見出し画像

『「40歳を過ぎて、大学院に行く」ということ』⑱「勉強会」と「応募」。

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


(この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「予定」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)


大学院で学ぼうと思った理由

 元々、私は家族介護者でした。

 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。それが実現したのが2010年です。介護に専念して10年が過ぎた頃でした。

私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。

「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由

 それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、(すでに10年以上前のことになってしまいましたが)伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。

(もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。

 同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この約10年間感じてきました。

 もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士公認心理師を目指したい。

 さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。

 この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。そして、当時のメモをもとにしているため、思ったよりも長い記事になっています。
 よろしくお願いいたします。

 今回は、40代後半になってから、介護を続けながらも、臨床心理学専攻の大学院に通えることになり、前期が終わり、8月の夏休みの頃の話です。

 当時のメモを元にしているのですが、自分自身でも、大学院に入学して4ヶ月以上が経っているのに、こんなにいろいろと悩んだり、考えたりしていたのかと、少し恥ずかしくなるくらいです。

 もしかしたら、同じような環境の方に、わずかでも参考になるかもしれません。ただ、そのため、申し訳ないのですが、やや長くなりました。

予定

 8月1日。日曜日。

 夏休みでも、実習は、変わらずに続いていましたし、義母の介護をすることは、当然同じように継続していました。ほぼ昼夜逆転の生活はずっと変わらないままでした。

 学校に行かなくなると、介護だけをしていた時に、少し戻ったようでした。

 休みに入る前には、同期の人たちと合宿の予定があっただけで、だけど、なんとなくそのまま流れてしまうのは寂しいと思っていました。

 そこへ一斉送信のメールが来て、そのことが書いてありました。旅行か、日帰りか、飲み会か。どれを希望しますか、といったアンケートでした。どちらにしても、みんなでどこかへ行こうという予定がまだ生きていてうれしく思いました。

 さらにそのあとに、勉強会をやりましょう、というメールも来ました。

 毎週2回くらいの予定で、それに講師を招きましょう、というような話まで出ていて、活気づいてきた感じがして、やっぱりうれしく感じました。

 旅行とか勉強会とか、そういう言葉自体が、とても久しぶりに聞いた気がして、少し気持ちが浮き上がった気がしていました。

 改めて、この4ヶ月は、とても密度が高い時間でした。同期の皆様や、大学院の関係者の方々のおかげで楽しく過ごせました。これからは、この生活に少し慣れて来たせいもあり、浮かれた気持ちは減って、本当に学問に力を入れたり、ということになりそうですが、この4ヶ月の気持ちの揺れ動きって、すごく貴重だったと思いました。

 これからの1年半は、もう少し落ち着いた時間になると感じています。

ためいき

 8月13日。金曜日。

 介護にただ専念していた時間に、戻ったようでした。

 これが、通常モードのはずですが、いったん違う時間を知ってしまうと、以前とは少し意味が違ってきてしまったようでした。

 夏休みに入ってから、私はためいきばかりをついて元気がない、と妻に言われています。

 カゼをひいたり、老眼が進んだり、自分がやろうとしていることが進まなかったり、といろいろな理由はあるのですが、やっぱり今まで何ヶ月か普通に会っていた同期のみなさんと会えなくなったのが、大きい理由のようでした。

 夏休みに入って、それまでが、かなり楽しかったというのが改めて分かって、この学生生活が終わったあと大丈夫だろうか、と自分で心配になるくらいでした。

 だけど、妻に話を聞いてもらって、なんだか少し気持ちの整理が出来ました。

 今日、10年ぶりくらいにめいっこが来てくれて、いろいろな話をしたのも気分が変るきっかけになったのかもしれません。そして、カゼがやっと治ってきたことや、明日は休みでも実習もあったりすることが、いつまでも調子が悪いと言っていられない、みたいなことを思わせたのかもしれません。

