余命宣告と外泊と転院。母は家には帰らないと決めた。〜母と私の365日④〜
「ご家族で、残りの時間をどう過ごしたいか、ゆっくり話してください。」
ゆっくりって、あと2週間かもって言っておいて、
ゆっくりなんてできないじゃん・・・。
11月20日 母が入院した。
11月27日 家族全員に医師からムンテラ。余命宣告2週間〜1ヶ月
腹膜炎を併発した母から腹水をこれ以上抜き続ける事もリスクに感じてのことだろう。先生は案に在宅を勧めてたと、私は思った。
私自身、最期を家で看取りたいと強く思っていたから。
でも、父は、帰ってきた母に何もしてあげられないのではと、
返って母を苦しめる事になるのではと不安に感じ、
自宅近くの病院への転院が決まった。
私は、もちろん自宅が良かったけれど、
ずっとそばにいる父の事も考えると、
病院でもいいのだろうと、納得した。
果たして、転院まで、母の体は持ち堪えるのか。
そんな状況の中、兄が外泊を提案してくれた。
自宅に帰れる内に一旦帰りたいと。
12月2日〜3日で外泊をすることになった。
母は6人兄弟の末っ子。
兄弟たちが、母に会いたがっているのを聞いていたので、
外泊の日に合わせて5人いっぺんに来てもらう事にした。
母が自宅に帰ってきて
母の兄弟と、うちら家族が過ごしたその時間は、
とてもとても賑やかで、
明るくて、楽しくて。
母の黄色が、とても神々しく見えて、
母がまるで太陽の様にみんなを照らしていた。
最高の時間。
感謝の詰まった素敵な時間。
母の笑顔が今もみんなの心を照らし続けている。
本当に良い時間を過ごし、
外泊から病院へ。
そして、転院が決まり、自宅近くの病院にお引越し。
ここが母の終の住処なのか・・・。
12月4日。
母の誕生日まで、あと8日。
12月を迎えても、お正月が見えてこない。
お正月なんて一生こなければいい。
私たち家族の心がほんの少し離れた様な氣がした。
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母は強かった。
自分の終わりを家族に知られた時、
不安顔の私たちに向かって、
「私は大丈夫だから。もう何もしないで大丈夫だから。」
と。
余命宣告を聞いた日の夜、病院の母から電話があった。
不覚にも私は電話口で泣いてしまい、母を困らせた。
だって、私はちゃんと悲しいから。
当たり前じゃないか。
お母さん、あなたがいない世界がこんなにも早くやってくるなんて、
想像もしていなかったんだから。
ねぁ、お母さん、覚えていますか?
幼稚園の入り口で、
あなたの娘は、あなたから離れたくないと
ギャンギャンと泣いていたこと。
あなたの娘は、
あなたから離れたくなんです。
どうして、私を、置いて行ってしまうの。
どうして、お母さんは私の手を離すのですか。
私は、あなたがいなくなってしまうと
寂しくて寂しくて仕方がないのに。
でもね、私は、あなたが必ず迎えに来てくれると
それだけは不安に思ったことはなかったんです。
あなたが私を見捨てることはないと、
それだけは信じられていました。
あなたの確かな愛情のおかげで、
私は、愛されていないと、思う暇もないほどに、
ずっと、あなたに愛されて育ちました。
ありがとう。