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【読書会後】マナー、文脈、ファッション

今回の課題本は、この9月にちくまプリマー新書から出たばかりの平芳裕子『東大ファッション論集中講義』でした。 絵画や彫刻といった純粋芸術に対して、ファッションはふだんの生活に根ざした応用芸術として成立しました。だからこそ、学問の対象としては長らく軽視されてきました。 平芳は、そのような状況を変えてきたファッション研究の先行世代として、次世代のファッション研究を担う若い世代に向けた講義を行いました。ファッションというものがどのような歴史をたどって人々の生活を変えたか。どのような

平芳裕子『東大ファッション論集中講義』

最近はバレンシアガに夢中になっているおしゃれな先輩が『相対性コムデギャルソン論』という本を貸してくれた。 「そういえば、『東大ファッション論集中講義』っていう本出てましたよね、読みたいなー」と言った私は、帰りがけに本書を購入し、次の日に開催されたToughの読書会に持って行った。「次これやりませんか?」と言ったら二人とも快諾してくれた。 読書会メンバーのかなめくんは多少なりともファッションに興味はあるらしいが、信濃さんは「イオンとかで買いますね」と語っており、ファッションへ

【読書会後】一見無造作な物語の中の権力構造、エロティックさーーー大江健三郎・シュルレアリスム

大江健三郎の『死者の奢り・飼育』を読んで、読書会をした。 シュルレアリスムの展示を観たといっても、我々の読書会は読書をするだけではない。 まず行った先は板橋区立美術館。芸術も愉しむのである。 館蔵品展として「もっと魅せます!板橋の前衛絵画 シュルレアリスムとアブストラクト・アート」をやっていた。 板橋区立美術館では今年2024年3月〜4月にかけて「『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本」という企画をやっており、その続きとして今回の展示をやっているようだっ

スマホと弁当:大江健三郎の『死者の奢り・飼育』を読んで

会社の昼休みに弁当を食べる。箸をにぎった手でそのままふたを開け、箱につめられたご飯を箸の先でちいさく区切り、ひとつを掴んで口に運ぶ。 同時に、左手でスマホを開き、ツイッターを見始める。何を見ようとするわけでもなく、目に飛び込んでくるツイートを流し読みする。 ご飯を箱の半分ほど食べたところで、ふと米粒のかたまりが、箱の外に落ちているのに気づく。 新潮文庫の『死者の奢り・飼育』(1959)は、大江健三郎の最初期の短編を集めた作品集である。 読書会のために、読んでみた感想をまとめ

普通の人びとの普通の生 『かもめ・ワーニャ伯父さん』

新潮文庫『かもめ・ワーニャ伯父さん』には、チェーホフの2つの戯曲が収録されている。 どちらの作品でも、さまざまな立場の人々が、お互いに恋をしたり、憎んだり、蔑んだりする。 いずれもすれ違いで、片思いである。双方に思いを分かち合う、というシーンはほとんどない。共有したように見えても、その後に破綻する。 「かもめ」も「ワーニャ伯父さん」も、主人公が「僕のこの気持ちを、きみがわかってくれたらなあ!」というセリフを連発するが、この雨でイベントが台無しになってしまったような「伝わらな

チェーホフ『かもめ』

こんにちは。うにです。 今回はチェーホフを読むことになりました。前回、ナボコフを読んで、「ロシアの作家とかいいんじゃない?」という意見が出て、「ナボコフはロシアの作家なのか?」という疑問もありながら、まあチェーホフ好きだし、「読みたいです!」と僕が言って決まりました。 (読書会メンバーのかなめくんも信濃さんも、我が強くない穏やかな人々なので、スッと意見が通ってしまった!) 『かもめ』今回読むのはチェーホフの四大戯曲と言われる作品の中でも、一番最初に発表された『かもめ』です。

大変おかしい、チェーホフの「かもめ」について

チェーホフの「かもめ」を読もう、となった。 読んでいたのだけれど、どうにも舞台で観たいなあと思って探してみたら、動画があった。 戯曲だけではよくわからなかったのだが、動画を通じてよくわかった。 さて、改めて上記の動画再生前に見えるスクリーンショットには「喜劇」と書かれている。 「かもめ」は喜劇なのだろうか? どうやら人はみな「かもめ」が喜劇なのかどうかについて気になるらしく、講演会も開かれたことがあるらしかった。 あるものを目指し、全くそれには至らないことの喜劇性喜劇の

