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フッサールを読むフーコー

フーコーによると、フッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』は、第二次大戦直後の若き哲学徒たちにとって金字塔的な存在だったらしい。(「わたしは花火師です」)

フーコーも感銘を受けた一人だが、サルトルらとは違い、『危機』における現象学的手法を使いこなせたわけではなかった。

彼が感化されたのは、新しい哲学をつくり上げていこうとする先人の姿勢だった。


同書を見てみると、第一部がそれに当たる。

私としては、強固なイデア論的思考と陶酔的なまでのヨーロッパ中心主義に圧倒された。

著者は理性・人間性を重んじており、啓蒙主義にも一定の評価を示している。

こうした点には共感できる部分もあるが、戦後のフーコー哲学と全く違うのが意外だった。

「狂気」を排除する理性を批判し、「人間の終焉」を予言したフーコーが自身の原点として、非常に近代主義的な書物を挙げているとは面白い。


自分の仕事は哲学ではなく、著作物という爆弾による「破壊」なのだと彼は言う。

それは、新しい哲学をつくろうとした先人に背き、後ろめたかったからだろうか?

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