ひみこ

ほぼDINKsでそれなりに楽しく生きてます。イラストは描いてます。 個人ブログ「ひみこnote」(https://himiko-meets-inomi.com/)も運営中。 合わせてよろしくお願いします。

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最近の記事

【不妊治療との距離感】病まないためには価値観の見直し、ほかの役割を持つことが重要です

 この記事では不妊治療に臨む上での不妊治療とのあるべき距離感について、私なりの見解を述べています。不妊治療がうまく進まず、すべてを投げ出したくなっている方に少しでも寄り添うことができれば、という内容です。  私自身、タイミング法から体外受精まで不妊治療クリニック通いに2年以上を費やし、治療も思うような結果が出ず思考停止して無に陥ったことは数知れず…いまだに妊娠していませんが、現在は不妊治療をお休みして夫婦2人でも私1人でも楽しく過ごすに毎日に至ります。  そんな私に、病ま

    • 仕事と不妊治療の両立はどうする? 30代正社員女の私が実際にやってみました

      (こちらの記事は2020年5月17日に公開した記事を加筆したものです)  『仕事をしながら不妊治療をはじめると、どれくらいの頻度で仕事を休む必要があるのか?』と疑問に思う方は多いですね。  今回は、正社員の私が体外受精を実施するために実際にどれくらい仕事を休んだのかをレポートします。仕事と両立しやすいクリニックの選び方のポイントもお伝えしますので、これから体外受精以降の高度不妊治療を検討している方の参考になれば幸いです。 タイミング法や人工授精は通院回数は月2〜3回程度

      • 新生児と鳥のさえずりに囲まれて子宮筋腫の手術をしたよ(後編)

        あけましておめでとうございます。 え…もう4月も半ばですか?(白々しさ) おひさしぶりです。ひみこです。 2020年11月に手術を終えてからというものの、不妊治療のふの字も思い起こすことなく、ただ1個の35歳DINKs女性として生活していました。 手術の担当医からは「術後3周期は不妊治療をせず、明けたらまた不妊治療クリニックの先生を伺ってください」と言われ、3周期どころか6周期くらい何もしていない今。とりあえずサプリメントだけ飲んでいます。 2019年から2年間ほど

        • 【もってきて正解/あればよかった】入院生活の質を爆アゲするアイテム7日間滞在用

          おっす! クリニックステイも板についてきた入院4日目のひみこです! 子宮筋腫手術という婦人科系疾患でまさに今1週間入院している私から、ヒマをもて余しすぎてつい紹介したくなっちゃったこの熱量に身をまかせ、入院生活での必要・役立ちアイテムを勢いにまかせて列挙していきたいと思います。 ちなみに今回のクリニック、婦人科系入院は個室の選択ができず、4人部屋のみ提供できるとのことでした。個室か大部屋かでも状況は変わってきますかね。 以上を踏まえて、 ・開腹手術した女性が ・ホテ

        • 【不妊治療との距離感】病まないためには価値観の見直し、ほかの役割を持つことが重要です

        • 仕事と不妊治療の両立はどうする? 30代正社員女の私が実際にやってみました

        • 新生児と鳥のさえずりに囲まれて子宮筋腫の手術をしたよ(後編)

        • 【もってきて正解/あればよかった】入院生活の質を爆アゲするアイテム7日間滞在用

          新生児と鳥のさえずりに囲まれて子宮筋腫の手術をしたよ(前編)

          またしても前回の記事から1ヶ月以上経ちました。 不妊治療についてのネタがなかったからです。進まない不妊治療。 ですがついにアガりましたよ、新鮮なのが! 待望の(?)! 待ち焦がれた(?)! 子宮筋腫の手術をする日がやってきたのです!!! いえ、やってきたどころか実は2日前に無事手術を終えました。 今では痛みも手中におさめ、悠々自適な入院生活を現在進行形で送っているところです。 憧れの産院で肉塊を削ぎ落とす都内某所 Aクリニック__ 11月25日入院初日です。 不