 同時に、今、学校に学内の雑誌のようなものがあって、そこに掲載する原稿の公募企画があったので、そこに出そうとして、色々と書き出して、整理がつかなくて、苦しい段階になっていますが、それでもやることがあるのは、いいことのような気がします。

 いろいろと改めて思い出しました。

 入学して、最初に声をかけてくれた2人の話。そして、居酒屋に行ったり、飲み会があったり少しずつ輪が広がったり、家で大学院のことを義母と話すことで違う感覚が生まれたりすること。などを書き、それは繊細な人間関係に気がついたりすることでもありました。そして、人とのつながり、みたいなものが生まれてから、学食でいるのが楽しくなり、だからよけいに周囲がきらきらして見えてきたこと。

 それから、最初の1ヶ月半が、異様に長かった事。それは慣れてなくて新しい事で緊張して、そして、臨床心理学に向いてないんではないか、とへこんだり、トレーニングルームを使ったり、といろいろなことがあったこと。

 他にも介護のことで発表したり、学費を払った元をとらないと、と自分には珍しく質問などを積極的にしたり、だけど、その途中で電車内で異様に疲れて、このままでは倒れてしまうんではないか、などとも思ったこと。

 かなり年下のクールな先輩を見て、そういう社会人になりたい、と若い時に願ったことを思い出したこと。実習にも緊張したこと。そういう新しいことが次々と出てきて、だから、とても時間が長かったこと。こんなにゆっくり進む時間なんて、ホントに何十年ぶりかもしれない、と感じていたこと。

 そして、6月にワールドカップが始まり、その話が出来てうれしかったこと。サッカーが一般教養のようになっていることに、元サッカー部員としても、とまどいと嬉しさがあったこと。マラドーナを見て、なんだか嬉しく、これでいいのだと思えたこと。

 ただ、その一方で慣れて来たせいか、途中から時間の進み方が早くなってきたこと。その中で改めて思った様々なこと。

 介護はマイナーなジャンルで、そのことについて言い続けるのが自分の役目と思いつつ、そういう発言をするにも少し疲れてきたこと。修了後、本当に思った以上に仕事にはつながりにくいのを予感した事。

 少し学生生活に慣れて来て、自分も時々,周りの若さに同化するように歳を忘れていたり、そのことを思うほど余裕がなかったけれど、慣れて来て、自分は圧倒的に歳をとっていることに改めて気づき、同期といっても、その若さというものは残り時間が圧倒的に多いことが、うらやましさに近い気持ちになり、この年齢になるまでこんなものでしかない自分がちょっと悲しくなったりもしていました。

 他の社会人入学の同期の人たちも帰る場所がちゃんとある人たちが多いのを知り修了後に、仕事が一番ない可能性があるのは私だと、改めて気づいたりしました。社会人で働きながら学ぶことがどれだけ大変なことかを、私はよく分かっていないのに、別な意味でうらやしくなり、というか自分の何もなさに気がついたりもしました。

 それでも、さらに、変るとすれば、これからしかありません。

 勉強もちゃんとしよう。研究も準備をしよう。さらには、出来たら、勉強会も始めたい。それらを始められて、充実した生活にできたら、今のためいきはたぶん減っていくと思いました。

 そうすれば、仕事を辞めざるを得なくて、介護に専念する年月の中で、自信のようなものが根こそぎなくなったせいか、やたらとあやまるばかりの中年でなくなるかもしれません。これから、新しい自分になれるかもしれない、そんなことをかなり年下の先輩が言っていました。どうして、ああいう人は年下なのに、年上感があるんだろうと思いつつ、やっぱり頭だけではどう考えても生き残って行けないから、ネットワークという言い方をしてくれたのですが、人と関わる中でしか生きていけないのは事実かもしれません。

勉強会

 8月18日。水曜日。

 どうしようか、と少し迷いながらも勉強会に行くことにしました。少し遅くなって、30分くらい遅刻していったら、主役の今日の勉強会での講義をする人と思われて、違います、と返して、少しがっかりもされました。

