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クラフト的な関係性の世界で

自分は小さい頃からあまり人とつるむ方ではないのですが、そのことを実家に帰った時に親や兄弟たちに話すと、みな同じく、つるまないようなので、これは歴とした遺伝のようです。

ここ最近の自宅待機の中でも、中には友達と会えないことがストレスの原因になってしまっている方もいるそうですが、普段の生活でそこまで会食などもあったわけではない自分にとっては不自由なく過ごしています。

なるほど。では、あなたは、友達は少ないのですか?と尋ねられても、そうとも言い切れないのです。友達がどういった定義にもよりますが、割といる方だと思います。特に海外(北欧)の友達の方が多い気がします。というのも自分がマガジンa quiet dayを作り始めた時から他者との関係性については、深く考えてきたテーマの一つでもあるからです。


友達、知り合い、知り合うということはどういうことなのでしょうか。ちょっとだけ挨拶程度に顔を合わせたことのある人、同じコミュニティーで顔を知っている程度の人、実際には見たことすらないけれどSNSなどを通して知っている人。どれもが世にいう「知り合い」にあたると思います。けれど自分の中では「互いに知り合う、理解し合うことが出来た人」が知り合いなのだろうと考えています。

マガジン a quiet day で相手や物事の関係性について考えてきたのは、まさに自分がゼロベースで物事をスタートしたことに由来しているところからだろうと思います。今でこそ、過去に発行したバックナンバーのシリーズが手元にあるので、初めましての方でもマガジンを見ながら、自分がどういったことをしたいのか、どんなことを編集して読者に伝えていきたいのか、または一緒に考えていきたいのか、ということを言語化しやすい状況にあるのですが、初めはもちろん手ぶらの状態でした。持っているものといえば言語化も出来ていない“偏った”情熱だけ。それを持って様々なクリエイターたちと会話を重ね、その想いを共有し共感してもらうところからスタートしていきました。熱量を思いっきりぶつけるやり方も、勿論あるとは思いますが、自分が反対の立場だった時、逆に退いてしまうので、どこかのカフェやクリエイターたちのアトリエの中で立ち話のような雰囲気の中でそれらを伝えていることがほとんどです。そして、自分の話だけでなく、彼ら彼女らが思い描くビジョンとそこに自分がどのように貢献できるのかということをイメージしながら会話をしていき、目に見える形として現れていない部分を互いに掘り起こし明らかにしていくまさにクラフティングして知り合っていくのです。


こういった視点で5年ほど様々な人たちの関係性を築いていると、このスタイルが自分の考え方の基礎になってきている気がします。つい先日も九州の福岡でカフェを営んでいる珈琲花坂さんからわざわざオンラインでコーヒー豆を自宅用に購入してみました。出来合いのコーヒー豆なら近所のスーパーでも手に入る時代ですが、福岡に出張の際は必ず立ち寄るカフェとの関係性を継続したいという気持ちやカフェの雰囲気、そして足を運んだ時は必ずコーヒーと一緒に食べ合わせるガトーショコラに思いを馳せるためでもあります。(実際宅配はコーヒー豆だけでガトーショコラはありませんが、世界で一番美味しいと思っています。)まさに空想旅行をするためでした。


さて、これからの世の中を考えた時に、縦軸にリアリティ(人間性)、横軸に輸送コストをとった2軸で考えてみたときに、大きなモノ、特に人の移動ということは数ヶ月前の状況に比べリスクやコストがものすごく大きくなるであろうことが予測されます。

輸送コストやリアリティが小さい例として「情報」などは、時間が経つにつれて身体的体験を欲するようになってくることが考えられます。(こちらはこちらで身体的体験を経験出来る情報技術が進んでいくでしょう。)

リアリティ(人間性)が大きく輸送コストがそこまでかからない食べ物、本、生活雑貨等、総じてクラフト的なモノ、かつより良く生活できるモノが精神的にも大切になってくると僕は考えています。今まで普通に行なってきたことにリスクやコストがかかる時代に突入したような気配がしています。人との繋がりや関係性、それらが記憶や経験と結びつくことで楽しい日々を過ごすという、今まで使ったことのない思考や楽しむ力が今、試されているように感じています。

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