          新生児と鳥のさえずりに囲まれて子宮筋腫の手術をしたよ(前編)

          「障害受容」をたどり不妊を受け入れる

          医療界隈の方はご存知かもしれませんが、障害を受け入れる過程には5つのステージがあるといいます。 1 ショック期(感情が鈍麻した状態) 2 否認期(現実を否認する) 3 混乱期(攻撃的・自責的な時期) 4 再起期(解決に向けて努力する) 5 受容期(障害を受け入れ、新しい価値観をもつ) この5つは順番に辿っていくわけではなく、各段階を行ったり来たりしたり、一段や数段階飛ばしたりしていきます。また、全員が受容期に至るわけでもありません。 この「障害受容」とは、乱雑で

          「障害受容」をたどり不妊を受け入れる

          2回目の体外受精で感情をなくす

          前回の投稿から1ヶ月も空いてしまいました。 それは2回目の採卵からも同じくらいの月日が経ったということです。 この間私はどうしていたかというと、妊娠に関する感情を「無」にし、日々を過ごしていました。 変わらず毎日仕事に行き、淡々と生活する… 結論からいうと、2回目の採卵もまた、何も凍結保存できずにあっけなく終了してしまいました。 今回のことは開かずの箱に閉じ込めて記憶から消したいレベルなのですが、報われないこともすべてが私の不妊治療でございます。記事にして供養したい

          2回目の体外受精で感情をなくす

          2度目の採卵中に推しのことばかり考える〜たまにちらつく夫〜

          約1週間前、2度目の採卵を終えてきました。 1回目の採卵は無慈悲にも砕け散り、それに充てた夫婦の給付金20万円が一瞬で溶けました。 絶望の淵に立たされたのもつかの間、沈黙の3ヶ月を経てようやく2回目の採卵へ。 卵をとるか、卵巣の爆発をとるか私が通院するクリニックでは採卵から培養で30万円以上はかかり、いくら不妊治療の助成金が後々手に入るとしても、そのうちの最高で15万円ほどしか還付されません。これは初回ならば30万円です。 つまり15万円以上は実費なわけで、失敗したら(

          2度目の採卵中に推しのことばかり考える〜たまにちらつく夫〜

          子なし、白羽の矢が立ちがち

          お久しぶりです。 さて、沈黙の1ヶ月を破るトピックは私の不妊治療についてではありません。 不自由な労働を強いられがちな子なし女辛辣な見出しですが、私のことです。 今回はほとんど呪詛です。 まずは私の職場の話からお送りします。 去年、同グループの施設へ人手が足りないため、ヘルプに行ってほしいと上司から告げられました。話し合って決めたわけでもなく、白羽の矢が立ったのは未婚者と既婚子なしのスタッフでした。 結局、1日数千円の手当てほしさに(あと気分転換に)私は自ら立候補し

          子なし、白羽の矢が立ちがち

          うつ病が完成する前に逃げた話【デザイナーを1年半で辞めた理由】

          今の私の職業は医療専門職です。 この状態になるまでにデザイナー業界に身を置いていた時期があります。今回は、「グラフィックデザイナーだったころに心が死にかけた」というお話です。 デザイナーに「なりたかった」現在の医療専門職に就くための専門学校に通い始めたのが27歳のことです。 それ以前はほとんどニートのような日々を2年間近く過ごしたのですが、そのはじまりは1年半務めたグラフィックデザイナーから足を洗ったことにあります。最後は逃げるようにして辞めました。 鬱の手前のような

