傷ついておいて良かった、と思う時がある。
歳を重ねるにつれて、傷つくことに対して敏感になる気がする。
そして、なるべく傷つかないように、当たり障りのない選択をして私たちは生きていく。
それが悪いことだとは思わない。
むしろ、そうして人は平和に生きて行けるのだから、たいした能力だ。
___これがいわゆる、人間の防衛本能?
だから、あの時傷ついておいて良かったかもしれない、と思う時がある。
第一の例として、失恋。
私は、過去に一度だけ振られた事がある。
両思いが強制的に終わった瞬間だった。
つらくてつらくて、2ヶ月間ほど食欲も湧かなくて、謎の体調不良にもなった。
言葉では表現しきれない、胸がえぐられるような痛みだった。
それでも、もう数年が経った今では、あの痛みの感覚は忘れてしまった。
人間って、やっぱりすごいもんだなと思う。
もし今だったら、あそこまで真っ直ぐに悲しんで、受け入れたくないと泣いて、心から傷つく事ができるのだろうか?
きっと、つらくても平気なふりをしてしまいそうだ。
実際、それ以降の恋愛では、傷つきそうになる手前で自分から別れを切り出したりして、あれ以上には傷つかず生きてきた。
あの失恋がなかったら、私は振られるというつらさを知らないままだった。
また、それでもいつかは立ち直れるという事実も知らなかった。
だから、今となっては、「すごく大きな学びをありがとうな」と思える。
第二の例として、大学受験。
自分の受験を振り返ると、全体的に”ふわふわ”していた。
毎日のように塾や高校の図書館に通っていたわりには、なぜか心の底からの熱意はなかったように思う。
志望校はあったけど、今となっては、「ただ東京に行きたかっただけじゃないのか?」とすら思ってしまう。
高いお金を出してくれたのに親にはこんな気持ち言えないなと思うし、何校分もの受験代を出してくれたことにはとても感謝している。
結局第一志望校には行けず、いわゆる滑り止めに助けられた。
これに関しては、正直そこまで傷つかなかったから、もしかするとそこまでの気持ちはなかったのかもしれない。
それでも、受験に失敗したのは事実だ。
だから、時々思う。カフェとかで必死に勉強している学生を見ると、どこか懐かしく、それと同時に「そんなに頑張って、みんな何になりたいんだろう」って。
自分の心が荒んでるようにも感じるけど、頑張ったからといって報われるとは限らないことを私は知っている。でも、そんな人生も悪くはないかなと今は思える。
第三の例として、就活。
私の就活は、成功とも失敗とも言い切れないものだった。
そもそも、いわゆる”軸”がブレブレだった私には、これが成功というものがなかったのかもしれない。
第一希望の会社ではなかったけど、行ってみたかった業界の会社に入り、希望通りの部署に配属されたのだ。
それでも、結局は休職もしたし、退職した。
第一希望の、やってみたかった仕事に就いたとしても、それが自分に合っているとは限らないこと、人間にはどうしても苦手な人、合わない環境があることも初めて痛感した。
でも、この痛みを知っているから、どんな大企業に入ろうが全員が成功するとは限らないし、今がズタボロの人でも、なんとかなるかもしれないって、何より心が健康に生きていることが一番大事なんだって、思える。
私はまだ子どもを作るとか予定は決めてないけど、もし将来存在する事があれば、こういった経験が寄り添ってあげられることに繋がればいいなとは思ったりする。
それだけじゃない。友達と話す時も、みんなそれぞれの痛みや葛藤があるんだろうなって、想像しながら語り合う事ができる。
うまくいかないことはもちろんつらく苦しいことだ。
この先どうしようかなって私も思ってる。
でも、いつか人生には終わりが来ると想像したらどうだろう
そのままスルーっと問題なく時が過ぎて行ってしまうのと、
もがきながら、自分について考えたり、音楽や映画に救われながら一歩一歩と歩いていく人生となら、どちらが色があったと言えるだろうか?
30歳を手前にして、いい意味でキラキラとした希望を持たなくなってきたのかもしれない。
無職になった今、「働かなきゃ」「私って今何者?」と思いながらも、
200円のアイスティー1杯と、こうしてカフェで文章を書いている時間が、私にとってはとてつもない幸せだ。