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息を引きとる。〜母と私の365日⑥〜
1月8日。私は自分の家に帰ってた。
18時頃、父から電話が入り、状況報告。
「お母さん、ほら、娘だぞ。」
「お母さん、ご飯食べてねー。お薬も飲むのよー」
「はーい。ありがとうーー」
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1月9日。
その日は、仕事始めだった。
午前中、体操教室をやっていた時、
父から電話が入った。
「先生が話したいそうだ」
「娘さんですか?お母さん、呼吸も苦しそうで、腹水でお腹も張って痛み
最期はお家で過ごしたい。父の愛情と母の大切なもの〜母と私の365日⑤
一度は病院で最期までと決めたけれど、
近くの病院に転院してからの母は思った以上に、元氣だった。
その姿を見た医師が、
1ヶ月や2ヶ月病院で過ごすのはしんどいだろうと、
在宅看護を勧めてくれた。
何かあればウチ(病院)にくればいい。
歩けるなら家で自由に暮らした方がいいんじゃない。
医師の言葉はとても軽かったけれど、
その言葉に勇氣をもらって、
「私が全面的にサポートするから、帰ろ」
そう母に
余命宣告と外泊と転院。母は家には帰らないと決めた。〜母と私の365日④〜
「ご家族で、残りの時間をどう過ごしたいか、ゆっくり話してください。」
ゆっくりって、あと2週間かもって言っておいて、
ゆっくりなんてできないじゃん・・・。
11月20日 母が入院した。
11月27日 家族全員に医師からムンテラ。余命宣告2週間〜1ヶ月
腹膜炎を併発した母から腹水をこれ以上抜き続ける事もリスクに感じてのことだろう。先生は案に在宅を勧めてたと、私は思った。
私自身、最期を家で看取
告白。そして通院の日々。〜母と私の365日③〜
病状は少しづづだけど、進んでいて、
見た目もどんどん黄色くなっていく母。
腹水が溜まって苦しくて、動くのもちょっと辛くて、
仕事を辞める決意をいた母。
夏の出来事。
父の兄が亡くなったとの知らせが我が家に届く。
両親の実家は共に岩手。
熱中症で外で作業中での急逝。
父の心労も幾許かと慮った私も、一緒に行くことにした。
現地での事を相談する母は
平氣そうで元氣そうに見える。
ひとま
症状、出てるよね・・・。〜母と私の365日〜①
母の顔色が黄色い・・・。
【2023年1月 母67歳2ヶ月】
お正月、例年通りの帰省。
実家は同じ県内だし、里帰りというほど大仰な事ではないのだけれど、
とりあえず、お正月は出向く。
いつもと変わりのないお正月。
近所の神社に、両親と参拝。
母は、主祭神様だけじゃなく、いつも水の神様にもお参りを欠かさない。
「水の神様だから。」
これが母の口癖。
水の神様だからなんなのだ。そんな屁理屈を心の中