 10人近くいて、それでも勉強会の時間は過ぎて、充実した気持ちにもなれました。久しぶりにみんなと一緒に食事をすることにもなりました。なんだかホッとして店に歩いて、私がうろうろとしていたら、何だか笑われましたが、明日は若い同期の女性はみんなでディズニーランドへ行くそうです。

 楽しそうでした。

 沖縄の料理屋で食事をして、時間が過ぎて、午後11時頃になり、そろそろ帰ろうかと、いつもと違う1つ先の駅へと歩きました。初めて通る道でした。同期の3人で帰って、地下鉄の中で、同期の女性に、途中で私の夏休みの過ごしたかた、を聞かれ、結局は、前の生活に戻っていて、介護と家事と勉強で一日が終わっていく、みたいな話をしたら、静かな一日だね、それで確実な毎日な感じもする、と意外な事を言われました。

 そして、途中の駅で、夏休み前と同じように、じゃあね、といった感じで、降りて行きました。

息抜き会

 8月22日。日曜日。

 昨日の夜は、最初は同期4人のメンバーでの息抜き会がありました。

 隣の席に目つきの良くない男性2人と、女性1人のグループがいて、その男性たちは、女性には親切そうだったのですが、私に対しては変な目で見ていたと思います。久しぶりに、夜に外へ出るといろいろあると思いましたが、4人が集まっていて、そのうち私も含めて2人は飲まないから、飲む人に対して、もっと飲んでもらうように気をつかった方がよかったも、など、後になっていろいろと反省はしたのですが、それでも楽しい時間でした。

 時々、トイレに行って鏡にうつる自分の顔と、席に戻って同期の若さとの圧倒的な違いにふわっと現実に引き戻されたりもするのですが、でも、やっぱりまだキラキラした時間が続いているんだ、とも思えました。

 もう帰ろうか、という時に、さらにもう一人若い同期の人が来て、とても元気で、夜の繁華街にも詳しくて、だけど,自分は歳だけとって何も知らないんだ、とも思いましたが、次の店に入って、話を聞いていたら、やっぱり来てもらって、嬉しい気持ちになりました。

 本当にみんな若くて、そういう人達と知り合えたり、こうやっていっしょに行動したり、というのはある意味で不自然な事だけれど、それが日常になっているありがたさみたいなものもやっぱり感じました。

 この前は同期の若い女性4人でディズニーランドに行って、それで、おそろいのストラップも買ったそうで、その話を聞いて、こちらもなんだかよかった、と思いました。

 そうやって楽しい時間は流れ、そのビルからなんでだか階段で降りることになり、上から泣き声が聞こえ、いわゆる痴話げんかだと思っていたが、下に行ってからも気にする同期の人の態度を見て、自分を反省したりもしました。

 翌日、その飲み会の時の話題を妻に伝えました。

 同期の女性4人がディズニーへ行って、世界に、この大学院1年生の男性しかいないとしたら、誰と付き合う?という、よくある話になって、1人が棄権----その人は、すごくまじめなんだと思いました。そういう事も大事にしたいんだと感じました-----したのですが、3人が同じ人に集中したというらしく、それが、勉強会でかっこよかったから、という理由のようだという話をしました。

 そうしたら、妻は、私に向かって「1票くらい入ると思ったのは妻の欲目かな」という言い方をしくれて、うれしいの前に、なんだか感心しました。そのとき、妻は、一緒にデザートを食べて、おいしい、本当においしい、という言い方をしていました。気持ちの100パーセント近くを言葉に出来るなんて、オリンピックの水泳で金メダルをとった北島康介の、きもちいいー、ちょーきもちいい、に近いと思って、感心したのですが、邪心が少ないのだと改めて思いました。

