シェアハウス・ロック2403中旬投稿分
改めて『ぼけと利他』(伊藤亜紗/村瀬孝生)0311
『ぼけと利他』を読みながら、この本のわかりにくさを解決するヒントになるかもしれないと思った箇所には付箋をつけた。16箇所に付箋がついた。こんなに付箋をつけた本は初めてだ。
つまり、今回から、中身に入るわけである。
言い忘れるところだった。以下、数字は付箋をつけた番号で、よって数字そのものには特に意味はない。それに続く文章は『ぼけと利他』から抜き出したもの、最後のカッコ内はその文章を書いた人のお名前である。
1 介助には避けられない「さわる」「ふれる」が伴います。どちらも大なり小なりの抗いがある。抗いの訴えることは「してほしい」ではなく「してくれるな」です。「するな」という要求。まず、それに応えることが僕たちの「する」ことになる。(村瀬孝生)
なんだか禅問答のようだが、これはわかる。「するな」にまず応えること。これが「介護をする」よりも重要なことであり、その先に介護の本質があるということだろう。このあたりは、「わかりにくさ」の「芽」のようなものである。
相当にぼけが進んだお婆さん、アイ子さんと村瀬さんは毎朝隣合わせに座って、アイ子さんと「交感」する「儀式」をする。アイ子さんと目を合わせ、村瀬さんはアイ子さんのマネをする。
2 そんなことをやっていると、徐々にアイ子さんの気分が上向きになっていくのが伝わってきます。「うわ~」とか「あら~」、「そうそう」と文脈にならない言葉が飛び出し始めます。顔もほころんでくるので、僕もアイ子さんとつながった気分になります。(村瀬孝生)
これは、「同期」ということである。「共振」と言ってもよい。私なんかには、こういう言葉を使ってもらったほうがわかりやすい。「介護する」ということは、「介護される」側ができないことをやってあげることではなく、「介護される」側の感情、心情に沿うことが最重要であると村瀬さんはおっしゃっているんだろうと思う。
生後間もなくの赤ちゃんと目を合わせる。こちらが笑う。可愛いから、自然に笑う。そうすると、赤ちゃんもこちらの笑いに応え、笑う。人間には、そういう機能が埋め込まれていると思う。思うというよりも、信じたい。アイ子さんの例も、こういったことのはずだ。
『ぼけと利他』の話を初めてした回で、「『介護』なんぞと軽々しく言うと、村瀬さんには『それはちょっと違う』と言われそうな気がする」(0305)と申しあげたが、こういう理由からである。
ここで、どうしても言って置かないといけない。村瀬さんにしても、伊藤さんにしても、ギリシャ的な教養を遮断したところで考えているような気がする。これは、とりあえず山勘である。私がなにを言っているかわからないかもしれないけれども、これも、おいおいお話ししていくのでとりあえず気にしないでくださいな。
【Live】3.11に考える0312
「あのときどこにいた?」が、挨拶代わりになった時期があった。3.11から2、3か月の間である。
我がシェアハウスのおばさんは、当時、ほぼ日勤で通っていまの仕事をやっていた。その仕事場では揺れるたびに、おばさんの「キャー!」という声が全館に響きわたったという。その職場にいた共通の友人が、そこの職員の誘導で近所の公園に避難したところ、そこには悲鳴を発していたはずのおばさんの姿が既にあったという。ちゃっかりしている。これはその友人の証言である。ああ、証言は「姿があった」ほうね。「ちゃっかり」のほうではない。
私は、JR京浜東北線の浜松町-蒲田間の車内にいた。確定申告書を書いたものの郵送では間に合わないと思い、当時住民票のあった藤沢市まで届ける途中であった。
窓から外を見ていたら、進行方向右側で若い女性が線路際の路上で抱き合っていたので、「なにをやってるんだろう」と思ったところで緊急停車。それで初めて揺れているのがわかった。電線もゆさゆさ揺れていた。
駅間なので当然外には出られない。JRの職員が運んできた梯子で地上に降り立ったのは、ほぼ緊急停車から2時間後。まったく土地鑑のないところだったので、まず海方面に向かい、寒くなってきたのでファミレスに入り、そこで音楽がわりに流されていたラジオ放送で大地震だったことを知った。
毎度おなじみ、「寛永」の焼酎の師匠にあたる人の「彩花」という立ち飲みバーが比較的近所にあったのを思い出し、そこへ徒歩で向かい、1時間強で到着。そこのテレビで初めて全容を知った。