          うつ病が完成する前に逃げた話【デザイナーを1年半で辞めた理由】

          ミトコンドリアから人生をやり直す

          7月もなかば。 今周期は待ちに待った2回目の採卵をする はず でした… 不妊治療、何年かかるんだ問題 採卵を見送りました。2個しか採れないとわかったからです。 以前の記事でお話しましたが、採卵へ進むかどうかの境界線を5個にするか4個にするかで夫と食い違ったことがありました。 2個。なんて潔い数でしょう。 前回のように2個なら採れても全滅する可能性が高いので、脊髄反射であきらめました。 となると次は8月…といきたいところですが、ちょうど採卵時期がクリニックの夏季休暇

          ミトコンドリアから人生をやり直す

          ぶつかり合うことを恐れた夫婦は不妊治療ができない

          宇宙人夫婦の不妊治療日常で夫が登場するとき、私は彼を『主人』とは呼びません。 私に主(あるじ)はいません(千の風かな)。 夫を対等な関係だと思っていて、夫もそう考えています。 共働きで表面上の収入は同程度。 生活費は半分ずつ。不妊治療費も半分ずつ出し合います。家事もほぼ半分ずつです。 私たちに右と左はあっても上や下はないです。 また、私は夫と結婚前する前の交際期間7年の間で100回以上は別れようと思いましたし、そう伝えました。別れようと思って、時間が経つと「ま、いっか

          ¥500

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          不妊治療中の今、ほんとうに子どもはほしいかを考える

          画像はうちの本棚です。私の趣向が100%反映されてます。(夫の要素ゼロ) タイトルをながめて考えました。 そんなことをまじまじと考える必要もないほど、スピーディーに自然に授かりたい人生だった。(悲壮感かもすなて) 今、不妊治療のお休み期間なもので、要するにヒマです。あーでもないこーでもないが湯水のごとくわきあがってくる時期です。 今回はあたりまえすぎて、なにを語り出したのかこいつは、という内容です。 どうして生物は増えるのか見出しが壮大。 不妊をこじらせると、思考

          不妊治療中の今、ほんとうに子どもはほしいかを考える

          体外受精を「なぜ」「今」行ったのか 【後編】

          後編でございます。導入編はこちらです ↓ 初めてにして散々な結果の体外受精でした。 ですが、私はとても前向きに生きております! さっきも元気に1人で二郎系ラーメンを食べてきました。(懲りてない) 採卵は思ったより痛くない採卵日前日まで自己注射や抗生剤、坐薬やらを指定された時間にこなしていき、着々と出荷レベルに仕上がっていった私。 自己注射はもう手続き記憶でできるほどの腕前です。 採卵日当日は、朝8時30分にはクリニックに到着していました。 本来ならば夫も同伴する

          体外受精を「なぜ」「今」行ったのか 【後編】

          体外受精を「なぜ」「今」行ったのか 【前編】

          クリニックに通いながら不妊治療をはじめて早1年…ずっと気付かないふりをしていた。いや、認めたくなかった… もしかして、 『私ってば…』 『うちの妻ってば…』←夫 『『自然には妊娠しないんじゃない…!?』』 ということで、ようやく体外受精に進む決心がつきました。 生殖機能×お金×仕事体外受精に進むだなんて考えは、今年の2月ごろまでは頭のどの片隅にもありませんでした。 6回の人工授精が不発に終わった以外に、ステップアップへの重い腰が上がった理由は他に2つあります。

          体外受精を「なぜ」「今」行ったのか 【前編】

          自己実現を夢見すぎて妊娠できるタイミングを見誤った人のお話

          これは私のことです。 今回は今から10年前、24歳の頃の私に向けて書いています。 子どもは昔からほしかったどれくらい昔かというと、高校生のときには将来の自分の子どもの名前をすでに考えはじめていました。 子どものいる生活を夢みていました。 子どもができたら、博物館や科学館に一緒に行きたいなーと思っていました。 しかし、その素敵な名前がついた子どもと上野の国立科学博物館に一緒に行くために 妊娠しなきゃいけないのは女である私だった と気づいたのは30歳をとうに過ぎてか

          自己実現を夢見すぎて妊娠できるタイミングを見誤った人のお話