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空想旅行

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日常視点編集
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#ものづくり

人間的なコミュニケーション

今年に入ってから「メディア」というものをじっくりと観察をしています。 インターネット、SNS、ラジオ、メールマガジン、本、そしてごく偶にテレビといった感じです。その中でも想像するスペースが大きいものが自分は好きなのだろうなと思います。特に本に至っては、1月からざっと計算してみると25冊は読んでいたようです。この数字が多いのか少ないのか分かりませんが、本はやっぱり想像が出来て面白いです。 * さて先日、妻がオンライン書店「west mountain books」をオープンさ

感謝との出会い

人生で初めて漫画というモノを読みました。小さい頃から漫画を読む習慣もなく、友達が読んでいても、読みたいと思ったことも特にない幼少期を過ごしていたこともあり、海外の方が日本の文化と言ったら「漫画」「サムライ」「寿司」というように象徴的なモノであるにも関わらず、そこを通らずに大人になってしまったみたいです。 初の漫画で何を読んだかというと「風の谷のナウシカ」でした。ジブリの映画はもちろん観たこともジブリ美術館にも行ったことがあるくらい好きでしたし、最初の映画の作品ということもあ

言葉の体験

最近目が特に疲れています。その理由はビデオ会議システムを使ったオンラインMTGが以前の数倍に増えたせいかもしれません。先週末にも次号のマガジン a quiet dayの取材でzoomインタビュー?なるものを実施しました。こういうオンラインMTGが増えていくと、今まで体験したことのない状況に興奮を覚えるのと同時に、これまでリアルに人と会って対話をしていた時のコミュニケーションの中で言語以外のうなずきや表情だったり、空気感など、つまり非言語のコミュニケーションを含む言語体験がとて

意味の場

 毎朝、朝食に欠かせないモノは、コーヒーと緑茶です。自分の変わったルーティーンなのですが、この二つを飲まないと、どうも調子がイマイチになってしまいます。もともとはコーヒーを飲んだ後に口の中に残る酸味と苦味が入り混じった感じを、緑茶で洗い流すくらいの気持ちで飲み始めたのがきっかけなのですが、どうも含まれる成分を少し調べてみると、コーヒーのカフェインの覚醒作用で目が覚め、緑茶のテアニンで気持ちが落ち着いた効果があるそうです。つまりは寝ぼけた体や頭を飲み物で「上げて」「下げる」みた

クラフト的な関係性の世界で

自分は小さい頃からあまり人とつるむ方ではないのですが、そのことを実家に帰った時に親や兄弟たちに話すと、みな同じく、つるまないようなので、これは歴とした遺伝のようです。 ここ最近の自宅待機の中でも、中には友達と会えないことがストレスの原因になってしまっている方もいるそうですが、普段の生活でそこまで会食などもあったわけではない自分にとっては不自由なく過ごしています。 なるほど。では、あなたは、友達は少ないのですか?と尋ねられても、そうとも言い切れないのです。友達がどういった定

いつかの未来から見た原風景

新型コロナウイルスの蔓延に伴い、ヨーロッパ各国がロックダウンを実施しています。マガジンa quiet dayでいつも取材をしている北欧の各国も例外ではなく、多少なりとも経済活動のスピードを緩めざるを得ない状況も多いようです。各国政府は今から1ヶ月ほど前からこのロックダウンを進めていたのですが、ちょうど4月に入った頃から次号のマガジン a quiet dayの取材先でもあるクリエイターたちにメールで連絡を送ってみると、どうやら彼ら彼女らはリモートワークで事足りる場合は、サマーハ

モノをよーく見よう!

見るということはどういったことでしょうか。 昨年から今年にかけて様々な場所でマガジン a quiet dayとそのマガジンでフォーカスを当てたクリエイターたちのプロダクトを扱ったポップアップを開催していたりしていると、こういうことを常に考えています。見やすいディスプレイ。アッと驚き、気持ちが動きやすいディスプレイ。工夫や前回の反省などを踏まえた商品量や全体としての色のバランスを取ってみたりと試行錯誤なのですが、思考をフル回転させている時間は、少し心地よさを感じたりもします。け

美しい買い物

美しい色。美しい形。美しい人。 これらがあるように、美しい行為というものがあると思います。 その中で最近特に考えるようになったのが、誰かから誰かに何かを売り買いするという行為。今回はそんな美しい買い物について考えていきたいと思います。 * あなたは、最近何を買いましたか?その買った物はどこで誰が作ったか知っていますか? とても当たり前のことですが、全ての物は誰かの手で、もしくは誰かの目や手がかけられて作られています。機械を使って作られていたとしても、そこには誰かの何かの意

モノのみかた

長い旅から帰って住み慣れているはずの自分の家に足を踏み入れた途端、すごく違和感に襲われたことがある。部屋がとても小さく感じられるのだ。もともとそんなに大きくない家に住んではいたが、非日常の世界から日常になった瞬間に椅子や机、ベッドなど目に入る全てのものが小さくなってしまったように感じる。物理的にはもちろん少しもサイズは変わっていないのだが、自分が長旅の経験や感動、そして道中の疲れが、ありもしない小さな世界へと足を踏み入れてしまった錯覚を引き起こしているのかもしれない。 それは

計画と妄想力

北欧のクラフツマン、アーティスト、ギャラリストと、秋の始めにデンマークの首都コペンハーゲンで開催を予定しているエキシビジョンに向けて、徐々に話始めている。今回のエキシビジョンは、2018年2019年と二度に渡り来日したデンマークのアーティストとクラフツマンを自分がアテンドし、日本国内の様々のクリエイターに一緒に会いに行き、意見交換をしてきた。その経験をアートとして昇華させ形にしていくエキシビジョンである。 * 日本人は緻密に計画を実行することが得意のようだ。それは

干し草を、分け合う。

みなさんは北欧のヴァイキングと聞いてどんなことを思い浮かべるでしょうか。 強奪、暴力、占領などという弱いものに対して力でねじ伏せてしまうような怖い印象を持っている方も多いと思います。 しかし実際のヴァイキングの姿は、そんなイメージとは少し異なる側面も持っていたそうで、そこから少し思考を広げていきたいと思います。(もちろん、上記に挙げたイメージなどもあるのでしょうね。) * 今から1200年前のヨーロッパは、ヴァイキング時代と称されるようにスカンジナビア半島を中心に航海勢力

座標感覚とメディア

一人暮らしを始めてから家で植物を育てるようになった。 実家に居た頃には、家の空間に植物があることに何も感じなかったけれど、自らが家の空間をコーディネートする側に立たされると、静的な家具類を置くだけで、生活は出来るけれど、少し息が詰まってしまう感じがする。 そこでコーヒーの木、金の生る木、そしてルバーブを育てているのだが、先週ごろから陽射しが春に近づいていくにつれ、植物たちの双葉がどんどん出てきているので、これから一層、暖かくなって大きくなってくるのが楽しみである。面白いもので

機能的価値から情緒的価値へ

今週の前半で長野県の松本市と諏訪市に旅をしてきました。 東京から3時間ほど離れた場所なのですが、日本アルプスに囲まれた土地に足を踏み入れると何気ない空気の美味しさや光の差す角度などが異なっていてとても新鮮です。 昨年鎌倉のあるお寺を散歩している時に、そこで働く庭師の方が「例えば人生がお鍋に入ったお湯だとしたら、日々の生活を営んでいるとどうしても吹きこぼれそうになる場面もあると。たまには、お鍋の蓋を外してガス抜き(湯気抜き?)をする必要があって、日常から少し離れて見ることが大事