しばし焼酎を飲み、テレビを見、知り合いとしゃべり、そこを辞した。近くのバス停で、渋谷行きのバスに乗れることを思い出したのである。電車は動かずとも、バスなら大丈夫だろう。
比較的すぐに乗れたのだが、通常30分足らずで渋谷につくところ、5時間かかった。道路が大渋滞だったのである。結果論だが、歩いたほうが早かった。
この5時間は、本当に怖かった。というのは万が一、一台からでも火が出たら間違いなく延焼する。こういう事態になったら、車=ガソリンタンクだからね。当時、強権好きな石原慎太郎が都知事だったのに、車を出すのを禁止しなかったものとみえる。
渋谷に着いたのは、12時を回っていた。渋谷駅近辺のATMコーナーには、段ボールを敷いて籠城した避難民が相当数いた。私は新宿行のバスを待ち、新宿からは徒歩で帰った。
私の住まいは11階だった。たまたま家にいた長女によると、揺れで風呂の水の半分がなくなったと言う。
ONE LOVEという音楽プロジェクトがある。それの、『上を向いて歩こう』 [SING OUT from JAPAN] がとてもいい。3.11関連である。そのなかで、お婆ちゃんがソロで歌うところがある。私は、必ずそこで泣く。昨日もyoutubeで見た。昨日の朝刊で、まだ避難生活の人が2.9万人いることを知った。なんとかならないものか。
共有する「いま・ここ」、共有する感覚0313
『ぼけと利他』(伊藤亜紗/村瀬孝生)につけた付箋の3、4が今回のお話である。付箋は、解読、理解のために付けたものだ。いまの私の頭ではまったくと言っていいほど理解できない『ぼけと利他』ではあるが、「これは理解したほうがいい」と、どこやらからの声が聞こえるのである。この声には従ったほうがいい。
伊藤さんの知り合いである西島玲那さんは全盲の人であり、彼女の盲導犬「セラフ」と彼女との「関係」について、村瀬さんへのメールに書いた。その返答が、3である。
西島玲那さんは「セラフ」を看取った。このことがまず前提。そして、以下の3である。
3 ふたりはいつも「いま・ここ」で何を成すべきかに息を合わせ、あとは成るに任せて、一緒に世界を受け止めてこられたのだと。感覚の交換はまだ続いて、セラフはそこに居ないことで応答する。それが余韻を生んでいるんですね。
セラフと玲那さんが繰り返してきた感覚合わせに想いを馳せました。セラフは玲那さんに感覚を開く。玲那さんもセラフに感覚を開く。ふたりのあいだには、どのような感覚の交換があったのでしょうか。(村瀬孝生)
これは、多少はわかる。「セラフはそこに居ないことで応答する」というのは、玲那さんの頭のなかでのことである。なんでそう、ストレートに言わないのだろう。「セラフと玲那さんが繰り返してきた感覚合わせ」というのもわかる。それ以降もわかると言えばわかる。
私だったら、「リード」を通じて、あるいはそれ以上(これは「以下」のほうがいいかもしれない。「意識下」の「下」のことだ)のところで感覚を共有し、「歩いて/あるいは停まって」、セラフと玲那さんは「いま・ここ」を経過してきたと言うだろう。
だから、村瀬さんの言い方が私にはよくわからない。ただ、この言いかたのほうが村瀬さんの「感覚」には沿うのだろうことはわかる。
4 「当事者が直面しているのは、『正』でも『誤』でも『正常』『異常』でもない、『わたし』が生き生きと感じていること」という村瀬さんの言葉に感銘を受けました。私が体についての研究をしている理由も、まさにそこにあるのだと思います。(伊藤亜紗)
この伊藤さんのお返事は、おぼろげにならわかる。前に、「ギリシャ的な教養を遮断したところで考えているような気がする」と申しあげたが、伊藤さんに関してはそのままだが、村瀬さんの教養の出自はいまのところまったくわからない。
おそらく、私がわからないところが、『ぼけと利他』の重要なところなのだろう。『ぼけと利他』に付した16箇所の付箋に関して、今後こういうスタイルで論評を続けていくが、もしかしたら最後までわからないかもしれない。でも、それはそれでいいのかもしれない。
【Live】3月8日の下八0314
下八(したやつ)は、新聞の一面下にある八等分された広告のことである。ここには書籍広告しか出ないのが慣例だ。出版界、新聞界では、この広告欄をそう呼ぶ。
