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弱いままで生きる


来週からの旅行と生理が被らないようにと、数日前からピルの服用をやめている。下腹部に感じる違和感がいっそう気分を悪くさせる。私の生理周期は、子宮内膜症のためにピルを服用することで100日ほどにまで延びた。そのため、以前のように1ヵ月に1度、1週間苦しむ日々に比べれば遥かに楽になった。

今思えば、営業時代は本当に辛かった。人と痛みは比べられないので、このくらい痛い人も一定数いるのだろうと、自分に言い聞かせていた。周囲の目を気にしながら、生理のために休むことは許されないと感じていて、必死に頑張り続けた。生理もなく、体力もある男性社員が羨ましくて仕方なかった。スーツに経血が付いてしまったときは泣きたかった。

耐え難い痛みが続いたので、流石に心配になり、婦人科を受診すると、子宮内膜症であると診断された。医師から「今まで辛かったでしょう」と言われ、その言葉に泣きそうになった。もっと早く自分の痛みを自分で労ったらよかったと、心の底から思った。痛みは人と比べられないし、誰にも理解されないと思っていた。今なら、自分が痛いときは痛いと言っていいに決まっていると思う。休みたいときは休んだほうがいいとわかる。

コロナ渦を経て、体調が悪いときは無理をしないことが許されるようになったと思う。在宅勤務が主な生活をしている今は、体調が悪い今日のような日は、身体に優しい服を着て、温かいものを飲みながら、ゆっくり過ごすことができる。調子が戻ったときにはまた頑張ればいいのだ。そんなふうに、自分のペースで生きていけるようになったことは、私にとって大きな変化だ。

自分の体に寄り添いながら、未来のための準備を進めていく。エネルギーが出る日のための充電も大切だ。少しずつ、自分を大切にするということが分かってきた。

女性学を産んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムは決して女も男のように振る舞いたいとか、弱者が強者になりたいと言う思想ではありません。踏ニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。
(平成31年度東京大学学部入学式祝辞)

大きな話題を巻き起こした、上野千鶴子さんの祝辞に触れて、私は救われる思いだった。男性社会のルールの中でうまく立ち回れないことで、自分を卑下し、「私は能力が低い」という呪いをかけ続けてしまったのだが、それはある種構造的な問題でもあったのだ。女性の意見を聞かずに出来上がってしまった仕組みの中で、自分がうまく能力を発揮できなかったとしても、それは自分を否定していい理由にはならないだろう。既存の社会の仕組みのほうにアップデートする余地があるのだから。

私はもう背伸びをし、強者のふりして働くのはやめた。自分の弱さを、ちゃんと許容した上で働くことに決めたのだ。弱くても強く生きられる。社会で生きるための「必勝法」にも、もっと多様性があればいい。

塩谷舞,ここじゃない世界に行きたかった

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