チェーホフ『かもめ』
こんにちは。うにです。
今回はチェーホフを読むことになりました。前回、ナボコフを読んで、「ロシアの作家とかいいんじゃない?」という意見が出て、「ナボコフはロシアの作家なのか?」という疑問もありながら、まあチェーホフ好きだし、「読みたいです!」と僕が言って決まりました。
(読書会メンバーのかなめくんも信濃さんも、我が強くない穏やかな人々なので、スッと意見が通ってしまった!)
『かもめ』
今回読むのはチェーホフの四大戯曲と言われる作品の中でも、一番最初に発表された『かもめ』です。内容なんですが……おもしろい!!
登場人物が多くて、それぞれがてんでばらばらの思想を持っています。だから、意見がぶつかり合って、いろんなテーマが生まれます。「名誉」について、「幸福」について、「恋愛」について、「老い」について……etc.
それゆえにいろんな切り口があって非常にまとめづらい。
中でも、とりわけ僕が惹かれたのが、この戯曲が一種の「芸術論」としても読めるという点でした。
『かもめ』は四つの場面から成り立つ、四幕の構成になっています。とりあえずその第一幕の話をしますね。
トレープレフの失敗
トレープレフという文学青年がいて、その母が女優のアルカージナ。アルカージナの兄がソーリン。このソーリンがもつ田舎屋敷が舞台です。
トレープレフが、ソーリン家の庭で、劇をやるところから物語は始まります。(『かもめ』という劇の中で、別の劇が始まるというメタな展開ですね)
劇の内容は一人芝居。脚本、演出はトレープレフ、役者はトレープレフの恋人のニーナです。
といっても観客はソーリン家の3人を含んだ全員合わせても10人程度のごくローカルなお芝居なのですが、トレープレフは従来の劇とは違う、前衛的なものをやろうと気合が入っています。
ところが、いざ劇が始まると、このトレープレフの母アルカージナというのが、「なにこれ?つまんない」みたいなことを上映中に言い出すんですね。それでトレープレフは怒って劇を中止します。
アルカージナはスター女優だから、もっとメジャーで売れてる劇を良い劇だとしている人なんですね。で、息子が、「20万年後の生命が消え失せた世界で一人の女性が語り始める……」という内容の思弁的な劇をやるから、「だっさ」と思うわけです。(19世紀ロシアでこんな「セカイ系」みたいな内容の劇やるの、普通に面白くないか……?)
まず、この対立が全ての元凶となっています。そして、ここに「メジャーvsマイナー」「大衆性vs芸術性」「著名vs無名」といったテーマが浮かび上がってきます。
トレープレフはその場から逃げ出してしまい、一方、彼女のニーナは「(戯曲はともかく)演技よかったよ〜」とみんなから褒められて、もともと女優志望だったところ、より一層その意志を固くします。
僕はこのトレープレフという人間に強く感情移入しました。誰からも理解されず新しいことに挑戦して、無惨に失敗してしまう。恋人であり、演者でもあるニーナにも、理解してもらえない。
ちなみにこの『かもめ』という劇自体、初演は「ロシア演劇史上類例がないといわれるほどの失敗」に終わったらしく、チェーホフは街を彷徨い歩いたそうです。トレープレフとチェーホフが完全に重なって見えて、アツいエピソードだと思いませんか?
