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いつ死んでもいい、と言っていたおばあちゃんが羨ましい

私はタナトフォビアだ。死ぬのが猛烈に怖くなる時期が度々ある。

そのきっかけは今は亡き父方のおばあちゃんの一言だった。「私はもういつ死んでもいいの」的なことを言っていた気がする。

あ、そっか。おばあちゃって死んじゃうのか。
あれ、私もそっか、生きてるから、いつか死ぬ。
え、死ぬってどういうこと?
死んだら私ってどうなるの?

そんなことを考えていたら、とっても怖くなった。
28歳になった今でも、この生きてる時間は有限で、いつか終わるということにたまに言葉にできない恐怖が襲ってきたりする。

で、ここ最近、生きることとか死ぬことについて、たくさん本を読んだし、闘病ブログを読んだり、自分でもいろいろ考えてた。

そこでふと、気づいた。

「いつ死んでもいい」って思えたおばあちゃんは、実はすごく幸せで、それは人としてとても素敵なことだったのではないか、と。

子供と孫が元気に暮らしていて、自分もある程度健康で、慕っている人と2人で日々暮らしていて、やりたいことはやってきた。

思い残すことはない。いつ死んでもいい。

そう思えるのは、自分が大事にしたいことをしっかり大切にしてこれて、やりたいことをやってこれたからなんじゃないかと思うのだ。

死んだらどうなるかは、いつまでもわからないことだけど、死ぬときに後悔しない生き方をする、というのは今からでもできることだ。

おばあちゃんのように、いつ死んでもいいと思えるように。

私も大事な人を大切にして、やりたいことをやって、後悔のない人生を送りたいと思う。

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市岡光子|物語を紡ぐストーリーテラー ✍ ライター・編集
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