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生きるということ

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生きること、死ぬことについて日々考えたことを徒然なるままに書き記したnoteたちです。
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記事一覧

言葉は致命傷をつくれてしまうから。

言葉は致命傷をつくれてしまうから。

誰かを傷つけるほうにしか言葉をつかえないのなら、そんなもの捨ててしまえってすごく思う。

言葉は、ただの文字だし、本当に本当にただただ「言葉」としてそこに存在しているだけなのだけど、でも実はそれだけで、人の肌の皮をごっそりとそぎ落とせるくらいの鋭利さも持っている。

言葉を使い、誰かの物語を伝えていくプロとして、そのことは改めて肝に銘じておきたいと思った。

私は、誰かを輝かせるほうへ、救えるほう

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これまでの価値観を壊すときなのかも

これまでの価値観を壊すときなのかも

今日は仕事の合間に、髪を切りつつ、大きい本屋さんにも行ってきました。(東京は大きい本屋さんがそこかしこにあっていいよね…東京に住み続けたい理由のひとつ)

そこで、たまたま目に留まったAERAを購入して、ジュンク堂池袋本店の4Fカフェで読んできたのですね。

いつもAERAは鋭い特集を組むなあと思っていたのですが、今回はまさに今私が考えていた「日本経済は急速に縮小する中で、私たちはどう生きる?」と

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「死ぬのが怖い」は、心の叫びだったのか。

「死ぬのが怖い」は、心の叫びだったのか。

20歳のときに、ばあちゃんが死んだ。
すい臓がんで、がりっがりに痩せた遺体が痛々しくて、今でも棺桶に入ったばあちゃんの様子をありありと思いだせるくらいだ。

そのとき以来、私は「死ぬのが怖い」と、1年ほど前まで思い続けてきた。
死ぬことを極度に恐れることを、タナトフォビアと言うらしい。タナトフォビアは結構有名人にも多くて、T.M.Revolutionの西川貴教さんや堀江貴文さん、過去には小説家の大

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大切なことは、何気ない会話の中に。

大切なことは、何気ない会話の中に。

なんで死ぬんだろう。
そんなことを、しょっちゅう考える。

私は死ぬのがこわい。

だって、死ぬときは、誰もがひとりだ。
大好きな人たちと、もう二度と会えなくなる。
楽しいことも、もう二度とできなくなる。

そんなの嫌だし、ものすごく寂しい。
「なんてことだ」と腹の底がギューッと冷える思いがする。

でも、こわくても悲しくても、人生をまっとうしたいなら、自分や大切な人が死ぬことには向き合わなきゃい

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いつ死んでもいい、と言っていたおばあちゃんが羨ましい

いつ死んでもいい、と言っていたおばあちゃんが羨ましい

私はタナトフォビアだ。死ぬのが猛烈に怖くなる時期が度々ある。

そのきっかけは今は亡き父方のおばあちゃんの一言だった。「私はもういつ死んでもいいの」的なことを言っていた気がする。

あ、そっか。おばあちゃって死んじゃうのか。
あれ、私もそっか、生きてるから、いつか死ぬ。
え、死ぬってどういうこと?
死んだら私ってどうなるの?

そんなことを考えていたら、とっても怖くなった。
28歳になった今でも、

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幸せが長く続くことを祈る。

幸せが長く続くことを祈る。

アラサーという年齢もあってか、最近友人や先輩の嬉しいニュースが続いている。結婚したり、子供が生まれたり。人生の大きな転機を迎えている。

娘が生まれて、日々ものすごいエネルギーを放つ命に触れて、最近切に思う。友人の幸せな日々が、1日でも長く、続いていきますように。

幸せなんて、いつ突然崩れてしまうかわからない。この私の生きている毎日が何事もなく幸せに続いていることは、本当に本当に奇跡の連続で、あ

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死んでから気づくのでは、遅すぎる。

ずっとモヤモヤしていることがある。

助けを求めていた人に、誰も手を差し伸べなかったこと。それなのに、その人がいなくなって初めて、その人の周りに人が集まったこと。この世には失ってからその大切さに気づくことが度々あるけれど、大切な人の「大切さ」は死んでから気づくのでは遅すぎる。

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2年前のちょうど今頃、サークルの後輩が死ん

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タナトフォビアが起きた時の私の乗り越え方

タナトフォビアが起きた時の私の乗り越え方

急に「死」が怖くなった4歳4歳くらいだっただろうか。急に「死」というものが強烈に怖くなった。

きっかけはおばあちゃんの「私はこれでもういつでも死ねるわ」という言葉だったと思う。死んだら「私」が「私」ではなくなること。もし生まれ変わっても今の「私」ではないから、今生きている私は永遠に何処かへ行ってしまうこと。天国があるかどうかわからないし、天国があったとしても、大好きなお父さん、お母さん、弟に会え

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学ぶということ

学ぶということ

高校生の集中力はすごい。

私は大学職員として働いているのだが、今日は入学試験の試験監督として仕事をしており、試験の最中に高校生を見ていて思ったことである。

だって、入学試験の1日のために(およそ1時間×3〜5コマのために)、高校時代の半分くらいの時間を受験準備の勉強に費やすのだ。(もちろん、人によっては部活にほとんど時間を割いた人、留学した人など、受験準備にそれほど時間をかけない人もいる。)

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