応募

 8月26日。木曜日。
 昨日は勉強会でした。

 学内の雑誌掲載を目指して、応募しようとして、これまでの4ヶ月のことを書いた原稿を読んでもらい感想を聞かせてくれる、という約束をした同期の人がいました。それは、先週の土曜日で、まだ夏休みだしバイトで忙しいと言っていましたし、で、いつになるか分からないままでした。昨日、その約束をした同期の人は実習があるので、今回は無理だろうと思っていたら、夕方にメールが来て、勉強会も参加する、という事を知りました。

 約束をした同期の人は、勉強会の途中から参加してきました。

 今回の勉強会は、同期の社会人でもある人が講師を勤めてくれて、午後9時過ぎには終えて、そのまま、居酒屋みたいな場所へと行くことになりました。そこまでの移動の途中で、原稿を読んでくれた人は、その原稿を取り出し、いろいろな感想を言ってくれました。

 そのことは、なんだか嬉しく、その後の居酒屋でも、私は最近、やんちゃだ、みたいなことを他の人にも言われるようになったので、それだけ慣れて来たのかもしれない、と思いました。

 それから家に帰り、また介護をして、午前4時すぎに寝ました。

 そして、今日になりました。

 昼頃に学校に着いたら、同期の人たちがいて、いろいろ話をしていたら、コンピュータで文書を保存する方法を教えてもらう約束をしていた同期が来て、操作をしてもらい、けっこうすぐに移すことが出来ました。

 昨日、あわてて買ったUSB(入学時は、USBの存在すら知りませんでした)は8ギガで4000円近くして、けっこう高かったのですが、そこにデータを移しました。それから、そのデータの中身のことで、「応募書類の要項を確認したら、大学生だけで、大学院生はダメかも、そしたらゴメン」と、原稿を読んで感想を伝えてくれた同期に伝えたら、「でも、これは書く事に意味があるんじゃないの?」とど真ん中の言葉が返ってきて、なんだか感心しました。

 それから、同期の人と3人で、いつも行くさくら水産の下の伝統的な喫茶店に入り、食事をして、けっこう時間も経ったので、私以外の2人は実習に向かい、私は応募原稿を学内の受付へ、一応提出をして図書館へ行き、その後にマンレイ展を見てから、家に戻ってデイサービスから戻ってくる義母を迎えました。

 そういえばもうすぐ夏休みも終わるんだ、と思いました。昨日と今日は何だか楽しかった。ただ、がんばらないとダメだと水泳の北島康介の番組を見て、思いました。

 介護はずっと変わらず、当然だけど、続ける毎日です。

新学期

 8月29日。日曜日。

 夏休みは長い。結局は1ヶ月半くらいあるんだから、などと思っていて、あれもやりたい、これもやりたい、普段出来ないことをやっておかないと、などと思い、片付けとか手紙とか、様々な事を考えてみたりもしたけれど、前半は何だか疲れていて、カゼをひいていたので治したり、実習の逐語録のまとめをしていたり、そんな事で時間が過ぎました。

 そのころは、何だか精神的にも、これからの未来が明るく見えなくなって、一応、努力はしているけれど、それが決して仕事にはつながらず、介護者のサポートをしたい、などと思っている自分がいて、それはある意味、立派なことのようにも言われることもあるのですが、でも、仕事として何とか成り立たせたい、というような気持ちも同時にあるわけだから、別に偉くもありません。ただ、何しろ介護者への心理的サポートのことについて、他に関心を持ってくれる人がいないのでは、と、この4ヶ月で分からされたような気がしました。

 だから、介護者の心理的支援というのは、仕事として無理かもしれないのですが、その場合は自分でボランティアでやるしかなくて、と思うようになりました。

 入学前は、どこかでそうは言っても資格をとったら、少しは仕事があるかもしれない、などという甘い気持ちがあったのですが、それが学ぶほどに危機感ばかりが募りました。それで、気持ちの落ち込みがあったのですが、そこから少しずつ、昔の仕事のように、原稿を書くことも仕事になるような努力も続けながら、もちろん勉強もして臨床心理士にもなり、何とか両方を成立させたい、と思うようになるまで、少しかかりました。

