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50年代に音楽的に融合したBlackMusicと、CeltMusicの歴史を辿る旅 / バラッドからのフォーク、カントリーミュージック発祥の歴史

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ケルト音楽の動き

ケルト音楽は、その名称から、ケルト人由来の音楽です。ほぼアイルランドの音楽と考えてもよいかとは思います(実際は、スペイン北部ガリシア地方や、スコットランドや英国などへも派生しているのですが)。

この音楽は、たとえば、エンヤの音楽でわかるように、懐かしさもあり、包み込むような優しさもあり、そしてどこか悲し気な旋律です。

ケルト音楽は身近なところに進出していて、現在でも様々なシーンでその音を聞くことができます。たとえば映画だと、有名なシーンは「タイタニック」の最後のほうのシーン。氷山にぶつかったタイタニック号が浸水し、徐々に沈んでいく中、逃げまどう乗客を落ち着かせようとしたのか、この時、甲板で楽団(カルテット?)が演奏していたのがケルト由来の音楽でした。


また、アメリカの西部劇を舞台にした映画や、ディズニーランドのビッグサンダーマウンテンなど西部モチーフの場所などで、かかっている音楽もケルト直結ですね。

このケルト音楽の流れが、アメリカ南部でブラックミュージックとクロスするわけですが、、、この音楽の舞台となった大地はどのような場所だったのでしょうか。

アイルランド

ケルト音楽は、アイルランド地方の音楽が主体となっています。もともとアイルランドは隣国であり大国(太陽の沈まない国)だった英国の支配下にあったようなものでした。また、荒涼とした大地で天候の影響を大きく受ける土地柄でもありました。

そんな状況ゆえ、住民の生活は苦しいもので、1776年のアメリカ独立を機に、搾取や厳しい気候などからの脱出先としてアメリカにわたる人々が見られていたようです。

この動きが最大化したのが、1840年代からのジャガイモ飢饉です。これにより、アイルランド農業は一網打尽となり、この間の数年で25万もの人々が夢の大陸や英国、カナダへと渡っていくのでした。

このあたりを描いた映画としては「アンジェラの灰」、「タイタニック」がありますね。タイタニック号はアメリカを目指しており、当然アイルランド系の方々も多く乗船していたわけですので、この大きな移住という歴史の中にあるわけです。

アメリカに渡ったアイリッシュ

アメリカ移住後は、移民グループが大きな勢力を形成することになります。この中にケネディ一族もいました。

また、一部は東部のアパラチア山脈に住み着いていったようです。ここで、英国直結のバラッドや、土着のケルトの原型を後世に歌い継いでいったわけです。

余談を言うと、アイリッシュ系の姓は、Mc・・と続くもの(マッカーサー、マッカートニー、マクマナマン、マッケンジー)、O’・・・と続くもの(オマリー、オブライエンなど)や、ウォルシュ、ケネディなどです。よくニュースや歴史書で見かけますよね。それだけアメリカに浸透しきっているとも言えます。

さらに余談ですが、ウィスキーといえば、アイルランドのアラン諸島やスコットランドが有名ですが、彼らがその製法を大陸に持ち込みます。彼らの一部は、ウィスキーを密造・密売もしていたようです。月の明かりの下で、ひそかに密造していたので、密造ウィスキーを当時は「Moonshine(ムーンシャイン)」と呼んでいたようです。

また、スキットルという入れ物に密造ウィスキーを入れて、ブーツに隠していたため、密造酒のことを「Bootleg(ブートレッグ)」とも呼ぶようになります。今日では、海賊盤の意味になってますよね。これが由来です。

で、この密造酒は、密造ゆえに、税金がかからないため、NYとか都市部にイタリアからやってきたイタリア系マフィアに愛されるわけで、1800年代に禁酒法ができてからは、それが加速し、アルカポネ(映画「アンタッチャブル」ケビンコスナー、ショーンコネリー、ロバートデニーロの名作)やイタリアマフィア(これは「ゴッドファーザー」ですね)が、裏で大きな力を持つようになるわけです。


