喫煙者から非喫煙者になり気付いたこと。
新型コロナウイルス感染症の感染拡大が起こった2020年1月〜3月頃。
私は、社会人1年目として、先輩に怯えながら日々残業に苦しんでいた。
どこにでもいる1年目、という感じで。
銀座に会社があるにも関わらず、残業続きの1年目は、家と会社の往復しかしていなかった。
しかも、その往復の時間が唯一の自由時間であったため、ネットニュースを真面目に読んで過ごすようなことはなく、友人のSNSにいいねを付けてまわっているだけだった。
そのため、新型コロナウイルス感染症の日本での初患者が同じ区内にいようが、他の会社やサービス業が休業になろうが、どこか関心の薄いフィクションを見ているような感覚でいた。
あれ、もしかして、現実のことか?と感じ始めたのは、「煙草」に関して、身の回りに変化があった時からだった。
私は、煙草を吸わないと生きていけない、というレベルでは無いものの、大学生の時から、飲み会を途中で抜ける口実などでたまに煙草を吸っていた。
社会人になってからは、出社前と退社後に吸うのが日課であり、楽しみになっていた。
緊急事態宣言が出されたころ、まずはじめに、会社の屋内喫煙所が封鎖された。
それによって、喫煙場所が、近くの公園にある喫煙所に変わった。
その約1ヶ月後、会社の屋内喫煙所が撤廃され、近くの公園にある喫煙所は封鎖された。
喫煙場所は、コンビニの喫煙所に変わった。
その半年後、会社の近くに、利用人数の制限が付いた「コンテナ型喫煙所」が建てられた。
その代わり、という訳ではないだろうが、コンビニから喫煙所が段々と撤廃されていった。
コンテナ型喫煙所は、常に混んでいた。
この段階で、「ホッと一息」を求めて喫煙所に向かっていた今までの日課は、行列に並ばないと入れない、ややイライラする場所に変わってしまったのだ。
そのため、喫煙場所は自宅のベランダに変わった。
その後私は、新型コロナウイルス感染症に関する仕事で、月100時間超えの残業が続き、睡眠障害を発症し、休職した。
休職するとすべての行動が億劫になったため、そのまま煙草とも縁が切れた。
それから数ヶ月経ち、外出できるほどに身体は回復し、今は、社会人になって10kg増えた体重を元に戻すため、せっせと運動に勤しんでいる。
「新型コロナウイルス感染症対策」が当たり前になった現在、改めて外に出てみると、「煙草」についても以前とは違って見える。
以前、喫煙者だった頃は、どうして喫煙者は、「喫煙所で吸う」という公のルールを守っているにも関わらず、こうも肩身が狭いのだろう、と心の内で嘆いていた。
勿論、少数で、ルールを守っていない人がいるのも事実であるが。
しかし、非喫煙者になって改めて喫煙者のことを考えてみると、あることに気付かされたのだ。
喫煙は、「趣味」である。
何を当たり前のことを、と思われるかもしれないが、「煙草」は常に「健康に悪い」、「周りにも悪影響」、「依存」という「悪」のイメージが全面に張り付いていると思う。
しかし、冷静になってみると、煙草は単に「趣味」のひとつに過ぎないと思うのだ。
出勤前のカフェ、退勤後に音楽を聴く、仕事後のビール…。
それらと同じ地位にいるのだ。
それぞれの人にとっての「癒し」の時間、「楽しみ」の時間、「ご褒美」の時間、である。
勿論、趣味だからといって、なんでも許される訳ではない。
出勤前のカフェは、周りの人に迷惑にならない程度の利用時間とする、お店を汚さないように気をつける、等のマナーがあるだろう。
退勤後の音楽は、周りの音が聞こえるように気をつけるとともに、音漏れがないようにする、等のマナーがあるだろう。
仕事後のビールは、翌日に支障のない範囲で、周りの人に迷惑をかけたり公共の場を汚したりしないようにする、等のマナーがあるだろう。
煙草も同様に、周りの人に迷惑をかけたり公共の場を汚したりしないように決められた場所でのみ吸う、等のマナーがあるだろう。
これらは、全員が守ってはじめて、清潔な世の中、清潔な生活環境が守られる、といえると思う。
考え方やモノの見方、世論というのは流動的であるし、社会を使って生きている我々は、社会を綺麗に保つ義務を持つ。
だが、社会を清潔に保つために設けられているルールやマナーは、守りやすければ守りやすいほど良いと思う。
当たり前のことだろうが、と書いていても思うが、「守りにくいルール」の場合、勿論ルールを守っていない人は「悪い」のだが、そもそも「守りにくいルール」が「悪い」のではないかという視点も時には必要だと思うのだ。
それが、日常に溶け込んでいればいるほど。
新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、「会食は飛沫が飛ぶ」、「大勢が一堂に会すると危険」といった、今まで全くなかった視点が生まれた。
個人的には、会食は、電話やメールでは満たされないから、予定を合わせて顔を合わせてまで、思い思いの話をするものであると思っているため、当初は、会食の制限が受け入れがたかった。
正直に言えば、今も少しそう思っているところはある。
煙草に関して言えば、ここ数年で、上記の「コンテナ型喫煙所」のような新しい形の喫煙所が生まれた。
これは、受動喫煙を最大限防ぐ効果がある、画期的なシステムであると思う。
喫煙者は、「他人に迷惑を掛けない」という「ルール」を意識することなく、「コンテナ型喫煙所」というシステムによって、自然とそのルールを守ることができているのである。
社会を綺麗に保つためのルールは、無限に存在するし、人によって「守れているか」の基準は異なるだろう。
だからこそ、各々の「マイルール」が、全員の「マイルール」となりやすいようなシステムが日々構築されていくことを願う。
そうやって、「守りやすいルール」を守って、息がしやすい社会に進化し続けることが大事なのだと思う。