3月8日毎日新聞の下八には、他の広告のなかに次のふたつがあった。
・『隆明だもの』(ハルノ宵子、晶文社)第五刷
この書籍は、当『シェアハウス・ロック』でも紹介した。ハルノ宵子さんは吉本隆明さんの長女で漫画家。吉本ばななさんは次女である。これは愉快な本で、吉本隆明さんを「味の素信仰(者)」、つくった料理を「実験料理」などとくさし、「戦後最大の思想家」もかたなしである。吉本隆明さんの主著のひとつである『共同幻想論』に沿って申しあげれば、「対幻想」の領域では吉本さんの威容も通用しなかったようで、期せずして『共同幻想論』のその部分の正しさを、吉本隆明さんは身をもって証明したことになる(笑)。
この本は、吉本隆明著作群の入門の入門くらいの役割は果たしている。それが5刷になったというのはうれしいことである。
・『わたしは何のために生きているの?』
これは、私の知らない方の著作である。でも、いま、「ギリシャ的なるもの」(というか「非ギリシャ的なるもの」だな)にかかずりあっていると感じでいるので、タイトルだけ紹介した。つまり、この問い自体、きわめて「ギリシャ的なるもの」と感じたわけである。
ここで、私が「ギリシャ的なるもの」をきちんと理解したうえでこんなことを言っていると思ってもらっては困る。この歳になってまで、私は「ギリシャ的なるもの」の周辺をうろうろしているだけに過ぎない。
その前提とその資格で、この書籍を書いた方のこの問いに答えれば、「私は、人に支えられて生きてきた」「人を支えられればと願って生きている」ということになる。と言っても、私がたいしたことをやっていると思われたら、それも困る。でも、生きているだけで、誰かを支えることは可能だと思っている。これは信仰のようなものだと考えていただいてかまわない。
ついでに、翌3月9日の下八に、『理想のレシピ』があった。福岡伸一さんと松田美智子さんの共著である。以前、栄養のお話をしたときに、私の栄養学の知識は小学校の家庭科で習った以上のものではないと言い、良書を選んでいまの栄養学の水準を総ざらいしてみたいと申しあげたが、これに応えてくれるような気がする。福岡さんは週刊誌のコラムでたまにチラッとしか書いてくれないのだが、それを読み、現近の栄養学の水準の一端に私は触れているのである。それが、ある程度まとまっているのではないかと、期待しているわけだ。
出版社、編集者の期待として、こういう構造だと「料理本」読者、「最新の栄養学」に興味を持つ人の和集合に訴求すると考えるのだろうが、残念ながら、この場合は積集合になっているようだ。図書館に予約したら、私の想像の半分以下の「待ち状態」だった。
私の経験からも、こういう場合は和集合より積集合になることのほうが多いように思える。人間の興味って、和集合よりも積集合なのかね。だとしたら、私としては新しい発見である。
ラジカルなケア0315
『ぼけと利他』(伊藤亜紗/村瀬孝生)につけた付箋の5、6、7が今回のお話である。今回の話は私にもよくわかる。
5 ケアするというのは、物理的な体に関わりながら、その人のほんとうの姿かたちのための居場所をつくることなのかもしれない、と村瀬さんのお手紙を読んでいて思いました。もちろんそこには、幻肢が痛いと当事者が言ってもその腕をさすることができないように、もどかしさとずれが常に含まれているのだと思います。(伊藤亜紗)
ここで述べられている「常に含まれている」「もどかしさとずれ」に関しては後述(次回)する。5で言われていることの例として、伊藤さんは分身ロボットを挙げている。分身ロボットとは、遠隔で人が操作するもので、外出が困難な人がカフェ等で仕事をしたり、観光に行ったりを代行するものだ。カメラ、スピーカーが付き、会話もできる。以下のOrihimeは、分身ロボットの名前である。「さえさん」は、その分身ロボットのマニュピレータだ。
6 さえさんに「よくお似合いですよ」などとメッセージをしてしまったりする。その「似合う」は「Orihimeに似合う」じゃなくて、「さえさんに似合う」なんですよね(伊藤亜紗)。
7 つまり、それは、「さえさんの物理的な体に似合う」じゃなくて「さえさんの姿かたちに似合う」なんですよね。(伊藤亜紗)
