『桃』を読む
作者のヨシダジャックさんに初めて出逢ったのは滋賀の歌人、千原こはぎさんが主催する鳥歌会でだったと記憶する。短歌の評を、物語を語るように滔滔と弁じられるのに惹かれ、それから何年経ったか。
『桃』は小文と短歌の合わさった一冊で、こういうのは何と呼ぶのだろう。詩文集というのだろうか。一昔前のイギリスの絵本風挿絵も、随所にある。それは不思議な国のアリス風であり、自分の読書記憶にさらに寄せるとイタロ・カルヴィーノの『宿命の交わる城』を想起させられる趣向だった。
まずタイトルがあり、短歌があり、掌編、という並びを基調とし、短歌連作も組み込まれている。この手の複合技は難しくて、何が難しいかというと掌編と短歌の取り合わせが難しいのである。両パートが同レベルの詩の強さでも相殺されてしまうし、かといってどちらかが強すぎても片方が薄れてしまうので、読後の後味が悪くなってしまう。繋がりが近すぎても、遠すぎてもダメという、やってみたくてもチャレンジしにくいスタイルだ。でもジャックさんはそこに挑み、絶妙な独自の美学で構築された詩世界を現出している。そのチャレンジを支えるのは、ジャックさんの膨大な読書や勉強量なのだろう。あとは、自分自身の詩のセンス(パワー)を信じる勇気。その挑戦心に憧れを抱く。
本文より
白砂
白砂に片手袋の残されてゆたにたゆたに雪舟の庭
わたしたちは錯乱の虜となった。ようやく四色問題を片づけたら、つぎは七色問題だという。いつのまに速度を上げてるのさ。
雪舟というパワーワードから、白砂はお白州のイメージが後からかぶさってくる。ゆたにたゆたにという、オノマトペも常識で凝り固まった自分の識の域を揺さぶってくる。さらに白からの連想か、四色問題がでてきて、七色問題に移行するに速度を気にする。これはイメージが飛躍し過ぎかと思わせもするが、諸星大二郎の漫画『孔子暗黒伝』に登場するインドの聖地・ベナレスの梵天の塔のことを思い出した。梵天の塔、それは3本のダイヤモンドの棒の内の1本に、それぞれ大きさの違う64枚の純金の円盤を、大きいのを底にして順に積み重ねられたものだという。この円盤を動かすときは一度に1枚ずつしか動かしてはならず、小さい円盤の上に大きい円盤を決して重ねてはならない。3本の棒を上手く使えば、やがては他の棒に全ての円盤を移すことができる。そして移し終わったその時、全宇宙が崩壊する空劫の時代となる、と漫画内で物語られるのだが、さらにこの棒がもし一本増えたなら、円盤の他の棒への移動はずっと早くなってしまう!と、本暗黒伝は世界崩壊をはらむ急展開を迎えるのだが、「速度をあげるとは、これのことか!」とジャックさんの白砂を読んで想到したのだった。
以下はどうでもいい余談だが・・・後々この、梵天の塔について確認したところ、フランスの数学者が開発したゲームのパッケージに書かれた煽り話らしく、三十年以上、インド神話由来だと本当に信じていた自分は諸星大二郎マジックに完全に翻弄されてたんだのう、と微笑ましい気持ちになった。まあ、今もそうなんだけど。ジャックさんの『桃』にもなのだけど。
https://ist.ksc.kwansei.ac.jp/~nishitani/Lectures/2004/Maple/TowersOfHanoi/Hanoi2.html