 それに、勉強会もあったけれど、来ていない同期も気になったりもして、なんだかため息ばかりが多いと妻にも言われ、それでも考えたら毎週実習はあったし、今月も、母が入院していた病院に行き、患者さんへの誕生日カード作るボランティアもあったし、勉強会はわりとマメに出たし、意外と出かけていたのですが、自分では何もしないまま夏休みの時間が過ぎたという印象がありました。

 もちろん介護はずっと続いていたのですが、なんだかぼんやりしていた最初の3週間と、それからあとの2週間は人と会う機会が増えて、ちょっと嬉しくなって印象が違っています。

 秋の後期を迎える前に、集中講義というのがあって、最初の日はショートステイに入ってもらっているから、朝早くても、まだ大丈夫なのですが、のこりの2日間は、午前4時すぎに就寝するような、いつも通りの生活の中で朝の9時過ぎからの講義に出なくてはいけなくて、それがつらいのが分かっています。

 それはちょっと考えると、自分にとっては、やっぱりハードな日々だとは思うのですが、4月にその環境に慣れるための不安と緊張と比べたら、今は顔見知りも増えたし、先生達も少し憶えたし、で、勉強の不安は相変わらずありますし、そして、前期は成績が自分の予想よりも思ったよりもよくて、(そんなことは、学生生活では初めてでした)、その事が変なプレッシャーになる可能性もあります。

 でも、みんなと毎日のように顔を合わせられる日々、というのは今でもかなりのぜいたくであるのは変わりないから、なんだか楽しみな気持ちも今だに大きいままです。

 それに、これから、同期を誘ってアートにも触れたいし、フットサルをやる、という話も出ているし、いろいろとやりたい思いもあります。大変かもしれないけれど、大学院1年生の秋がいろいろ出来る最後だと思うので、義母に会いに来たい、という人もいるから、それも実現させたいし、もしいろいろ始められたら、それは全部がプラスになるとは思います。

 私も、体が基本的に弱いから無理をせず、出来たらベストをつくそうとは考えています。介護は続いていますし、やることは多いけれど、でも学生の肩書きでしか出来ないことも多いから、やりたい事はなるべくやっておこう、と改めて思います。

 それから、修士論文の研究のためのインタビューの協力者は、秋になったら、探し始めないと、おそらく間に合わない、というか、質が少しでも高いもの、と考えたら、始めないとダメだと思います。それと共に質的研究の方法の勉強もしないと、論文としての質も上がらないから、それも含めてがんばろう、と思っています。

進路

 8月30日。月曜日。 

 昨日の夜も質的研究のグラウンデッドセオリーアプローチの勉強をして、でも、本を読んでいるだけだし、何かが一向に進まない感じが抜けなくて、というよりは、春学期に研究ゼミでいろいろと学んだはずのものが、一つも身になっていないような気がしていて、ちょっとぞっとしたりしました。

 実は、グラウンウンデッドセオリーにいろいろ種類があって一度は決めたはずのクレイグヒル氏のやりかたでやろう、という気持ちが少し揺らいでいて、調べていくうちに、ケア現場における質的研究が、実は修正版グラウンデッドセオリーといわれているものでも分析は行われていて、それも一応は読んでみて検討してみようとは思っていました。

 こうなったら修士論文だけでなく、博士課程に進んで、そこでの論文も含めて勝負すればいいのか、みたいな事も考えたりしていたのは、それは自分にとって高望みであり、分不相応なのは分かっていたのですが、春学期の成績が自分で想像していたよりよかったこと。これまでの時間で、具体的な誰か、というのではなく、介護に関して、ましてや家族介護者は何だかだなめられている気がしていて、それならばそういう肩書きみたいなものをつければいいんだろう、と思ったのは、さらに理由もありました。