ここで言われていることを言うとき、私だったら、「現象」「本質」、あるいは「外観」「主体」などという生硬な言葉を使うだろう。それを避けているのかなあ。ここで「現象」「本質」は、「洞窟の比喩」(プラトン)を前提にして言っている。これは「ギリシャ的なるもの」にもほどがあるほどの「ギリシャ的なるもの」である。
余談だが、分身ロボットを私は見たことがないが、全身ロボットはよく見る。数日前にも陶芸クラブの帰途、我がシェアハウスのおばさん、タカダ(夫、妻)と4人で「安べゑ」という居酒屋に寄ったが、そこのお運びさんのひとりが「安べゑくん」というロボットである。「がんばって運んで来たので、頭をなでてください」と言い、なでてあげると帰っていく。
「安べゑくん」はなかなかかしこいロボットで、通路で客と鉢合わせになると、自分からよける。これをお三人に話したら三人とも感動していた。
次に鉢合わせしたときに、彼が左によけ、私がすぐ左に行ったら「冗談はやめてください」と言った。これは誰も信じてくれなかった。つくり話だからあたりまえだが、そのくらいはプログラムできるはずだ。私が設計者なら、間違いなくそうするな。
「常に含まれているもどかしさとずれ」0316
私は小学生のころ、作文が苦手だった。毎日こんなことをズルズルと、しかも相当量書いているくせになにを言うかと思われるかもしれない。でも、これは本当のことである。
ひとつには、「なにを書くか」を決めることがなかなかできなかった。小学校の授業は50分である。その時間の半分以上を、「なにを書くか」を考えることに使っていた。「これを書こう」と決断してしまえば後は早い。だから、先生が「遠足」などと黒板にお題を書いてくれれば楽だった。「自由題」などと書かれたら地獄だった。「自由」は「地獄」であることを、私は小学生の作文の時間に学んだことになる。これは冗談なので、気にしないように。
もうひとついやだったことが、「書こうとしていること」と「書いたこと」のずれに、常に悩まされることだった。こっちのほうが、じつは深刻だったと言える。これは、「表現」上の悩みのようにとられるかもしれないが、そんな上等な話ではない。自慢じゃないけど、2年生から3年生にあがるときに、特殊学級に行くことを担任に勧められた子どもだったからね、私は。これは冗談ではなく、本当のことである。いずれ、この話もしようと思う。
これは表現などという上等なものでなく、もっと単純な話だ。例えば「雲」と書く。私は窓から見える雲を見て、それを文字で書きたいと思い、「雲」と書く。だが、書いた瞬間から、それはいま私が見ている雲ではなく、「雲」一般、あるいは別の「雲」になっている。
これはシニフィエとシニフィアンみたいなことであるが、小学校の教室で悩んでいる少年がそんなことを知ったのはそれから10年程度後のことだ。
前回の伊藤さんの5(メール)にあった「もどかしさとずれ」とはこういうこととは違うのだろうか。もしそうであれば、「ギリシャ的なるもの」を遮断したところで考えようとしているという私の観測は、あたっていることになる。シニフィエとシニフィアンはソシュールだが(もしかしたら先行者がいるのかも。私は浅学にして知らない)、そういう文脈を、伊藤さんはなるべく使わないようにしているとしか思えない。ああ、ソシュールの前駆としては、前回の「洞窟の比喩」があることにはなるな。これはあながち外れてはいまい。
では、特殊学級に入れられそうになった少年は、この「ずれ」をどう処理したのかと言えば、諦めたのである。自分が見ている雲は自分しか理解できない。だから、少なくとも作文では、「雲」と書いたその「雲」でやっていくしかない。自分が見ている雲は諦めるしかない。屋上屋を重ねるみたいなことだな。「ずれ」の上に「ずれ」を重ね、そこで成立する世界を書くしかない。大げさに言えば、特殊学級に入れられそうになった少年は、前述のような言語の秘密の一端を知ったのであった。
だからそう諦めた後は、作文がうまくなったかどうかはともかく、それほど苦にならなくなったとは言える。
それでも、常に、「おまえはその『雲』でいいのか」と、教室の窓から「見ている雲」に、私は脅かされている感じにつきまとわれている気はする。それは、いまでもある。
もしかしたら、『ぼけと利他』は、「私の雲」に対する回答になっているのかもしれない。回答になっているにしても、私にはまだまだわからないけど。
