見出し画像

【読書】英国貴族の大半は成り上がり?:小林章夫『イギリス貴族』講談社学術文庫

2年前に講談社学術文庫で文庫化されたのを機に購入し、2年間塩漬けしていた『イギリス貴族』を、この夏休みにようやく読み終えることができました。今回はその読書ノートです。とても一本の記事で書き切れそうにありませんから分割といたします。

戦前の日本の議会には衆議院に対して貴族院がありましたが、イギリスには現在も庶民院に対して貴族院があります。貴族の世界が今なお残る「英国貴族」の実態とは、どういったものなのでしょうか。貴族というと、豪華なお屋敷に住んで富と権力を握っている人たちのイメージがありますが、これは実際どこまで妥当するのでしょうか。

文化史や社会史からの幅広い視野から英国貴族の奥深いリアルを描き出し、それらの問いに答えてくれるのがこの本です。英文学からの引用も多く、文学はこのように社会を映すのだと感心させられます。元は講談社現代新書ですが、文庫界のブランドである「講談社学術文庫」に再録されるだけはあるといえましょう。

小林章夫『イギリス貴族』講談社学術文庫、2022年


イギリス貴族の起源


現存するイギリスの貴族制度はいつ始まったのか。これは約1000年前に遡ります。

1066年のことです。元はフランスの一地方を支配していたノルマンディー公爵のギョーム(Guillaume)が、イングランドに渡って現地勢力を撃破し、イングランド国王の地位に就くことでウィリアム1世(William I)となりました。高校世界史に出てくるノルマン・コンクェスト(ノルマン人によるイングランド征服)始まりです。

このとき、ウィリアム1世はフランスからノルマン人を引き連れてきました。臣下に重用したのもノルマン人。つまり、イングランドにありながら、支配階級はノルマン系のフランス語を話していたことになります。フランス語由来の単語が英語の基礎的な語彙にも数多く食い込んでいるのはこのためです。

そして、フランスの貴族制度(公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵)も持ち込まれることになります。ここがイギリス貴族の起源です。

なお、伯爵の肩書きだけはフランス由来の単語ではなく、ブリテン島の先住民であるアングロ・サクソン族の称号earlを使っています。私はよく紅茶のアールグレイを飲みますが、つまり、このアール(earl)がフランス語由来ではないことで、ある意味、紅茶の国としての英国のプライドは今日まで守られたといえるかもしれません。

貴族の種類の複雑さ

貴族を表す英語にはaristocracy、nobility、peerageの3つがあります。区別は微妙なところがあるようですが、著者は次のように簡潔にまとめています。
アリストクラシー(aristocracy):国王から称号を与えられたもの。
ノビリティ(nobility):アリストクラシーの中で高位のもの。
ピアリッジ(peerage):貴族院議員。

貴族といっても、上は王族の公爵から下は一代貴族まで様々です。世襲のものから、一代限りのもの。ジェントリーのように、貴族に属すが、貴族院には議席を持てない下級貴族。逆に、貴族院に議席を有するが、個人的栄誉によって身分を与えられているため、社会的特権としての貴族ではない一代貴族や法官貴族、英国国教会の大主教などなど。

さらにイングランドやスコットランド、連合王国レベルなどそれぞれに独立した貴族制度があってややこしく、同じ公爵の中でも序列(式典における席順に関わる)があり、これ以上は立ち入らない方がよさそうです。とにかく、英国の貴族制度は複雑です。

貴族のほとんどは成り上がり

17世紀初めには約60名だった貴族は、19世紀には300〜400に達し、現代では一代貴族も含めると約1000名ほど。イギリスの貴族の地位は基本的に長男のみが相続するので、ドイツのように親子の世代交代による土地の財産分与で貴族のメンバーが増えたりはしません。つまり、新設によって貴族の地位が増加したことになります。

何がいいたいのかというと、日本の元華族が1000年前の平安時代の藤原氏や500年前の戦国大名まで遡れるのに比べたら、イギリス貴族のほとんどはここ二、三百年の「成り上がり」ということです。これはかなり意外なことです。貴族なのですから、さぞかし古くまで血筋を遡れるのかと思いきや、ほとんどはそうでもない。