 それは、現代美術家の村上隆が、博士号をとったら妙な文句が聞こえなくなってきた、という話を読んだからで、それならば、不可能に近いと思いつつも、自分でも何とかしようとも思うのは、これまでの介護の現場の中で味わってきた理不尽な出来事への怒りがまだ強いせいもあるかもしれません。

 そのうちの一つは、介護訪問員(ヘルパー2級)の授業での、失礼な大学教授の事が忘れられないせいもあるかもしれません。介護の専門家に対して、随分と軽く見る発言を繰り返していました。ああいう人たちにも、ちゃんと届かせるには、学問というパッケージが必要で、みたいな事を思ってしまっているのかもしれません。

 それは、歪んだ認識かもしれませんが、寝てから、よく考えると、学問的な細かい話に、ちゃんと付き合って、その形も整えた上で、そうした失礼な教授に対抗できるかどうかはどれだけ難しいことなのかを、改めて考えました。

 今、50近くの年齢で、これだけ学ぶ量が足りなくて、能力も低いのに、違うジャンルで闘おうとしても、お客さんとしてならばまだしも、本当にファイターとして闘うのはほぼ無理ではないか、とも思いました。それならば、修了し、資格も取得し、介護する人の実際のサポートを早く始め、その中で出てくる言葉を世の中に出した方が自分のやることなのでは、とも思いました。

 ただ、この年齢になってから仕事を得ようとしても、相当に難しいのが分かってきたので、無理だとしても、博士課程のことまで考えること自体が、自分でも意外でした。そういう発想をしたこと自体が、これまでは全くなかったので、それは、それだけ辛いことがありながらも、学ぶことそのものが楽しい、という思いも生まれて初めて味わったせいもあるかもしれません。

 8月が本当に終わりに近づくと、もう新学期の気持ちになってきました。入学時の4月と違うのは、新しい知らない環境になれなくては、という不安が少ないことで、それはとてもありがたいことでした。介護を続けながら、毎日のように、勉強するのはやっぱり疲れるという体の記憶を思い出しながらも、悔いがないように毎日ベストをつくそう、とは改めて思っています。

報告

 8月31日。火曜日。

 今日はカウンセリング施設での実習でした。

 当初は2人で、受付に座っていたのですが、もう1人の同期の人の事情で、私一人で、この時間を担当することになりました。

 そのことに少し慣れて来たのですが、でも、なんだか緊張は続いていて、とっさに何かを聞かれると、かなりどぎまぎするのは、恥ずかしながら、それほど変わりませんでした。

 受付の担当が座っている細いスペースで一人でいると、誰も周囲にいない時に、これをやらなきゃな、などと独り言を知らないうちにしゃべっていました。

 かなり年下の先輩である修士2年生の女性が、これから面接を控えて隣に座り、少し話しかけてきてくれました。やはり、学生のせいもあり、成績の事とかよく聞かれることが多くて、その感じも懐かしかったのですが、私は、いつも、決まっている答えを言うようになりました。

 自分としては思ったよりもすごくいい成績でした。と言うと、その先輩は、越智さんの成績はいいと思う、と意外なことを言われました。その先輩は、明らかに頭がいい人だったので、そういう人に言われると嬉しい気持ちになれましたが、でも、みんなけっこう成績を気にしているのかもしれない、と思いました。

 それは、学生のこの時期の社交辞令とも思いつつ、基本的に周囲はインテリだと感じていました。今は大学院生は珍しくなくなった、みたいな言われ方もされたりするのですが、自分自身が、大学の学部から大学院へ進んでいくようなエリートの人達と一緒に学ぶようになるとは、別に皮肉でもなんでもなく思った事はなかったですし、今でも自分には、介護者という現場の旗を掲げているように見える自覚はしていますから、どこかで力んだところがある一方、それで、けっこう必死で勉強している部分があります。