やっと「利他」に触れる0317
そもそも『ぼけと利他』(伊藤亜紗/村瀬孝生)は、我が畏友その1が『シェアハウス・ロック』のなかの「贈与の気分でシェアハウスでは仕事をする」(昨年の7、8月あたり)というのを読んで勧めてくれたものである。そこからはずいぶん遠くまで来てしまった気がするが、やっと「利他」までは来た。
まさか、「ぼけ」のほうで勧めたんじゃないだろうな。心配になってきた。
8 利他は、「もらったらお返しをしなければならない」という返礼義務のあるところには生まれません。そこにあるのはあくまでプレッシャーのかけあいであって、本当の意味で相手から何かを受け取っているわけではないからです。(伊藤亜紗)
これは、めずらしく私にもすんなりわかった。
マルセル・モースの『贈与論』が下敷きだなと思ったのだが、その直ぐあとで伊藤さんはネタばらしをしている。
9 マルセル・モースが『贈与論』で指摘したとおり、ゲルマン語系の言語では、ギフトという言葉には「贈り物」と「毒」というふたつの意味があります。贈り物を贈ることで、相手にお返しをしなければいけないという負債感を与えることになる。障害とともに生きる人が(そんなこと思う必要がないのに)「いつもサポートしてもらう側なのがつらい」と言ったりするのは、負債の蓄積を感じてしまうからです。だからギフトは毒でもある。(伊藤亜紗)
ただし、私の読むところでは、伊藤さんが明白にしている「贈与」→「利他」の話は、上記の9だけである。他の文脈で「利他」なのかもしれないけど。
贈与つながりで、『世界史の構造』(柄谷行人)のお話をする。こちらの話のほうが「贈与論」としては一般的である。同書は「交換」をキー概念にし、世界史を構造的にとらえようとしている本である。図書館で借りて読み、読み終わった後、手元に置いておきたいと改めて買った。こういうことは珍しい。
この「交換」はかなり幅広い概念で、いま私たちの使う交換は、「物々交換」の交換である。「交換」とは言っているが、ここでは貨幣を媒介にしない、狭義の交換である。
同書での「交換」はもっと広義で「購買」(対価を払い、商品を手に入れる)も、「略取」も、この「交換」に含まれる。このあたり、カール・マルクスが、コミュニケーションも物流も通信も「交通」と呼ぶのと同様である。
贈与は下の表1のAにあたり、表1は交換様式をデカルト平面上に配置したものである。たとえば表1のB(支配と保護)は、「みかじめ料」を媒介にする。Cは等価交換である。表2はこれらの交換様式が「主に」行われる社会である。
雑に言えばそういうことになる。この表は、この本の「キモ」で、この表を十全に説明すれば、『世界史の構造』をほぼ説明したことになるはずだ。だから詳しくお話ししようとすると大変なことになるので、今回の説明はこの程度にしておく。
このお話の先をしたくなるかもしれない。その前に、『世界史の構造』の続編たる『力と交換様式』を読んでおきたい。
B 略取と再配分 | A 互酬
(支配と保護)| (贈与と返礼)
―――――――――+―――――――――
C 商品交換 | D X
(貨幣と商品)|
表1 交換様式
B 国家 | A ネイション
―――――――――+―――――――――
C 資本 | D X
表2 近代の社会構成体
『世界史の構造』(柄谷行人)より
心身二元論の解体0318
『ぼけと利他』(伊藤亜紗/村瀬孝生)の第六章は「心とシンクロしない体を生きる」という章題がついている。そこで、私がわからないリベラルアーツの秘密らしきことを伊藤さんは書いておられる。
10 私は、その人が自分の体について語るのを聞くのがとても好きです。というか、研究という枠組みのなかでそれをすることが私の仕事なのですが、(伊藤亜紗)
確か、伊藤さんは村瀬さんの講演を聞き、それに感銘し、交流が始まったと書いてあった。言葉は悪いが、村瀬さんの言葉を採取して「研究という枠組みのなかでそれをすること」にしたのだろう。これは、言葉こそ違うが『ぼけと利他』に書いてあったことである。これが、この本の基本的なモチベーションであると思える。
伊藤さんは同じ第六章で次のようにも言う。
「長い時間をかけてつくられたその人の体という、放っておけば秘匿されてしまうものを、自分も分けてもらっている。」