言語との情事――ナボコフ『ロリータ』

作家ウラジーミル・ナボコフは、自身の小説『ロリータ』を、「私と『英語という言語』との情事の記録」であったと振り返りました。 ここでは、そのナボコフの一節をこねくりまわすことで、はじめて『ロリータ』を読んだ(そして読み切れなかった)感想の代わりとしたいと思います。 「情事」というワードが意味するものが、主導権を握り握られ、支配することが服従することであり、服従が支配であるようなシーソーゲームであるなら、「言語との情事」という表現は『ロリータ』にぴったりです。 語り手ハンバート

ナボコフ『ロリータ』

unigakikoeruです。かなめくんと信濃さんがやってるToughという読書会メンバーに入れてもらいました。いぇい。 さて、今回はナボコフの『ロリータ』です。これは僕が提案しました。なんで『ロリータ』なのかを書いてたら長つまらない文章ができたので、一番最後に置いておきます。これも後述するんですが、今回は読解というよりは、プリミティブな感想を書いていこうかなと思います。 ①語り手の自己主張が強い 『ロリータ』はハンバート・ハンバートという男の手記の体裁をとっています。

『ロリータ』

僕たちはナボコフの『ロリータ』を次に読む本として選んだ。 ナボコフは1899年生まれ、1977年に亡くなった。 帝政ロシアで生まれて、ヨーロッパ、アメリカと亡命した作家。昆虫に詳しい。チェス・プロブレム作家。 貴族の家に生まれたナボコフは、20歳ごろロシア革命で西欧へ亡命。イギリスやドイツのベルリンで過ごしていた。 父親の暗殺からフランスのパリへ。このころから詩や小説を書いていた。その後最終的に行き着いたアメリカで1945年帰化。1955年『ロリータ』を書いた。 (以上評伝

一般名詞としての哲学ーー廣松渉『新哲学入門』

廣松渉『新哲学入門』(岩波新書、1988)の感想です。 一般名詞としての哲学 新鮮だったのが、『新哲学入門』は固有名詞がほとんど出てこない哲学書、いわば「一般名詞としての哲学」の本だったことです。 普段読み慣れている思想の本は、カントのあれがこうとか、ハイデガーのこの概念がこう、とか、とにかく固有名がたくさん出てきます。國分功一朗の『中動態の世界』にしても、東浩紀の『訂正可能性の哲学』にしても、帯にはアーレントやらルソーやら、言及される哲学者の名前が列挙されるのが常です。

廣松渉の存在について

我々は廣松渉「新哲学入門」を読んだ。 新書。読みやすいかと思って手に取ってみたが、完全に廣松の文章だった。現代語とは言いづらいと個人的には思う。漢文や欧州語を扱ったであろう知識人の独特の言語に圧倒させられる。 緒論、つまりはじめの章を読んで、まずヒュポダイムという用語についてが気になった。廣松においてヒュポダイムとは「不協和を明識しない信念や知識の秩序態、そこでの基幹的発想の枠組み」(p.5)を指す。私なりに解釈すれば、当たり前の物事、自明の論理といったところか。 哲学と

欲望の結び目をほどく――ブルース・フィンク『ラカン派精神分析入門』

今回の読書範囲は、ブルース・フィンク『ラカン派精神分析入門』の後半でした。 この本を読むまで、精神分析は何を目指して行われるのか、について考えたことがありませんでした。分析のプロセスについて、自分なりにまとめてみます。 ラカンは、分析の過程を「欲望の結び目をほどくこと」と表しています。 欲望の結び目とは、本来色々なものに向かって動き続けるはずの欲望が「固まっている」状態を指します。これをほどいて、欲望本来の流動性を取り戻すのが分析の目標です。 といっても、実際に欲望がドロド

倒錯的な現代社会

はじめに信濃さん、あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いいたします。 この「はじめに」を書いているのが、2024年1月2日、20時ちょうどです。 この前から僕はこの文章を準備していて、もう少し直そうかなとぼんやり考えていたのですが、どうしても年明けから不幸が続いている気がして、信濃さんには本当に悪いのですが、どうにも文章を大きく編集したり、新たな部分を加えたりするやる気が起きませんでした。 自分の予定を考えても、とりあえずざっと書き終えて公開してしまったほう