干し草を、分け合う。
みなさんは北欧のヴァイキングと聞いてどんなことを思い浮かべるでしょうか。
強奪、暴力、占領などという弱いものに対して力でねじ伏せてしまうような怖い印象を持っている方も多いと思います。
しかし実際のヴァイキングの姿は、そんなイメージとは少し異なる側面も持っていたそうで、そこから少し思考を広げていきたいと思います。(もちろん、上記に挙げたイメージなどもあるのでしょうね。)
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今から1200年前のヨーロッパは、ヴァイキング時代と称されるようにスカンジナビア半島を中心に航海勢力を広げていました。それは海洋エリアだけではなく、ヨーロッパの大陸まで進出していたそうです。今から10年ほど前に学生時代のモラトリアムの期間を利用して放浪していた旅先のベルギーの古都ブリュージュを訪れた際に、街に点在する風車の塔の先にヴァイキングの旗が掲げてあるのを目にすることがありました。話を聞くとその当時ヴァイキングたちが占領した土地にマーキングのような意味を込めて旗を掲げていて、それがいまだに残っているとのことでした。
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彼らはどうも「商人」としての側面を多く持っていたそうです。当時の航海の成果というのは、自分たちの国の王様に対し、他の土地のモノを献上することで評価を得て地位が上がったそうで、自分たちの評価を上げるためにも、長い航海を経て寄港地に到着すると、そのリーダーがその土地の頭首と交渉を始めます。
仮に交渉が成立した時には、その船舶の乗組員である部下たちを率いて、その土地の人たちとマーケット(=市場)を開いて、多くのモノとモノを物々交換してビジネスをしたそうです。そしてその反対の交渉が決裂の場合は、お察しの通り、航海の手柄を得るために略奪や強奪などを繰り広げていたそうです。
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現代の北欧の人たちと関係性を築いている中で少なからずこのマインドセットは残っているような気がします。何かコトを行なう時に、自分たち一人一人が持っているものを惜しみなく出し合って、そこから何が出来るのかを考えていく考え方。まさに現代版のマーケットといったところでしょうか。(現代なので、強奪や略奪などといったことはないですが、やっぱり何も持っていないと相手にされにくいのではないでしょうか。)そして互いに何を持っていて、何が不足しているか、そして相手に対してどんなコトをしてあげられるかがはっきりすると、徹底的に良くしようとしてくれます。まさに利他的な精神で向き合ってくれるのです。
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この利他的な考え方は、ヴァイキング時代の価値観に紐づいています。
さて、北欧のヴァイキングの干し草の話があります。
Aさんは干し草の蓄えがたくさんあったとしましょう。そしてBさん。彼は痩せ細った土地しか持っておらず、干し草の蓄えに限りがありました。そしてAさんとBさんは特段親しい友達ではないという設定です。Bさんはどうしても干し草が必要としていて、ある時Aさんに自分が持っている布と干し草を交換して欲しいと願い出ました。しかしAさんは特段布を欲していないので、その申し出を断るとします。
現代の資本主義的な考え方からこのやりとりを考えてみると、需要と供給がマッチしていないのだから交渉が決裂しても仕方がないと考えられます。しかしこのヴァイキング時代ではどうだったかというと、このAさんは持っている干し草をBさんに分け与えるべき、と社会のマインドとして考えるそうです。なぜなら利己的な判断は孤立を生むと考えられます。
要は、AさんはBさんに余分な干し草を分け与えなかったことにより他の人たちから軽蔑されてしまい、結果として社会から孤立してしまう可能性が高くなります。ヴァイキング時代の北欧は今よりも生活環境が厳しく、特に冬などは暖を取る環境が限られていることもあり、社会から孤立してしまうということは、死に近づいてしまうということでもあったのです。そのため、他人に分け与える利己的な行動が社会の中で孤立しないための方法の一つとして現代の北欧の人たちに引き継がれているのかもしれません。
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今、自分たちの行動を振り返ってみて、利他的な行動を日常の中でどれだけ行なえているのでしょうか。
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