これは、村瀬さんの言葉に関してのコメントで、具体的には前にお話ししたアイ子さんたちの「体」のことであり、それらに感応する村瀬さんの「体」でもある。
「そのことに、共犯者になってしまったというぞくぞく感、秘密を手元に預けられた以上引き返せないという覚悟、ちょっとでも自分を信じて語ってくれたという喜びを感じる」
と伊藤さんは言い、次のようにまとめる。
「それは、まるでその人の体をうけとってしまったような感覚です。」
この、「うけとる」「うけとられる」を、伊藤さんは次のようにも言う。
11 たとえば吃音の人が、「思った言葉を体が発してくれない」という分裂によってつまづくとき、それは「意図して伝えることを諦めて、他者のうけとってくれる力に任せる」ことに通じています。(伊藤亜紗)
このあたりは2回前にお話しした、特殊学級に入れられそうになった少年の私が、感じていたことと似ていると思う。
教室の窓から「自分の見ている雲」を、作文で「雲」と書いた瞬間から、それはいま私が見ている雲ではなく、「雲」一般、あるいは別の「雲」になっている。伊藤さんの考察には他者が登場し、彼/彼女が受け取ってくれるが、私の「雲」は、私のなかの他者が受け取ったことになる。
今回の表題は、それまでの表題が伊藤亜紗さん、村瀬孝生さんのメールの内容からつけたものに対して、私が付けたものであるが、内容に則していると思っている。
心身二元論も「ギリシャ的なるもの」であるが、そこから考えず、それを遮断したところで考えようということなのだろう。私が、『ぼけと利他』に対して「ギリシャ的なるもの」にこだわってお話ししているのも、この第六章があったためである。
文化人類学に漸近する0319
伊藤亜紗さんは、極地旅行家・角幡唯介さんと対談したことがある。その対談の内容が、今回のお話の前提である。
以下に出てくる「ナルホイヤ」は「わからない」「なんともいえん」ということだそうだ。
12 角幡さんによれば、本田勝一は、この「ナルホイヤ」の背景に、計画概念の欠如を見い出しました。イヌイットたちが暮らす世界は、昼と夜の明暗の交代が失われた、区切りのない一元的単調さゆえに「くりかえし」が起きず、ゆえに何かを数える契機もない。実際、イヌイットたちは数の概念が希薄で、直感的にわかるのは「五」までだと言います。(伊藤亜紗)
まず、上記「本田勝一」は、「本多勝一」が正しい。『ぼけと利他』を読むとき、この本のわかりにくさを理解するヒントにと付箋を付け、その付箋には番号を振った。図書館に返却する前に付箋部分を抜き書きしておいたのだが、この段階で私が誤記をしたか、あるいは原文がそうなっていたか、もう手元になく確かめられないので、そのままにしておく。
本多勝一の「極限の民族」三部作(『カナダ・エスキモー』『ニューギニア高地人』『アラビア遊牧民』)を、私は20代で読んだ。以下で本多勝一をくさすので、その前に言っておくと、これらはなかなかいい本である。たとえ大朝日がバックについていたとはいえ、時代的な制約があったにもかかわらず、優れたルポルタージュになっていると思う。これらの本に教えられることは多かった。
50年前のことなので、上記のことが書かれていたかどうかはまったくおぼえてないが、「計画概念の欠如」と言ったとしたら、「言いも言ったり」である。つまり、これは悪しき進歩主義の立場である。
2回前の『世界史の構造』(柄谷行人)の「キモ」である表1の略取と再配分(支配と保護)の範囲内において、農業の成立とともに生まれたのが「計画概念」であるはずだ。だから、イヌイットには「計画概念が欠如」しているどころか、もともと「計画概念」そのものがないのである。伊藤さんが言っている「ゆえに何かを数える契機もない」も同様だ。そういう文化なのである。それを「欠如」というのは誤りだ。
文化Aと文化Bには優劣がない。これは文化人類学の基本である。だから本多勝一の「見い出したもの」は虚構、虚妄である。フロイトは、文明の定義として、「寒い夜に布団から足を出し、足が冷たくなったので引っ込め、ほっとする」ようなものと言った。これは、文明の定義としても、冗談としても優れている。文化もフロイトの「定義と冗談」の範囲である。
一方、角幡唯介さんは、「ナルホイヤ」に積極的な意味を与えている。それは、「〈今〉への没入を徹底的に肯定する態度」である。
