症状、出てるよね・・・。〜母と私の365日〜①
母の顔色が黄色い・・・。
【2023年1月 母67歳2ヶ月】
お正月、例年通りの帰省。
実家は同じ県内だし、里帰りというほど大仰な事ではないのだけれど、
とりあえず、お正月は出向く。
いつもと変わりのないお正月。
近所の神社に、両親と参拝。
母は、主祭神様だけじゃなく、いつも水の神様にもお参りを欠かさない。
「水の神様だから。」
これが母の口癖。
水の神様だからなんなのだ。そんな屁理屈を心の中で呟いていた40年間。毎年聞いていたこの口癖が、最後となるとは思っていなかった、良く晴れた氣持ちの良いお正月。
帰り際、父からボソリと「お母さん、顔色良くないだろ。ちゃんと会いに来なきゃだめだぞ。」
氣づいてはいた。
黄疸だ。
母は、15年くらい前に、肝炎になったことがある。
その時は、入院はせず、黄疸の症状もすぐに改善した。
その時、私は、「あの時と同じ」とは何故か思わなかった。
なんとなく、もう治らないんじゃないかって、
終わりを感じちゃってた。
母が、私に病氣の事を打ち明けたのは、2023年8月。
お正月の頃は、ちょっと顔が黄色いくらいで、
仕事も続けていたし、家事もいつも通りできていたので、
母自身も、まさかこんなに早く症状が進行するとは思ってなかったのかもしれない。
病氣自体の診断2018年頃だったという。
(これを私が知ったのは、去年の12月)
5年くらい、母は、何を思っていたのだろう。
難病「原発性胆汁性胆管炎」と診断され、
いずれは、、、という思いはあっただろう。
15年前の黄疸も、もしかしたらコレが原因だったのかも。
とってもとっても我慢強い母。
最期の日の前日まで自力でトイレに歩いていってたくらい強い人。
医師を驚かせるくらいの強い人。
疲れやすいとか、全身のかゆみとか、何かあったかもしれないけど、
我慢してたのかな。
この病氣はほとんど症状が出ないから、
何事もなく生活が過ぎていってただけなのかな。
普通の生活が続いていただけなんだ。
もっと、長く生きたいとか、
病氣を治したいとか、
思えば叶えることはできたんだろうか?
病氣は「氣」の病というけれど、
もっと魂の本質に沿った生き方を選んでいれば、
病氣にはならず、病氣があっても治すことができたんだろうか。
母の體からのサインを、
母は受け入れきれなかっただけなんだろうか?
・・・
母自身の生き方が本質的な魂の意図に沿っていたのかどうか、
私には答え合わせはできないんだ。
だけど、
私の目の前で起こった現象として、
私がどう解釈して、
私がこれからの生き方に、どう栄養にしていくかは、
私自身が決める事なのは間違いない。
母の生き方が、死に様が、
私に沢山のことを教えてくれて、
氣付かせてくれました。
その事を少しづづ書いていこうと思っています。