「死ぬのが怖い」は、心の叫びだったのか。
20歳のときに、ばあちゃんが死んだ。
すい臓がんで、がりっがりに痩せた遺体が痛々しくて、今でも棺桶に入ったばあちゃんの様子をありありと思いだせるくらいだ。
そのとき以来、私は「死ぬのが怖い」と、1年ほど前まで思い続けてきた。
死ぬことを極度に恐れることを、タナトフォビアと言うらしい。タナトフォビアは結構有名人にも多くて、T.M.Revolutionの西川貴教さんや堀江貴文さん、過去には小説家の大江健三郎さん、ナポレオンや芥川龍之介、手塚治虫も死を極度に恐れていたそうだ。
しかし、どういうわけか、私は最近死ぬことがそんなに怖くない。というか、死ぬことをあんまり考えなくなった。自分でもこの心境の変化にびっくりしているのだけど、その要因は一つ、思い当たるふしがある。
我慢することをやめて、やりたいことをやるようになったこと。
例えば、仕事。子どもがいるからと先延ばしにしてきたフリーライターになる夢を、昨年春から実現させてきた。
それから、親との関係と娘との将来に悩むこと。昨年、どうしても心がモヤモヤして、辛くてしんどかった時期があって、『うららか相談室』の公認心理士の方に相談したことがあった。詳しくは書けないけれど、子育てってやっかいだ。悪いことも、良いことも、世代を超えて影響を与えようとしてくる。いつか私もなりたくない大人になってしまうんじゃないかって、昔に欠けられた呪いにとらわれて、ずっと悩み続けてきた。
でも、公認心理士の方に言われた言葉に救われた。私は私のままでいいし、娘と私の関係は、このままで大丈夫だと思えた。私の思うように子育てして良いんだ。悩むことをやめた。
そして、身だしなみや、遊び。子どもの頃から、華美に着飾ったり、化粧したりすることは禁じられてきた。やりたいと思った遊びも、「大人になればできるから」と我慢してきた。
大人になった今、パートナー氏は寛大だし、誰も規制する人はいない。子どものときに「やりたいな」と思ってずっと憧れてきたことを、30代になった今、いろいろと昇華させている。アイドルにハマったし、トレンドのメイクのやり方も覚えたし、髪も染めれば、プレステ5もやり込んだ。
遅れてやってきた反抗期。盗んだバイクで走り出すのが遅すぎる。
あと、実は人間関係も。嫌だなあと思うことは、全部手放してきた。(他の人からは、あいつ身勝手だなあと移っているかもしれないけれど、もともと友達少ないし、気にしない。)
でも、自分の心に正直になると、なんだか毎日が穏やかだったりする。我慢せずにやりたいことをやっているから、眠りに就くのが怖くない。(タナトフォビアあるあるで、夜、眠りに就くときが一番恐怖心が高まってやっかいなのだ)
ああ、そうか。
「死ぬのが怖い」は、もしかして、私の心の叫びだったのかもしれない。
このまま歳を重ねた先に、私の「死」の捉え方はどう変わっているだろう。また、タナトフォビアを再発していたら嫌だなあ。どうしようもない事実を前に、真っ暗闇に足がすくんで肝を冷やす感覚を、もう味わいたくないぞ。
とはいえ、大切な人たちが健在だからこそ、こんな風に穏やかに毎日を送っているのかもしれないとも思う。パートナーや親友を失うとき、あるいは、私が先に人生を卒業しなければいけないとき、その悲しみと絶望は、想像したくない。(死後の世界や来世があって、大好きなパートナーや娘に、もう一度会えたらいいのになあと、平安貴族のように思ったりする)
書いても書いても襲ってくる原稿を前に、1500字も書いてしまったこのnote。
そろそろ、終わろうと思う。