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共に暮らす共に悩み文化を超えた居場所づくり

インドネシアを知る㉗【1,208字】

共に暮らす共に悩み文化を超えた居場所づくり


 帯広シュアハウスの居間の絨毯を自分たちでカーペットに取り換えました。

 インドネシア人青年とベトナム人青年と私が共同生活をするシュアハウスです。

 事務所犬ミサの居場所がインドネシアからの青年の意見よりなくなってしまうことがありました。些細なことに映るかもしれないですが、このことについて悩んでいました。

 コーランには確かに犬に関する記述があります。ただ、イスラム教徒、ムスリムが犬を忌み嫌うべきだという明確な命令ではないと私は結論として考えています。

 イスラム教の教えの中では、犬は一部の状況で不浄とされる動物として扱われますが、犬に対する扱い方や見方は地域や解釈によって異なると思います。

 イスラム教の伝統的な教義において、犬が「ナジャース」(ritually impure、不浄)とされるのは、主にその唾液や排泄物が宗教的に清浄な状態を保つ上で問題になるという点だと思います。

 イスラム法(シャリーア)では、礼拝のための清潔さが強調されており、特に犬の唾液が不浄であると考えられ、犬に触れた後は浄化(ウドゥー)が必要とされています。

 しかし、これはあくまで宗教的儀式における清潔さの問題であり、犬そのものを憎んだり卑下したりすることを推奨するものでは決してないと思います。

 イスラム教には動物の保護や慈悲を強調する教えもあります。

 私が調べてきたところでは、預言者ムハンマド(PBUH)は動物に対して慈悲深く接することを説いていて、飢えた犬に水を与えた者が天国に行くという有名なハディース(預言者の言葉や行動の記録)さえもあります。

 この教えから、イスラム教徒の多くは動物に対して善良であるべきだという考えを持っています。また、そうあるべきなのだと感じています。

 現代におけるムスリムの犬に対する態度は、地域や文化によって大きく異なります。

 一部のイスラム教徒の中には、宗教的な理由から犬を家庭で飼うことに抵抗を感じる人もいますが、これが犬を「忌み嫌う」べきであるということを意味するわけではないと考えています。

 特に日本のようなペット文化が発達した国においては、犬を愛するムスリムも多くいると感じてきています。

 また、イスラム教の法学派によっても犬に対する扱いは異なります。一部の法学派は、犬をガードドッグや狩猟の目的で飼うことは認められていますし、ペットとして飼うことに対しても柔軟な解釈を持つ派もあります。



 今日の時点のまとめとして、イスラム教の教えに基づいて犬を嫌うべきだという考え方は、一部の解釈に基づくものであり、すべてのムスリムに適用されるものではないのだろうと思います。

 現代の日本におけるペット文化の中で、犬を愛し、慈しむことは宗教的な禁忌ではなく、イスラム教の慈悲の精神とも両立分かり合える共生のひとつだと思っています。



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