それに加えて、先祖が高貴な生まれとも限らない。例えば、第二次世界大戦で首相を務めたウィンストン・チャーチルはモールバラ家から輩出されています。この家はイギリス第9位の公爵家という名門ですが、先祖は一介のナイト(騎士)でしかなかったといいます。その昔、ナイトのジョン・チャーチルがスペイン継承戦争で戦功を挙げることで、たった一代で成り上がったというのです。

さらに、そのモールバラ家よりも格上のセント・オールバンズ家となると、先祖は一介の女優だったといいます。1660年に王政復古した国王チャールズ2世は好色家で遊び好き。次々に愛人を増やし、芝居の見物で一人の女優にズッキュンと惚れ込んで、宮廷にテイクアウトという経緯です。まあ店内でそのままお召し上がりになるよりはマシかもしれません。

その女優と国王の間に生まれた息子たちのうちの一人がセント・オールバンズ公爵となり、今日まで続いています。数多の愛人を抱えつつ、一人の愛人が複数人の子供を授かっているというのですから、名実ともに国王級です。一夫多妻は私だったら欲求不満になりそうですが、殿方にとっては「日替わりランチ」のように日頃から様々な相手と楽しんでいる方がマンネリ防止の役割を果たした可能性はあります。医療水準が低く、平均寿命が短く、乳児死亡率が高かったこの時代のマンネリは後継ぎの全滅に繋がりかねません。その意味で、当時は一夫多妻に一定の合理性があったともいえるでしょう。

札束で買える貴族の地位

女優の息子を公爵とした上述の例のように、17世紀のイングランドの国王たちは、16世紀後半の国王たちよりもかなり多くの貴族の家を設けました。この時期に爵位を与えられた人間のほとんどは、貿易などで金を儲けた「平民」だといいます。

実際、産業革命はまだ先ですが、この時代には商業が発達して新興の富裕層が生まれていました。国際貿易港を有していた当時の商業先進国ネーデルラントと英蘭戦争を繰り広げたのもこの時代です。身分の高さと富の多さが必ずしも一致しなくなる時代で、寄付や献金などによる実質的な爵位の買い取りや貴族の領地の買い取り、平民の富を当てにした結婚が起きるのは必然的でした。

ピケティも驚く究極の土地所有格差

1870年代、大英帝国最盛期に土地所有の調査が実施されたそうです。その結果、イングランドとウェールズにおいてはたった400人の貴族が全所有地の17%を所有していたという衝撃の事実が明らかに。

さらに、貴族に該当しない地主も含めると、全土地所有者数のうち0.44%にあたる人間が、全所有地の約55%を所有するという、トマ・ピケティもびっくりの資産格差が。

まだピンと来ない場合のために言い換えましょう。つまり、イングランドとウェールズにおいて、仮に地主が10000人いたとしたら、たった44人が全地主の所有地の半分以上を我が物にしていたことになります。

スケールが大きすぎて、いいリアクションが思いつきませんね。大土地所有者は主に貴族だったので、イギリスの貴族とはこれほどの広大な領地を保有する階級だったということになります。

現代の貴族

「だった」というのは、20世紀になるとその広大な土地を持っていることで相続税や財産税の高騰の煽りを受けて苦境に立たされたからです。農業が先進国の主要な産業ではなくなり、土地からの収入が当てにできなくなったこと(産業構造の転換)も大きいでしょう。

現在でも25万エーカー(3億坪)を所有する公爵家もいるようですが、中には領地がなくなって賃貸住宅に住む公爵や、イギリスを離れてアフリカに住む公爵もいるとか。

フランスは革命で王侯貴族から奪った土地を農民に分配して、小さな土地を自分で耕すことが可能になりました。それに比べて、イギリスの大土地所有制は異常です。貴族から土地を取り上げなかった国は、最盛期にはこのような状態にまで土地所有格差が深刻化していたんですね……。

おわりに

今回では書ききれなかったことがまだまだあります。実はここまでの内容はこの本の第1章に過ぎません。少しでもこの本に興味を持っていただけたら幸いです。

さて、英国貴族たちは20世紀には財政難に陥りましたが、それ以前はありあまる財産をもって雑事を全て使用人に任せて、ありあまる時間を手に入れていました。世界史上に類を見ないこの恐るべき暇人たちは一体どんな暮らしをしていたのか。漫画やアニメでおなじみの使用人の代表的存在・執事とは、実際のところどんな仕事だったのか。続きの記事ではそのあたりをまとめようかと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?