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うつと私の冬

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病名 うつ病
上記病名にて当院通院加療中。抑うつ状態悪化、不眠、不安に加え、吐き気、めまい、ふらつき、動悸、手の震え、全身倦怠感、希死念慮あり。休養が必要であると判断する。

大学在学中から抑うつ気分や不安焦燥感が出現した。大学卒業後はOOの職に就いたが、業務の重責や過重労働、職場の人間関係、セクシャルハラスメント等が重なり、症状再燃した。
XX年X月X日に当院初診し、うつ病と診断し精神療法と薬物療法を開始した。症状が重かったことから休職を指示し、X年間の休職を経て一度は復職するも、業務ストレスからか症状再燃した。そのあとはXX年から再休職となり、復帰することなく令和6年1月31日をもって退職した。

単身では外出困難で、通院の際には付き添いが必要。買い物に行くこともできず、寝たきりで過ごしている。社会復帰にも時間を要すると思われる。
休職中は仕事復帰を希望するも、身体が動かず復職できない…という状況に自責感や希死念慮が憎悪していたが、退職後は就労や就職について考えるだけで症状悪化するため、しばらくは療養に専念するよう周囲が支援している。
抑うつ気分と意欲低下から入浴や更衣も週に1回程度で、家族の支援があっても基本的な日常生活を送ることも困難な状態が続いている。希死念慮が強く見守りが必要な状態であることから、現在は実家に戻り両親の支援を受けている。

医師の診断書より

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起きた瞬間に「今日も生きなければいけないのか」と絶望する。
布団の上に仰向けに寝そべったまま、ギロチンが上から落ちてこないかなと思う。当然そんなものは落ちてこないし、自分で死ぬ勇気もない。生きるしかない。
「他の人がいろいろなものを積み上げている間に、わたしはマイナスをゼロにする対症療法ばかりして時間を浪費した」「私は人生を棒に振った。もう取り返しはつかない」と感じる。過去への執着。病気で失われた時間への執着。
お決まりの、「働かなくてはいけないのに働ける体調ではない」「もうどうしようもない」「極貧になる」「死ぬしかない」という極端な強迫観念にも苦しめられる。リアルタイムでも「あ〜これ症状の一つだな。貧困妄想も入ってるかな」という自覚がある。病識がある。のに、苦しい。いい加減にしてほしい。頭では分かっている。脳のバグのせいでそう思っているだけなのだ、と。でも、苦しい。食中毒の時に、なにに当たったか知っていても、腹の痛みは減らないのと同じことである。
お金というか、お金の持つ選択肢すなわち可能性に固執しているんだろうな、と思う。皆そうか。お金なんて所詮なにかと交換するチケットでしかない。恥ずかしいほど当たり前のことを言っている…。私は選択肢や可能性が失われ、どこにも行けなくなるのが、そしてそれを後悔するのが、おそろしくて仕方がないのだ。
不調時のための抗不安薬を服用するが、耐性がついてしまったのか、効き目はわずかに感じる。
号泣する。自分は迷惑をかけるだけの何の価値もない人間になってしまったのだ、死んだほうがいい、と思う。
友人に「今日も生きててね」とメッセージで送ってもらう。人に言ってもらえれば、難なくできるのではないかと思い、お願いした。
続けて、「明日も明後日も」と送られてきた。わたしは言っていないのに、友人が追加してくれたのだ。泣いてしまった。
辛いのはむしろ、悲しみや虚しさよりも居心地の悪さかもしれない、と思ったりする。
悲しくても虚しくても、その中でくつろげたら生きていけるはず。
居心地が悪くて、気持ちが悪くて、呼吸がしづらい。
「雑音ばかり聞いて時間を無駄にした」頭の中で言葉が響く。内なる批判者。うるさい。黙れ。
自分に苛立ち、左胸を何度か殴ってしまった。殴ると少し泣けた。
過去を悔やんで、先のことを怖がってばかりいる。今を生きたい。苦しい。鬱に飲まれて自死なんてしたくない。死んでたまるか。まとわりつくな。希死念慮の中身は「このまま生きていてもみじめになるだけだから死んでしまおう」だ。先回り不安もいいところである。
絶望と親しくなりすぎたし、希望とは疎遠になった。いつの間にこんなことに。
「生きるため 秋冬物の服を買う おとといきやがれ すべてのことよ」
秋の始まりに詠んだ歌。まだ元気だった。山上階さんの短歌バーだった。わかりきっていたことだが、すべてのことは、おとといきやがれですまなかった。くそう。
自分の苦痛の相手をしているだけで精一杯の日々だった。視野狭窄。自覚はあるのに苦しみは紛れない。紛れろよ。
誰もいない部屋で「苦しい苦しい」「助けて助けて」と言った。頭を数回枕に打ちつけた。少し泣けた。
わたしの脳はどうなってしまったんだ。治癒してくれ。頼む。
ほうほうの体でなんとか部屋を出てリビングに辿り着き、父の姿を見つけるなり駆けつけ「辛い、死にたい、消えたい」と連呼しながら泣いてしまう。ものすごく親不孝だと思う。いい歳なのに情けないと思う。でも、実際に死ぬよりはマシだと思う。必ず治るよ、大丈夫、よくしていこう、と言われる。本当にありがたい一方、全てが手遅れに感じる。つらい。10年前にこうして甘えるべきだったのだ、親も私も歳をとってしまった、遅すぎた、という自動思考に襲われる。無視したい。
2度目の抗不安薬を飲むも、意識がある状態に耐えられない。意識があると希死念慮で悶絶してしまうのだ。昼だがたまらず導眠剤も飲む。眠りに落ちる。強制的にシャットダウンする。
数時間後に起きた後、友人と通話。
「心から良くなってほしいと願っている」「その状態に耐えて回復を諦めていないのを尊敬している」と言われる。
また別の友人から電話。「その精神状態で他人に当たらないのはすごい」と褒められる。そこを誇る発想はなかった。嬉しい。「心が相当強くないと耐えられないし、当たっちゃうよ」とのこと。「死にたいと感じるのを止めようとするのではなく、こんなに辛いなら死にたくなって当然だろバーカと思っていいと思う」と励まされる。元気が出る。ありがとう。「周りに頼れる人がいてよかった。どんどん頼っていこう」とも。