トレープレフが上演した劇の観客の一人に、著名な作家であるトリゴーリンという男もいました。彼も作中において重要な人物なので、その説明も兼ねて第二幕に移りましょう。
栄華を誇るアルカージナ/名声を厭うトリゴーリン
第二幕は、女優アルカージナと医師ドールン、ソーリン家の支配人の娘マーシャの3人が舞台上にいるところから始まります。
アルカージナはマーシャを自分の横に立たせて「マーシャと自分のどちらが若く見えるか」とドールンに問います。マーシャは22歳、アルカージナは43歳です。ドールンはアルカージナだと答えます。
アルカージナは自分が若く見える理由を、「いつも動き回っているから」と答えます。ちょっと外に出るときも、服を着替えたり髪をセットしたりすることを怠らない、と。
僕はここを読んでアルカージナという人間は本当に通俗的で、いやなやつだなあと思いました。「動き回る」というのも結局社交界でセレブたちと交流しているだけのことです。
「このような人物にトレープレフの劇はわかるまい」と彼の肩を持ちたい気持ちになりました。
また、第二幕において注目すべきは、文士トリゴーリンと女優志望のニーナの対話でしょう。
トリゴーリンがニーナに「若い女性がどんな気持ちなのかわからないから、あなたと入れ替わってみたい」というと、その返答としてニーナは「名声を得て、自分の名前が新聞に載ったりする人生を味わってみたい。羨ましい」と言います。
トリゴーリンは「名声なんてくだらないし、常に書かなきゃいけないことに追われている状態は苦痛だ」と反論します。ここでのトリゴーリンの反論のうんざり具合は、読み応えがあります。しかし、名声を得ているわりに、その状況をよく思っていないという姿勢が、「ほんとうは幸せを知っているのに 不幸なフリやめられないね」感があります。
名声の話とは少しずれますが、ここでトリゴーリンは一瞬の文学論を展開しています。彼は水や木立、空といったものが好きだと語ります。そしてそれらを描写することを愛しています。
しかし、本当は作家であるならば、「民衆の苦悩」や「人間の権利」といったテーマに取り組む必要があるとも思っています。でも、自然を描写することの喜びを優先してしまう。「社会問題を描くのが作家だ」という考え方がこの時代にもあったのですね。
さて、二人の対話が終わっても、結局、ニーナは「名声を手にしたい」という意見を変えることはなく、二人の意見はすれ違ったままでした。しかしその後の展開を見ると、このとき二人は互いを魅力的に思ったようです。
みんな恋をしている
トレープレフとニーナは恋人同士でしたが、「劇の失敗により、ニーナの心が離れた」とトレープレフは語ります。ニーナは特に「トレープレフへの気持ちが変わった」等の発言をするわけではないのですが、文士トリゴーリンに惹かれ始めます。
もともとトリゴーリンといい感じだったのは女優アルカージナで、女優アルカージナに恋しているのが医師のドールンです。医師ドールンと不倫をしているのが、支配人シャムラーエフの妻ポリーナです。
トレープレフに恋をしているのがシャムラーエフとポリーナの娘であるマーシャで、マーシャに恋をしているのが教員のメドヴェージェンコです。
……全然頭に入ってきませんよね。とにかくそれぐらいみんながみんな恋をしているということなんです。
はたして誰と誰がくっつくのか、というのも一つの楽しみなので、第三幕、第四幕の展開は書かないでおきます。本当はもう書くの疲れちゃっただけなんですが。
ひとつだけ。第四幕にトレープレフとニーナの対話があります。そこで、ニーナは、第一幕で演じたトレープレフの脚本を誦じます。さまざまな出来事を経たあとの、「20万年後の世界」についての語りは、当初とは違った陰影を帯びているので、ぜひ実際に読んで味わってみてください。
まとめ
『かもめ』は、「恋」と「芸術」と「人生」を描いた戯曲と言っていいかと思います。少し青臭い感じもしますが、僕としては、このように「まっすぐ受け止める」ことで、この戯曲を楽しみました。
実際、普段僕たちが生きていて考えることなんて、「恋」か「芸術」か「人生」のことじゃないですか?
そうじゃないという方のことは、僕はもう知らないです。(怒らないで)
何回かTwitterで言ったことがあるのですが、チェーホフでいうと、『かわいい女・犬を連れた奥さん』(新潮文庫)に入っている「いいなずけ」という短編小説が、マイ・フェイバリット・チェーホフなので(チェーホフ全作読んでないけど)、よかったら読んでください。
チェーホフは時間が経過することの切なさを描くのが本当に上手いです。
お読みいただきありがとうございました。
それでは。