まるみ 黒猫 我が家の3人目の猫、首に白い模様のある月輪猫。 知り合いに、もらってくれと頼まれた。 うちでは、頼まれて保護したおっさん猫を亡くして1年2ヶ月ほど経ったところだった。前の飼い主がなんでも食べさせた為、体が弱く獣医さんの世話になってばかりいたが、推定7歳くらいで逝ってしまった。 こんな時に、猫をもらってと言われるのは、何かの縁、引き受けることにして、1ヶ月になる頃うちに来た。2006年のこと、まだ尻尾が、子猫特有の先が細くなる形で、みいみい鳴く声は、かわい
みらい 闖入にゃん そして引越し 三毛猫の女の子、蝶よ、花よと可愛がられ、おっとりと箱入り娘で育っていた猫、一歳になろうかという頃、みらいに試練が訪れる。娘がクラスメイトから頼まれて、2匹目の猫を保護することになった。 5歳くらいの、おっさんりえる お嬢さんと、おっさん、この2人は、結局最後まで打ち解けることなく、お互いに無いもののように喧嘩するでもなく、仲良しにもならず、おっさんりえるの方が身体を壊して先に逝ってしまった。 今でもよく覚えていることが有る、人に慣れてい
ヒュウガの左足は、雲外蒼天 うんがいそうてん 実はこの言葉、手持ちの広辞林(1983年出版)と広辞苑(1955年出版)には用例が無く、ネットのgoo辞書に、雨雲の上には、青空が広がっている。今ある苦難もやがて去って良いことがあるだろうという例え。と記述がある。 例えば、四面楚歌の様に出典がはっきりした言葉では無いらしいが、積極的な意味が好まれて、最近よく使われているらしい。 ヒュウガ様素敵なコピーをつけているのね、幕府もミカドも排除したヒュウガの世は、果たして良いことが
みらい 過ごした日々 2002年の10月にやって来た猫、みらい サイエンスダイエットを食べて、すくすくと育った。色々な初めてがあった。 初めてのプリンター、驚かそうと思ったわけではないのだが、プリンターの脇で遊んでいたみらいは、ガコガコと動き始めたプリンターに文字通り飛び上がった、大笑い、でも驚いたのは一回だけ 初めてのピアノ、鍵盤の上歩いてみる?と抱き上げたら、自分から前足を鍵盤に勢いよくついて、パーンと音がしたら驚いて2度とピアノに近寄らなくなった。 初めての毛糸玉、
みらい 出会い 我が家の最初で最後の猫、2002年10月にやってきて2022年6月まで、長生きした みらいは、コンサートホールの楽屋口にダンボールに入って置かれていた。その日ホールで池辺晋一郎さんが作曲したオペラ「てかがみ」が上演されていて、その頃手伝っていた地元の少年少女合唱団をオペラに出演させるために、会場に行っていた。 小さな猫がみいみい鳴いているの、かわいねと見る人はいても、拾っていこうという人は現れない、私も猫を飼ったことが無くかわいいと思いながら、そのままだ
バサラオ、衣装も素晴らしかったけど、ヒュウガのズボンに書いてあった文字、気になりますよね? 配信を必死で観て多分 天狼欲沍稀明滅 雲外蒼天 と、読み取った。 今回は、天狼について、ネット上で見つけた随筆をもとに得た知識を書く、こういう場合参照元を書かなくてはいけない気がするので、巻末に記します。もうお芝居には何の関係もありません。 天狼欲沍稀明滅 (天狼沍えんと欲して稀に明滅す、てんろうさえんとほっして、まれにめいめつす)は、山月記を書いた中島敦の漢詩の一節です。中島敦
バサラオ、無事の大千穐楽、おめでとうございます。 色々な方の、SNSの投稿を見ていると、いかに自分が見ていなかったと思い知らされます。皆さんすごい。このままだと、更にどんどん忘れていきそうで悲しい、しかし、ネタバレと言う物があり、千秋楽までは余り色々語らないほうがいいらしい。でも、今ならいいだろう。吐き出せなかった想いを箇条書き、順不同で書き連ねるだけの記事です。 観たのは、8月の明治座、9月のライブビューイング夜の部。大千穐楽の配信。投稿は、大千穐楽後にします。 ◯中
劇団新感線の舞台バサラオ、素晴らしい舞台が公演中。9月7日のライブビューイングを観て、舞台と合わせて4回の観劇となった。衣装が素敵すぎて、素人の戯言で衣装に名前を付けたくなった。 これも、ネタバレになるのかも知れないので、要注意、要注意 2回言った ヒュウガ 順不動で、未知との遭遇、ベルサイユの西部劇、 耳無し芳一、雪の女王、黄金の蘭陵王、 血塗られたパパゲーノ 華やかだった! 特に好きなの黄金の蘭陵王。元々陵王は雅楽の演目で、赤い装束で、面を着けて舞う。それにまつわり