 自分よりも半分くらいの年齢の人間と一緒に勉強しているというのは、脳細胞は私が半分くらいになっているはずで、そういうポテンシャルの高い人間を相手にしているのだから、こうやって話しかけてくれて、なんだか意外だったけど、でも、最初は、こうした優秀な院生には微妙に嫌われているのでは、と思っていたので、そんな会話が少しでもできただけで意外でしたが、ちょっと嬉しい気持ちもありました。

 その先輩には、これから後期の秋の講義の申請の事まで聞かれて、なんで?私に?と笑ったりもしたのですが、その答えが、ほぼ講義もないのに実習だけがあったりして、ということだったので、ああ確かにそれだけあるとかえって忘れてしまうかもしれません、などと会話が進みました。

 一応、講義の申請の日程のことを語ったのですが、あんまり自信もないので、間違っていたらメールを送ります、という事にしてもらいました。入学時に、院生や教授の名簿のようなものをもらっているので、それぞれのメールアドレスは知っていました。

 一人で受付に座り、実習をする時間が過ぎ、予定にないような突発的な出来事にも少し慣れ,その場に少しなじんだような気もしていたのですが、相変わらず、ちょっとややこしい事態には、50近くなっても対応が出来ないままでした。

 年齢に関わらず、自分が学生で、まだ大学院の1年生という身分だから大目に見られていることもあるのだろうと思いました。機会を見つけて、カウンセリングの陪席に入り、そういう経験をちゃんと積まないといけないのだろう、と思うのですが、なかなかそのチャンスも少ないようでした。

 時間が残り少なくなってから、早めに過ぎたように感じたのですが、でも、なんだかぼんやりして眠くなることもありました。今日、見かけた同期の人達は、ちゃんと自分でもケース(面接)を持っています。臨床のプロとして、どんどん先に行っていて、何だか焦りもありますが、どうしようもありません。

 実習が終わって、夕方のわりには、まだ空気が暑すぎるのですが、今は営業はしていない学食でちょっと高い120円のアイスバーと、コーヒーで一服してから地下鉄に乗りました。神保町で教科書と、同期に渡そうと思った本と、今日話をした上級生との間で話題になった保坂和志の本と松本大洋の本を買って、大学生の頃に、よく通っていた喫茶店に寄りました。そこは、妻と出会った場所でもあるのですが、久しぶりなので、店主に、義母に何かあったのかと、と心配されたのですが、実はまた学生になっていて、という話もできました。

 何かの拍子に自分の心臓発作の時の話になって、それは、病院にひどいめにあった時でもあったのですが、随分と弱くなったとはいえ、まだ自分でもコントロールしきれない怒りが出てくるのが分かって、いつまでも消えないんだと少し驚きました。

 帰りには、その喫茶店の店主の方に、「お土産」をいただいて帰ってきました。とてもありがたく、どこか実家のように思ったりすることもあります。

 妻は今日は、義母の介護のことで、かなりイライラしたらしいことを聞きました。出かけなくてはいけない日だったのだけど、妻に負担が偏ってしまい、申し訳ないと思いました。明日から義母のショートステイなので、今日は、いつものように介護で午前4時すぎの就寝ですが、いつもより早起きをして、施設に荷物とテレビを持って、義母と一緒に向かうことになります。






(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





#私の仕事     #支援   #介護者支援の専門家
#介護家族   #介護保険   #介護の言葉 
#介護相談    #家族介護者   #介護者支援   #臨床心理士  
#公認心理師    #家族介護者への心理的支援   #介護
#自己紹介   #傾聴   #介護の言葉 #社会人大学院
#心理学     #支援者   #要介護者 #聞くこと
#聴くこと   #大学院   #社会人入学 #臨床心理学専攻
#介護専門家   #認知症   #臨床心理学 #多様性を考える
#家族介護者の心理   #家族介護者   #専門家
#言葉    #介護環境 #わたしのチャレンジ
 #あの選択をしたから

 

 


 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。