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#08 音楽史③ 中世2

この音楽史のシリーズはこちらにまとめてありますので是非フォローしてください。今回は10世紀ごろからのお話になります。日本は平安時代真っ只中ですね。

前回までの勢力図

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当時アラブ・イスラム軍が勢力を増す中、ヨーロッパの辺境、ローマ・カトリック教会側では「農奴、聖職者、貴族」の階級社会で、封建制・荘園制が成立していました。

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修道院が生まれ、「祈れ、働け」のいましめの下、厳格な戒律で厳しい生活を指導していました。そんなローマ教会下で歌われていたのが聖歌です。

キリスト教の聖典は基本的に不可侵とされていたのですが、

注釈や装飾は許される」

という発想によって、それまで単旋律のお経だったところに、オルガヌムというハモりが加わりました。(多声化)

メモ程度だったネウマ楽譜も
[歌詞に記号] → [ 1本線+記号] → [ 2本線]
というふうに進化していきます。

そして、変えることができない聖典部分よりも、自由であったオルガヌム声部のほうが発達していき、いわば「主客転倒」して、ハモリのはずだったオルガヌム声部のほうがメインになってしまいます

このころにはネウマ楽譜が4本線になっています。グイード・ダレッツォ (992~1050頃)という人が記譜法のテキストを残し、その中にドレミ・・・という呼び方がはじめて登場しました。



11世紀~13世紀

さて、多数の民族・王朝が連なっていたイスラム帝国のほうですが、1038年にトルコのセルジューク朝がバグダードに侵攻し、トルコ人がイスラムの実権を握るようになります。

1071年には聖地エルサレムに到達。

勢力図が脅かされてきたビサンツ(東ローマ)の皇帝が
「キリスト教の巡礼が妨害される!」(されてない)
と、かなり誇張して西ローマ教皇に相談。
東西キリスト教徒が合同して、十字軍を結成、
第一回1096年から約200年間、しつこく遠征して
イスラム人やユダヤ人を虐殺しに行きました。

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http://www.med.akita-u.ac.jp/~doubutu/matsuda/kougi/JALASinOkayama/kougi/jujigun.html



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そんな感じのこの時期はゴシック期。ゴシック建築のノートルダム大聖堂が
1163に着工、1245年に完成します。

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(日本では鎌倉時代に突入ですね。)

ここではノートルダム楽派が活躍しました。長く引き伸ばしたグレゴリオ声部を下に置き、上に動きのある旋律を置くというスタイルで、2声→3声→4声へと、徐々に豪華になっていきます。音の長さやリズムも書き記す必要が出てきたため、ネウマ楽譜は歌詞よりも楽譜部分のほうが重要になりました。

レオニヌスさん

ペロティヌスさん

の2名が、作曲家として個人名が残っています。


13世紀後半には、それまでの、聖職者しか読み書きできなかった聖書の言語であるラテン語ではなく、みんながわかるフランス語の歌詞も乗るようになります。これをモテットといいます。

一方、アジアからは騎馬民族が弦を弓でこするタイプの楽器(擦弦楽器)がもたらされ、ヨーロッパ各地の民族楽器としてフィドルが定着します。これがバイオリンのもとになります。



14世紀

教会の堕落が指摘されるようになっており、
さらに十字軍失敗により、教会の権威が失墜。
さらにペストが大流行して多くの人が死亡。
ローマ教会は人々に「異端審問」「魔女狩り」といった弾圧を始めます。
混乱が続き、「暗黒の中世」となります。

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(日本は室町時代に入るころですね。)


封建領主や騎士階級は没落傾向、都市貴族が支配の中心となっていきます。
そんな中で、教会で発達してきた音楽も、教会から独立傾向へ。
「アルス・ノヴァ(新芸術)」と呼ばれます。

アルプス山脈の向こう側で混乱が続く・暗黒中世ですが、一方でアルプスの手前側では、十字軍時代に北部イタリアが地中海の経済圏を確保し、港湾都市・貿易都市のベネチア・ピサ・ジェノバ・ミラノ・パビアなどが発達。王侯や貴族ではなく富裕商人が治める都市国家が発達し、すでにルネサンスが開始しています。

画家や詩人などの分野でダンテ、ペトラルカ、ボッカチオ、ジョットーが有名ですね。



トルコ軍楽隊の発生

さて、トルコ人ですが、権威の失墜した西洋を横目に、1299年に「オスマン帝国」を成立。みるみる勢力を拡大していきます。このオスマントルコでメフテルという軍楽が発達します。

ズルナ(チャルメラのようなラッパ)、ボル(ラッパ)、ナッカーレ(太鼓)、キョス(太鼓)、ズィル(シンバル)といった楽器が多く使われました。従来の西洋音楽史では重要視されていない部分ですが、このトルコのリズムから西洋の軍楽、行進曲、そして吹奏楽へとつながっていくため、現代の音楽にとって非常に重要なルーツといえると思います。

オスマン帝国は1453年に、とうとう1000年以上続いたビサンツ帝国を滅ぼし、キリスト教世界に大きな衝撃を与えることになりました。


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