バサラオを観る前に、登場人物を考える (ネタバレするのを嫌う方は読まないでください) わたしは、言葉>映像>音と物事を認識しているような気がするので、観劇に行く前に読めるものは読んでから行く、じゃないと話が分からなくなってしまう。 さて、バサラオは劇団新感線による南北朝時代のヒノモトを舞台にしたピカレスクロマンということで、華やかな舞台を楽しめばいいのだが、一回の上京で味わい尽くそうと思うと、自分には事前の予習が必須。粟根まことさん推奨の太平記と戯曲本を読んでみたが、何と
りえる りえるが我が家にやって来たのは、2003年の初夏、高校生の娘がクラスメイトが一斉送信したメールを見て、ネコを保護してもいいかと聞いてきた。うちには、すでに1歳半くらいになる先住の三毛猫がいた。 1匹が2匹になっても同じこと、承諾した。 その猫は、クラスメイトの近所のおばあさんが、高齢のため飼いきれなくなってしまい放棄してしまった子を、保護したもの。タオルを敷いた段ボールに入ってやって来た。「名前は、りえる、女の子だよ」と言って置いて行った。ちょっと見ただけでも、ノ
当地は甚大な被害が出ている石川県でなく、新潟県、震度は5強だった。 テレビなどで観る被害の様子はお気の毒でならない、 せめてもの気持ちで、義援金の寄付をした。 当地は、過去地震で大きな被害が出たこともあり、余震があるたびに心が掴まれたようになり、苦しいような気がする、そんな時は書く事により気持ちが落ち着くという経験が有るので、ダラダラと書かせていただきたい。 家を出る時に、持っていた携帯が地震速報特有のギュンギュンという鳴り方をしたので、部屋に戻りテレビを見たら石川県で震
この地震は2004年10月23日17時56分、旧山古志村が全村避難になったり、旧川口町で震度7を記録したり大きな被害が出た。 私は当時音楽教室の仕事で、仕事場にいた。震度5弱で揺れたと同時に全市で停電し、しかも余震がとても多く はじめの揺れが収まり他の講師さんや生徒さん達と外の駐車場へ避難しようかと相談している間に次の揺れが来た。 迎えに来ている保護者の方にお願いして、手分けして生徒さんを送ってもらう算段をしてから歩いて直ぐの自宅に向かった。その時に、電気ポットのコンセント
ミュージカル ルードヴィヒ ベートーヴェン ザ ピアノを観た DVDも買った。 ベートーヴェンの生涯を、ベートーヴェンの音楽と共にというフレーズも踊っていたが、 メインの旋律は現代の作曲家によって新たに作られたもので、どちらかと言うと、ポピュラーソングのようなアプローチで作られていると思う。 いずれ、第九のテーマを変奏曲として昇華したような操作を期待してはいないから、旋律にベートーヴェンの影がないのは仕方がない、たまに超有名な旋律がからむが、きっと誰もが思いつく手法、その
ベートーヴェンは、何十年も前に第九交響曲の合唱に参加した時から、特別な存在だった。当時はネットも何もないが、レコードの解説や音楽辞典を読んで、第九を作曲した経緯を調べた。それから、チェロを弾くようになり、何回第九を弾いたかな。 合唱と4人のソリストが入る4楽章は変奏曲、あの有名なテーマが出てくる前に、そのテーマが一旦溶解して溶けてしまった様な断片をチェロとコントラバスが、次々と演奏する、そして、1.2.3楽章のテーマにも触れて、やっと有名なテーマに辿り着く。 最初は、チェ
まず、幸いだったのは冷蔵庫と食器棚が倒れなかったこと。建物や地盤の関係か、倒れたお宅もたくさんあった。 揺れた時に家に居た主人によれば、食器棚の戸が開いて食器が一部飛び出して、向かい合わせの冷蔵庫も扉が開き、物が飛び出し停電しなかったのでドアが開けっぱなしの警告音が、ピーピー鳴っていたそうだ。なんか、シュールだ。 その時大量にしまってあったラッキョウの酢漬けと麺つゆが床で混ざり合い、なかなかの臭いだったことを覚えている。ぎょっとしたのは、台に置くタイプのガスコンロが、ずり
2007年の地震で、震度6強に見舞われた。中には家や家族を失った方々もいて、お気の毒だった。 うちは揺れでサッシが歪み、建て付けが悪くなり窓を閉めても1センチほど隙間ができたくらいの被害だったが壊れたものもある。 まずTV、2台ダメになった。一つ目は居間の台から落ちたブラウン管TV、当日は映っていたが、だんだん映らなくなった。二つ目は、縦50センチ、横1メートほどの大きなブラウン管TVで、高い台に乗ってグランドピアノを弾きながら見ることができる様な位置に置いてあった。 家