死んでから気づくのでは、遅すぎる。

ずっとモヤモヤしていることがある。

助けを求めていた人に、誰も手を差し伸べなかったこと。それなのに、その人がいなくなって初めて、その人の周りに人が集まったこと。この世には失ってからその大切さに気づくことが度々あるけれど、大切な人の「大切さ」は死んでから気づくのでは遅すぎる。

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2年前のちょうど今頃、サークルの後輩が死んだ。死因はわからないけれど、彼女のTwitterを見ると、おそらく自殺だと思う。

後輩はTwitterで何度も「HELP」サインを出していた。自殺の方法を調べたこと。自殺を試してみたけど、死ねなかったこと。躁鬱病を患っていて、医者とうまくいかなかったこと。薬をもらったけど、合わなかったこと。大好きな旅にも行けなくなるほど、体調を崩してしまったこと。

私はサークルの友人たちとTwitterをやっていなかったので、彼女が亡くなってからそのTwitterアカウントを見た。そして、なんで彼女をフォローしていなかったのか、彼女のサインに気づけなかったのか、後悔した。

同時に、彼女のTwitterをフォローしていたサークルの友人や後輩たちを恨んだ。彼女のサインに誰も反応を示さなかったから。誰も寄り添わなかったから。

精神を病んだ人に寄り添うのは簡単なことじゃない。確かにそうかもしれないけれど。でも誰か一人でも彼女の話を聞けていたら。誰か一人でも、彼女と音楽の話をできていたら。誰か一人でも彼女に何か気晴らしになるものをあげられていたら。何か違ったんじゃないかと思わずにいられなかった。

誰も彼女に寄り添わなかったのに、彼女の葬式や墓参りには友人や後輩が集まった。何かしたいから、と献花の集金をやり始めた人もいた。

ねえ、でも。どうしてそれを彼女が生きている間にやれなかったの。どうして誰も、彼女が生きている間にコミュニケーションを取らなかったの。

死んでから気づくのでは遅すぎる。二度と会えなくなってから、その人のために行動を起こすのでは遅すぎる。

そんな想いが、2年前からずっと消えないでいる。

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大切な人は、今日、今、大切にしてほしい。好きだと伝えて、触れ合って、コミュニケーションをたくさんとってほしい。

私もあなたも、明日はこの世にいないかもしれない。もうこの世では会えないかもしれないから。

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市岡光子|物語を紡ぐストーリーテラー ✍ ライター・編集
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