著…野村萬斎『狂言サイボーグ』
父は「師匠」でもあり「父」でもあるから「師父」。
師父から狂言に関するありとあらゆる機能を植え付けられる。
全ての動きに型があり、動かない時も「カマエ」がある。
決して誤作動しないようプログラミングされる。
そんな自分を「狂言サイボーグ」と捉える。
そんな内容がこの本の冒頭に書かれていたので、わたしはハッとしました。
以前テレビで観たことがあったからです。
野村萬斎さんが、当時幼かった息子さんと舞台に上がっている時、ぽろぽろと涙を流しているのを。
舞台の上なのに…。
でもあれは、どうにも止めようのない涙という感じがしました。
あれは、自分だけでなく幼い息子まで「狂言サイボーグ」にしてしまうことへの涙だったのでしょうか?
でも野村萬斎さんはこうもおっしゃっています、
と。
狂言は喜劇。
人間の愚かしさや情けなさといったものを笑いに変えてくれます。
観客はいつしか、自分自身や周りの人々のイメージを狂言の登場人物と重ねます。
それはきっと、狂言師にしか出来ないこと。
人間の愚かしさや情けなさを笑いに昇華することが出来たなら、世の中に争いは起きないのかもしれません。
それを思うと、野村萬斎さんのおっしゃる「争う気持ちより おおらかな笑いの力が ずっと強い」というのは何て素敵な言葉なのでしょうか。
また、
という言葉もとても素敵です!
わたしはこの本と出会ってからというもの、野村万作さんや野村萬斎さんの公演に足を運んで参りましたが、毎回新たな発見があり、ワクワクします。
わたしはまだまだ狂言の多くを語れるほどの通ではなく、にわかファンの域でしかありませんが、焦らずじっくり、そろりそろりと参りましょう。
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