自己嫌悪がすごい。自意識過剰である。もっといい自分になりたかったのだ。
18歳からずっと気分を紛らわすのに一生懸命だった。なんなんだこの人生は。大学で鬱になり、本が読めなくなってから何もかも変わってしまった。手探りで生きてきた自分をそんなに責めたくないのに責めてしまう。
闘病記を本にしたい。本を出すってどうしたらいいのだろう。なにもわからない…。ZINEってどうやって作ったらいいのかな。
簡単な遺書を書いた。これで少し安心。なんというか、遺書を書くことで1回死んで、生き延びられないだろうか。
死ぬのはみじめじゃないのだ。私にとって何より恐ろしいのは「こんなはずじゃなかった、なんでこんなことになってしまったんだ」と思いながら生き続け、老い続け、後悔し続けることのようだ。我ながらなんか潔癖でやだな。生きてりゃいいのに勝手に理想を高く持ってそれが満たさなかったら苦しんで。こういう感覚が自死を近づけるのだ。視野狭窄に陥っており、過度に自罰的で、それはつまり非現実的に完璧主義になっている。それとはあべこべに頭や体は動かない。
昔のメモにも「死ぬのはこわくない 生き続けて後悔するのがこわい」と走り書きがしてあった。ずっとそうなんかい。
生きのびてるんだから成功じゃん、のマインドになりたい。
自分で自分の欠損を愛せ。
パジャマのズボンに経血がついてしまったが、手洗いする気力がない。そのままシミになるだろう。嫌だが、今の私にはどうしようもない。

「すべては変わりゆく だが恐れるな、友よ 何も失われていない」

本当に?

「墓石の前、互いを破壊し、状況を老化させ、悲惨を繰り返す」わかる。本当にそう。

鬱だから不確実性に耐えられないのか、不確実性に耐えられないから鬱になったのか。

夜、決死の覚悟で立ち上がり、なんとか歯磨きをした。大仕事だった。

明日が来るのが怖い。私にやさしい日であってくれと祈る。
「優しくなかったら、優しくしてよって言おう。図々しくいきましょう」友人の言葉。
夜なので堂々と導眠剤を飲む。昼も飲んでいるので飲みすぎである。

寝たらまた明日が来るのか。

#創作大賞2024
#エッセイ部門

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