これに関し伊藤亜紗さんは、次のように言う。
それは「〈今〉を予期の確認作業にしない」と言い換えることができるかもしれません。(伊藤亜紗)
これは、私にとってはあまりピンとこない言説で、「詩のようなもの」にしか感じられないが、それでもリベラルアーツは、どうも文化人類学と相性がいいようだということはわかる。
ひとりでは歩けないおばあさんをケアして歩こうとするとき0320
私は、母親の家で、完全介護を足かけ3年やった。ちなみに、準介護は足かけ5年である。完全看護の期間は、母親を支えてトイレに連れて行った。腕にヘンな力が加わり腱鞘炎になり、手を使えなくなったので、半帯の生地(幅が広いので食い込むこともなく、これなら母も痛くないだろうと思ったのだ)で輪っかをつくり、母親の脇の下にそれを回し、そこに自分の頭を入れ、肩で支えるようにして連れて行った。
それでも、村瀬さんがおっしゃる次のような「境地」には至れなかった。私が、介護の素人だからだろうか。
13 自力ではまったく動けない体も、他者の体とともに動くときは感覚を開いて、介助する体をうけとっているように思えます。介助する体もまた、同じように介助する体をうけとる。互いに体を留守にして、相手の体をうけとめる。体を差し出すことで両者に深い受容状態が生まれるのではないかと思います。そのような状態になると、相手の体に機能障害のあることをあまり意識しなくなります。ケアする、されるとは、留守となった体に入り込んできた他者の体を、もてなし、ねぎらうことかもしれません。(村瀬孝生)
「介助する体」(2個目)は、前に申しあげたことと同様、私の転記ミスで「介助される体」なのだろうけど、そのままにしておく。
それでも、自分の経験から、村瀬さんのおっしゃることは本当なのだろうかという疑いは残る。つまり、これは村瀬さんの「思い」が言わせていることなのではないかという疑いである。で、この疑いは、リベラルアーツそのものに対する疑いと、かなり同値である。「疑い」などとあられもない言葉を使ったが、この「疑い」も、リベラルアーツを理解しようとしている一過程であると、ご理解いただきたい。
次も、たぶん13と関連するのだろう。
14 これまで僕の体はスピードに溢れていました。なので、おおかたの行動や行為は勇み足になりがちでした。けれど、老いることで、どことなく滞りが生じていて、スピードが落ちています。(中略)最近はそのスピードの落ち具合が心地よいのです。やっと、地に足がついてきた感じです。(村瀬孝生)
これは本題とは若干違うが、とてもよくわかる。多少補足すると、「スピードの落ち具合」がそのまま「心地よい」はずはない。だが、「スピードの落ち具合が心地よい」と感じる自分の心を「心地よい」と感じることはあるはずである。
私も、「老いに沿っていく」ことが、人間のみならず生物の本性であると思いたいと思うときがある(その点、動物は自然に沿っているように見える)。そうして、その「心地よい老い」の先に「死」があると考えると、死ぬのもそれほど悪くはないという気になる。ナンシー・ウッドの『今日は死ぬのによい日』という詩が私は好きだ。これがネイティブアメリカン(ナンシー・ウッドは半分くらいはネイティブアメリカンのはず)の死生観なら、私は少なくともそれに関して、ネイティブアメリカンにあこがれる。
15 一年ほど前のことですが、伊藤さんから「ぼけが重いではなく、ぼけが深いと言うのはなぜですか」と問いかけられたことがあります。ぼけを障害のレベルでとらえると「軽・中・重」の量で表現されます。軽い症状、重い症状という理解につながりがちです。その表現だけでは重いと介護が大変、軽いと楽といったイメージだけが先行しやすいんです。老いやぼけを介護の量からとらえるだけではつらさが先立ってくる。それはどう処理するかといった方法論に陥りやすい。けれど世界で感じると面白くなる。興味や関心が湧いてきます。(村瀬孝生)
このコメントは、村瀬さんにしてはめずらしく理が勝っている。伊藤亜紗さんの問いがそもそも、理が勝っていたのだろうか。15を、私としては、以前紹介したように吉田富三の「がんも身の内」に倣って、「ぼけも身の内」と言いたいところである。これも前述の、「落ち具合が心地よい」と感じる自分の心を感じることが「心地よい」に近い言葉である。