これまで、「吃音症で障害者手帳を取得することを決意するまでの記録」と題し、①から④まで投稿してきた。 (まだ未完であることを情け無いながら申し添えておく) そこからも分かるとおり、私は「吃音症」を持っている。 詳細は、以下の過去投稿を参照していただけたら幸いなのだが、苦しいことが沢山あった。 本当に沢山あった。 過去形にしてしまったが、現在進行形だ。 一生進行形だ。 抱えてともに歩んでいくしかないものである。 だが、私の場合、幸いにも高校生の時に「舞台」に出会った。
今日は非常に苦い想いをした一日であった。 いつものように受付から転送されてきた電話を取り、話を聞いているうちに相手を怒らせてしまい、「〇〇を読み上げなさい」といった場面に発展してしまった。 この時、私が取るべき行動は「ご自身でお読みください。」とつっぱねるか、「読み上げることは苦手なので、電話を代わらせていただきます。」と周囲を巻き込むかの2択だったように思う。 勿論後者を選んだ場合、更に怒らせてしまう可能性は十分にあったのだけれど。 しかし、悔しいことに、私はそこま
私にとって、彼女という人間を端的に表現する言葉は「憧憬」である。 (この文章は、かつての戦友であり永遠のソウルメイト(と思いたい)へ精一杯のエールを込めて書く、エゴ要素強めの自己完結モノです。己の気持ちを残しておきたいため記します。数年後読み返してみたらまた気持ちが変わっているかもですね。大体そんなものでしょう。) さて。 彼女と初めて話したのは小学5年生であろうか。 お互いが所属する男子サッカーチームでの試合会場のトイレですれ違ったのが始まりだと記憶している。 常にチ
もし、場所の制約がなくどこにでも住めるとしたら、どこに住んでどんな暮らしをしてみたいか。 そう聞かれたら、26歳独身女の私は迷わず 「ガレージ!海無し県!居住スペースは最小限!寒いところ!」 と、こう叫ぶ。 そう叫ぶワケは幾つかあるため、順を追って解説させてほしい。 まず、「ガレージ!」に関してであるが、 私の趣味は車とバイクである。 そして、極度の心配性である。 そのため、盗難対策として、 ・ハンドルロック ・タイヤロック ・車体カバー ・GPS などを取り付け、き
(これまで、「吃音症で障害者手帳を取得することを決意するまでの記録」と題し、①から④まで投稿してきました。 今回の投稿は創作ですが、前半部分は「【いじめ】吃音症で障害者手帳を取得することを決意するまでの記録①(10歳)」及び「【不登校】吃音症で障害者手帳を取得することを決意するまでの記録②(10~15歳)」と重なる文章が多めです(多少の改編あり)。 後半部分は新たに書いた部分となります。 それでは。) タイトル「貴方に声を掛けたくて」 始まりの記憶は朧げだ。 後に両親
②の最後に、「高校生になってもいじめが続くのか、と絶望し、県外への脱出を図ります。」と記載した。 そのとおりで、今回は【高校生活】と【初めての病院受診】について、記載していこうと思う。 まずは【高校生活】について。 中学を卒業後、県外の高校に進学した。 大人になって俯瞰で見てみると、「環境が全てを解決してくれるわけじゃないよ」と冷静に指摘したくなるものだが、何度も書くけれども、小・中学生の世界はとてつもなく狭い。 そして、彼らは非常に冷淡で残酷である。 それが私の主観
君はベッドで横になり、目を閉じている。 身体は大体丸まっていて、表情は見えない。 一日中だ。 眠っているときもあれば眠ることができずに苦しそうにしているときもある。 一年半前、君は精神科でうつ病と診断されて仕事を休職した。 あの朝、君は、起き上がることが苦痛だ、と涙を浮かべながら乾いた口で私に訴えた。 私は、君の職場に休む旨の連絡を入れた。 君は、そのあと自力で精神科に行ったようだった。 君がどんなに主治医の言いつけを守り、心身に負担が無いよう治療と向き合って生きよう
これまで、「吃音症で障害者手帳を取得することを決意するまでの記録」と題し、①・②と投稿してきた。 が、 初心者あるあるとして、全体の流れを考えずに書き始めている、ということをご容赦いただきたい。 というのも、「そもそもお前の吃音の症状ってどのレベルなん?」ということを記載していなかったことに、今更気付いたのである。 というわけで、 (というわけで、では済まされないかもしれないが) 今回は、番外編では無いが、補足説明的な意味合いを込めて、そもそもの私の吃音のレベルにつ
ある日突然同級生の前に露呈(①参照)した私の「吃り」は、悪化の一途を辿る一方だった。 症状も、周囲の反応も。 まず、授業が本当に辛かった。 挙げればキリがないのだが、 国語・道徳の授業で順番に立って音読する場面では、10人以上前から自分が読む箇所を確認し、心の中で音読し吃るかを確認し、一喜一憂する。 ダメだ言えない、と分かっていても順番は回ってくるし、音読が免除されるわけでもない。 「音読」というワードを先生が発した瞬間から、授業が終わり30分以上経過するまで、私の心
始まりの記憶はおぼろげだ。 のちに両親から聞いた話によると、保育園の頃から吃り始め、小学校へ入ると、担任の先生からもその旨の報告を受けていたらしいが、本人はいたって楽しく登校していた。 本人が持つ一番遠い記憶は、小学校5年生の春、運動会の演目「組体操」の練習での一コマだ。 A型が多い家系に生まれたせいだろうか、性格はバカが付くほど真面目だったと思う。 6年生の足を引っ張らないように、と必死に笛の合図で動いていた気がする。 曲は中孝介の「花」だった。長い笛がピーっと鳴る
新型コロナウイルス感染症の感染拡大が起こった2020年1月〜3月頃。 私は、社会人1年目として、先輩に怯えながら日々残業に苦しんでいた。 どこにでもいる1年目、という感じで。 銀座に会社があるにも関わらず、残業続きの1年目は、家と会社の往復しかしていなかった。 しかも、その往復の時間が唯一の自由時間であったため、ネットニュースを真面目に読んで過ごすようなことはなく、友人のSNSにいいねを付けてまわっているだけだった。 そのため、新型コロナウイルス感染症の日本での初患者