとは真理の探求です。自分と向き合い自分の哲学を作ることです。

スピリチュアルとは
私にとっては生活そのもの

コンビニの段差を登ることさえも私にはスピリチュアルで、真理です


あなたにとって当たり前のことは当たり前ではないことがほとんど


世の中はこういう風に出来ている。

ミクロを知ることはマクロ的にも考えられる。

小さく纏めることはとても美しく感じ小さく纏まっている私の彼は完全体で完璧な仕上がり。

だから
私の鏡は彼で
完璧に仕上げることが使命


かな
 




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