言葉の体験
最近目が特に疲れています。その理由はビデオ会議システムを使ったオンラインMTGが以前の数倍に増えたせいかもしれません。先週末にも次号のマガジン a quiet dayの取材でzoomインタビュー?なるものを実施しました。こういうオンラインMTGが増えていくと、今まで体験したことのない状況に興奮を覚えるのと同時に、これまでリアルに人と会って対話をしていた時のコミュニケーションの中で言語以外のうなずきや表情だったり、空気感など、つまり非言語のコミュニケーションを含む言語体験がとても重要だったことに気付かされます。同時に、リアルの会議などで蔓延する同調圧力などはオンラインになることによって、軽減した気がするのは私だけでしょうか。
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やっぱり日中、目はPCのスクリーンに時間を奪われていることが多いので、ラジオを何気なく聞いています。すると「浪曲師」という職業の方がゲストで出演していて、浪曲を披露していました。
浪曲というのは、明治時代初期から始まった演芸で「浪花節」(なにわぶし)ともいうそうです。三味線を伴奏に独特の節と語りで物語を進める語り芸を一つ30分ほどで行ないます。戦後の隆盛後、落語、講談、浪花節と並び称された演芸でしたが近年は急速に衰えてしまったそうです。
日本語というのは、音で形成されている言語ということもあり、文字で書いたら大したことのない物語量でも三味線の音に合わせた独特の浪花節の語り口調でその物語を聞いていると、物語の世界に自分が入ってしまったように映像が浮かんでくる体験をしました。「浪曲師」曰く、セリフを長く伸ばして発声することで台本のト書きにあるような情景を言語体験として表現できるそうです。
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そんな浪曲体験がありつつ、今はドミニク・チェンさん著「未来をつくる言葉」という本を読み進めています。そこで書かれているのは、わかりあえないモノとどう繋がっていくかということを言葉を軸に読み解いている内容になっているのですが、この中でも大きな気付きがありました。
それは、人間と他の生物との大きな隔たりの一つに自然言語を使用するところという点です。言葉が生まれると記憶が生まれ、記憶が生まれると過去が生まれ、過去が生まれると時間の概念を理解するという論調で、さらにその言葉はその土地の生活習慣、文化が反映されているので、言葉自体は世界を表現していると言っても過言ではないそうです。マクロでいうと言葉は世界(文化)を作ると言えますし、ミクロで言えば、言葉は自分自身を形成するものとも言えるかもしれません。先の浪曲もこの言葉の原則を利用したことなのでしょう。
気軽に友達、同僚などと無駄話がある日を境に出来なくなってしまったこの時期だからこそ、もう一度自分の言葉で世界を表現し、その表現のバトンを他者が受け取り対話し、共鳴することでさらに表現するという人間が無意識のうちにごく当たり前にやっていた循環をこれからどう作っていけるのかということを、オンラインMTGで疲れた目をこすりながら考え続けているのです。
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