自由意志は存在しない? - 超常現象を信じる人ほど自由意志を感じる? - 意識は世界に1つだけ?
自由意志は存在しない(幻想)
以前、水曜日のダウンタウンという番組で、「定期的にカレーの匂いをターゲットに偶然を装って匂わせ、最後に3つほどの屋台を見させて何を選ぶのかを検証する」という実験が行われていたのを思い出した。
最終的にターゲット全員が、企画の意図通り、カレーを選んだ。彼らの中では、その選択が意識に上る前から、その選択肢に向かう神経活動が生じていたのだ。(カレー自体に求心力があるという見方もできるが)ウィル・スミス主演の映画「フォーカス」でも、「人の無意識に外部から情報を入れる続け、規定していって、相手の選ぶものを導く」という場面が描かれていた。情報操作や洗脳の恐ろしさ人間の脆弱さが描かれていた。
でも、この「自由意志がない」という事実を知ることで、
「無意識を整えていく」という行動をとることができるようになる。「自分の無意識が何によって規定されているのか」を知ることで「どういう条件があってその選択や行動が起きたのか」が知れる。ifで見れるようになる。そして、能動的に脳のパラメーターを整えて行こうという姿勢が作られる。
「脳を含む世界が因果的に決定されている」とあるが、これは「ラプラスの悪魔的に全てを予知できる」という意味ではなく、
「気分、記憶、経験など様々な物理的な要素の影響を受けた脳が物理法則に従う。その結果、その物理法則の影響を受けながら無意識が選択肢を用意し、ある選択が促される。だから脳を含む世界が因果的に決定されている」
という意味で使われている。
ちなみにラプラスの悪魔は、量子の存在によってミクロレベルで見れば未来は不確定、ランダムあるということが分かってから否定されはじめた。しかし、量子力学に隠された理論を見つけることでその動きを予測することができるという「超決定論」という立場も存在している。
では、意識の役割とは?
無意識が選択肢を用意しているならば「意識の役割」はなんなのか?という疑問が湧くと思う。それに対して著者は以下のように考えている。
自由意志を感じることの重要性
超常現象を信じる人ほど自由意志を感じやすい
確かに、マトリックスやアバターなどといった超常現象や神秘が描かれている作品を見た後の自分の状態はいつもとは違う。『哲学、形而上学の「水槽の中の脳」が現実世界においても十分あり得るのではないか』というような妄想をしているときなどに「自由意志」なるものを強くを体験していた。
そしてこの現象は、自然や宇宙を前にして、ちっぽけな自分を感じることでエネルギーが沸き起こるという「Awe体験」とも関係しているのでは?とも思った。「その存在に圧倒される感覚」「自分のちっぽけさを感じてエネルギーが沸く」という部分で。
この宇宙に意識は一つしかないという説
「電子が実は一個しかない、意識も一つしかない」という考え方は、東洋哲学や神秘主義で見られる「全てはひとつ」「宇宙を含む私たちはつながっている」というような観念と共通しているなと思った。神秘主義者と科学者は、それぞれ別の角度から「同じ観念」を見ている。
また、脳出血によって左脳機能を損なったのジルボルトテイラー博士(神経解剖学)は、その影響によって「宇宙との一体感を感じた」「自分の境界線がわからなくなった」というような体験をしている。この彼女の体験も、「個々の意識」というものは脳が作っている幻想で、本当は意識は世界に一つしかない。というようなことを示唆している。
「一人一人の意識が別々にあるというのは、生命を維持する上では必要」だから「各々に意識が与えられることになった」という解釈が引用にある。これは「意識が一つのままだと生命を維持しづらくなる」ということだが、
では、なぜ、それだと生命を維持しづらくなるのか?
「一つの意識」が全ての生物を制御するとなると、その一つの意識が誤った判断をした場合、全体が影響を受けてしまう。だから意識を各々に分散させるようになった。という見方ができる。生物全体を豊かにしていくためには多様性が必要だということだ。
『例えば、一種類の車だけを製造していたら、欠陥があると全てリコールで撤去されるが、色々な種類の車を作っておけば変えがきく』