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著…野村萬斎『狂言サイボーグ』

 父は「師匠」でもあり「父」でもあるから「師父」。
 師父から狂言に関するありとあらゆる機能を植え付けられる。
 全ての動きに型があり、動かない時も「カマエ」がある。
 決して誤作動しないようプログラミングされる。
 そんな自分を「狂言サイボーグ」と捉える。

 そんな内容がこの本の冒頭に書かれていたので、わたしはハッとしました。

 以前テレビで観たことがあったからです。

 野村萬斎さんが、当時幼かった息子さんと舞台に上がっている時、ぽろぽろと涙を流しているのを。

 舞台の上なのに…。

 でもあれは、どうにも止めようのない涙という感じがしました。

 あれは、自分だけでなく幼い息子まで「狂言サイボーグ」にしてしまうことへの涙だったのでしょうか?

 でも野村萬斎さんはこうもおっしゃっています、

「人間讃歌の劇 狂言を駆使して 大宇宙に発信したい 世界の人たちに知らせたい 争う気持ちより おおらかな笑いの力が ずっと強いことを」
(単行本版P204から引用)

 と。

 狂言は喜劇。

 人間の愚かしさや情けなさといったものを笑いに変えてくれます。

 観客はいつしか、自分自身や周りの人々のイメージを狂言の登場人物と重ねます。

 それはきっと、狂言師にしか出来ないこと。

 人間の愚かしさや情けなさを笑いに昇華することが出来たなら、世の中に争いは起きないのかもしれません。

 それを思うと、野村萬斎さんのおっしゃる「争う気持ちより おおらかな笑いの力が ずっと強い」というのは何て素敵な言葉なのでしょうか。

 また、

「伝統を権威化するのは意味がない。実力もないのに道具を自慢してその気になっているようなものだ。道具の構造を理解し、使い方を知らなければならない。つまり〝型〟の生まれた必然を考え、現在に意味を持たせなければならない。そのためにも、狂言の進化の過程を繰り返す必要があるのだ」
(単行本版P154から引用)
「他のジャンルに交わることも、狂言界ではもはや伝統である。私もその伝統の末尾で、出来ることなら進化し、真価を問うてもらえる狂言師になりたい。まずそろりそろりと参ろう」
(単行本版P154から引用)

 という言葉もとても素敵です!

 わたしはこの本と出会ってからというもの、野村万作さんや野村萬斎さんの公演に足を運んで参りましたが、毎回新たな発見があり、ワクワクします。

 わたしはまだまだ狂言の多くを語れるほどの通ではなく、にわかファンの域でしかありませんが、焦らずじっくり、そろりそろりと参りましょう。

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