告白。そして通院の日々。〜母と私の365日③〜
病状は少しづづだけど、進んでいて、
見た目もどんどん黄色くなっていく母。
腹水が溜まって苦しくて、動くのもちょっと辛くて、
仕事を辞める決意をいた母。
夏の出来事。
父の兄が亡くなったとの知らせが我が家に届く。
両親の実家は共に岩手。
熱中症で外で作業中での急逝。
父の心労も幾許かと慮った私も、一緒に行くことにした。
現地での事を相談する母は
平氣そうで元氣そうに見える。
ひとまずホッとする。
長距離を歩くこともできている。
今思えば、本当に体力のある人だと思う。
根性の人だ。
中尊寺にも一緒にお参りした。
思えば、こんな風に旅行みたいにしたのは久しぶりで、
楽しかった。
岩手から帰ってきて1週間後。
母、腹痛でもがき苦しむ。
父一人ではもう抱えきれなくなった。
この時初めて母から通院に付き添ってほしいとお願いされた。
この時、病氣が家族全員の事として表に現れたんだと思う。
8月、9月、10月。通院の日々。
この頃、私は、家族第一優先。
何が合っても優先すべきは家族。
そう決めた。
私が一緒にいる事は、父の精神的な負担の軽減にもなっていたと思う。
父は、ずっと一人で、
(母が心配をかけたくないからと、私たちには話そうとしなかったから、)父一人で、苦しむ母を見守るしかなくて、
「自分に何ができるのか、何もできない、妻の苦しみを拭うことのできない」そんな自分を責めて、腹をたてて、悲しみ、落ち込んでた。
娘に知らせた事で、両親が少し精神的な元氣を取り戻してくれてたと思う。
私が顔を見せれば、両親は安心した。
それでも、病氣は母の体からいなくなることはなかった。
通院の回数が、日に日に増えていった。
腹水が苦しいのだ。
月1回が2週間に1回に、1週間に1回、、、、
5日に1回になりかけた頃。
母の意識が飛んだ。
朝、父から電話が入り、母の様子がおかしい、呼びかけても起きないと。
急いで救急車を呼んでもらう。
私も、急いで実家に向かう。
母は意識を取り戻してはいたけれど、
救急車でそのまま病院へ。
腹膜炎を発症していた。
そのまま入院となった。
11月の出来事。
外は寒くなってきて、「来年」を意識していた頃。
母の「来年」は、
どこにあったのかな・・・・。
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難病と診断された時、母はそれを一人で聞いて、一人で抱えた。
父にも言わず、通院を続けた。
余命を告げられていたらしい。
それも一人で聞いたんだ。
先生から、自分の命のカウントダウンを一人で受け止めた。
悲しかったかな。
辛かったかな。
寂しくなかったかな。
心残りがあるとすれば、
病氣なんだと、死んじゃうんだという事を
母一人で抱えさせたこと。
辛くて、悲しくて、腹もたったことだろう。
母を孤独にさせてしまった。
その数年間を、取り戻せたらと思う。
「お母さん、寂しくはなかったですか?」
ずっと空に問いかけ続けてる。