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【YouTube】「陸海軍流血史」左翼のように右翼を描くマジメで変な50年代映画

【概要】

重臣と青年将校 陸海軍流血史

【配信期間】 2025/2/14(金)13:00~2025/2/28(金)12:59

【解説】 張作霖爆死事件、二・二六事件、五・一五事件など陸海軍の青年将校による血気盛んな行動をセミ・ドキュメンタリータッチで描いた歴史映画。

【あらすじ】
不況に喘ぐ日本では、首相・田中義一(高田稔)が、 満州を経済・軍事の生命線と考えて積極外交を進めていたが、 張作霖の排日行動によって難航を極めていた。
これを軟弱と捉えた陸軍の急進将校たちは張作霖を爆殺し、これを口実に満州占領を企てるが、参謀長・斎藤少将(高松政雄)に妨げられてしまう。
田中内閣に代った浜口雄幸は、中国との友好外交と軍縮政策を強行するが急進将校や右翼思想家の反感を買って東京駅で狙撃される。
この機に乗じ、橋本欣五郎中佐(細川俊夫)と右翼思想家・大川周明(丹波哲郎)が満州占領と軍政府樹立を計って陸相・宇垣一成(坂東好太郎)へ決起を迫る。
【スタッフ・キャスト】
脚本/村山俊郎 監督/土居通芳  主な出演/宇津井健、細川俊夫、中山昭二、丹波哲郎、三ツ矢歌子、高倉みゆき
1958年公開 モノクロ・シネスコ 79分

本編


【評価】

「2・26」を前に、関連した映画・動画がいくつかYouTubeで公開されています。

これもその一つで、1958年の新東宝映画。


張作霖爆殺事件(1928)から始まって、浜口雄幸銃撃事件(1930)、満州事変(1931)、上海事変(1932)、5・15事件(1932)、永田鉄山殺害事件(1935)、そして2・26事件(1936)までを描いています。

描いているといっても、紙芝居的ですが、そのあたりの事件の順番を、頭に入れるのにはいい映画です。

大川周明を丹波哲郎が演じている、というのに興味を覚えて見始めたのですが、残念ながら丹波の大川周明は、ちょっとしか出てきません。


主人公と言えるのは、5・15の実行犯、橋本欣五郎中佐(細川俊夫)と、2・26の実行犯、安藤輝三中尉(宇津井健)。

とくに「ドラマ」になっているのは、後半の安藤輝三中尉の決起から死刑までの過程です。


日本人は1950年代までは真面目だった、1960年から狂った、というのが私の説ですが、これは50年代の映画なので、大変真面目な日本人が描かれています。

ここで「5・15」や「2・26」を起こす青年将校は、とにかく真面目な善人、と描かれているのが特徴ですね。


でも、1958年公開のこの映画が想定している観客は、右翼ではなく、左翼だと思うんです。

というのも、この青年将校たち、やたら「革命」という言葉を使う。

「腐敗一掃のためには革命するしかない」

「日本を救うために革命しなければ」

私はよく知らないけど、戦前・戦中の右翼青年将校たちは、そんな「革命」って言葉を使ったんでしょうかね。


この映画の「メッセージ」がよくわかるのは、安藤輝三中尉と、彼が師と仰ぐ新聞記者・藤野五郎(竜崎一郎)との会話です。

「革命しかないのでは」と言う安藤に対して、藤野は、

「暴力革命だけは絶対にいかん」

と説教します。

「暴力革命だけはいかん」と言う藤野


これは、1955年のいわゆる「六全協」で、日本共産党が「暴力革命」路線を放棄したことが背景にあるのでしょう。

左翼青年の多くは、その共産党の路線変更に納得できず、柴田翔の「されどわれらが日々」的な鬱屈をかかえていたわけですね。

「暴力革命」を公式には放棄した共産党と、それに反発する青年との緊張。

そういう左翼青年たちのエネルギーが、やがて1960年の安保闘争やハガチー事件を起こすことになります。


この映画が公開された1958年は、「六全協」から「60年安保」の過渡期で、その時期の左翼青年たちの心情を、戦中の青年将校の心情に重ねて描いているのでしょう。戦前・戦中の青年将校は、戦後の一流大学出か、それ以上のエリートです。

つまり、1964年の芥川賞作品「されどわれらが日々」のテーマを先取りしたような映画になっています。


安藤輝三中尉に、「暴力革命はいかん」と説教する、この藤野という新聞記者は、架空の人物です。(その藤野の娘を演じるのが三ツ矢歌子)

安藤がなぜ藤野を師のように慕うのか、藤野というのはどういう人物なのか、それがほとんど描かれていないのが、この映画の最大の欠点ですね。

その藤野が憲兵により拷問死させられることが、安藤を2・26に決起させる動機のように描かれるのだから、その関係が説明されないと、安藤の気持ちが理解できません。


ただ、面白いと思ったのは、藤野が、東郷平八郎の「忍」という揮毫を使って、安藤を説得するところです。

東郷平八郎の「忍」を前に、安藤を説得する藤野


日露戦争の「軍神」東郷平八郎は、5・15事件(1932年)と、2・26事件(1936年)のあいだ、1934(昭和9)年に亡くなっています。

5・15事件と2・26事件の関係を描こうとする、この映画には、都合のいい人物です。


藤野は、「忍」の揮毫を、5・15事件の時に東郷からもらった、と説明します。

そして藤野は、5・15事件の裁判で東郷は「動機のいかんにかかわらず」厳罰を求めた、東郷は何より第二、第三の事件が起こるのを心配していた、と言い、安藤の「決起」を抑えようとします。(映画40:00あたり)


東郷平八郎を使った、その藤野の説得で、いったんは安藤は納得したように見えます。

しかし、東郷が、5・15事件で厳しい処分を主張した、というのは史実に反するのではないでしょうか。

一般には、東郷が情状を主張したから、5・15では決行者に甘い処分しかされず、それが2・26その他を誘発したとされているのではないでしょうか。5・15の処分が甘すぎた点は、この映画でも説明されます。

東郷平八郎を使うアイデアはいいのですが、史実とかけ離れているように見えます。このあたり、私も詳しくないけれど、映画の中で説得力を欠く部分だと思います。


結局、安藤らの2・26決起は失敗し、仲間は自決しようとしますが、安藤は「まだ法廷闘争がある」と、仲間を諌めます。

この「法廷闘争」なんて言葉も、いかにも左翼的だと思います。


上に指摘したように、この映画はあまりにチグハグで、筋がとおりませんから、当時の左翼の観客にも受けなかったと思います。

でも、少なくとも1950年代の日本人には、まだ戦前戦中の人たちへの共感が生きており、戦前の右翼と、戦後の左翼のあいだの精神的なつながりについても、ある程度了解されていることがわかります。


この1958年の時点では、朝鮮特需も落ち着いて、高度成長はまだ始まらず、日本は貧しく不安な時期でしたからね。

でも、60年安保の挫折と、高度成長の始まりで、この映画で示されたような日本人の精神は失われていきます。



<参考>


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