なお、アイルランド人がアメリカに向かう経由地は、リバプールでした。経由地ゆえ、この街には多種多様な文化が根付いていたと思われるわけで(そもそも港町なので、その雰囲気もあったでしょう)、この多様な文化が、のちのスーパースター誕生につながります。(ビートルズ)


1)バラッド~フォークミュージック

こんな民族の移動があって、アメリカ大陸にアイルランド人が住み着いていきます。彼らが日常的に演奏していた音楽の題材は、日本の演歌のようなもので、だれが結婚したとか、喧嘩したとか、そういったゴシップ的なものでした。こういう楽曲の事を「Ballad(バラッド。バラード)」と呼びます。(中世吟遊詩人が歌ったものもバラッドでした。)

また、彼らの音楽を総称して、民族の音楽ということで「Folk Music(フォークミュージック)」と呼んだりもします。(日本はカレーライスに顕著なように、うまく自己流に改変するので、フォークソングは日本では、かなり様相の違うテイストになってますが)

この系譜に、ボブ・ディランがいます。


2)カントリーミュージック

そして、彼らの奏でていた音楽が、ブルーグラス→カントリーミュージックとなっていきます。白人主体の音楽ですね。西部劇のモチーフもこういったところからきています。

ガース・ブルックス、テイラー・スウィフト(最初のころの)、リーアン・ライムスらの音楽はこういう出自があります。

この歴史のラインの上にいる過去のたくさんのミュージシャンたちも、18世紀に祖国を離れ異国の地で感情を音楽にのせて表現していましたので、当然、彼らの音楽の根幹にも、ブラックミュージック同様に、祖国への思いや、深い哀しみがあるわけです。

相互に悲しみをたたえた「ブラックミュージック」と、「ケルト由来のバラッドやフォーク、カントリー」が融合するのが、1950年代のことでした。

米国でのロック誕生:Black and White

黒人の多い地域で育った白人のエルビス青年は、黒人音楽がすぐ近くにあり、かつ白人ですから移民の血を引いていたりするわけです。

ある日、エルビス青年が、お母さんに自分の曲をプレゼントしようと思い立ち、メンフィスのとあるレコード会社を訪れ、とある曲を録音します。

その曲は「That’s All Right, Mama」で、この録音の瞬間がアイルランド系列の魂と黒人系列の魂がクロスした瞬間です。
ロックンロールの誕生です。

これは瞬く間に全世界を覆いつくしていくわけです。
これは1955年の出来事。

英国に飛び火して、英国でのロックの勃興


この時代の英国は、いわゆるスノッブなロンドンと、朴訥とした地方に分かれており。ロンドンは流行の最前線。ここにいた若者は、ロックの前の根源的なブルースやR&Bに魅せられていました。(クラプトンのいたブルース・ブレイカーズなど)

ジミ・ヘンドリクスが渡英して英国音楽の歴史を変えるのは、あと10年先のこと。↓

リバプールは、流行の中心地から離れていましたので、都市部でちょっと前にはやってた音楽、いわゆるオールディーズのようなものが流行っていました。また港町なので、前述のとおり、多種多様な文化があったわけです。

1955年、ロックの波は、リバプールを襲います。この時、この波にのまれた少年たちがいました。

1人は1940年生まれ。
もう一人は1942年生まれ。

彼らが13歳、15歳という多感な時期に、ロックンロールの波がやってきたわけです。

これは天の采配というか、、前者がジョンレノン、後者がポールマッカートニー

エルビスから、ビートルズまでの歴史は、このnoteでは↓の記事にまとめております。


英国から米国に逆輸入されたロック

そしてビートルズ(英国)がアメリカに音楽を逆輸入、、、これは、(第1次)British Invasionとも呼ばれます。

⬆️噂の番組エド・サリバン・ショーでのビートルズ

ビートルズによってアメリカに逆輸入されたロックンロールは、アメリカのマーケティングに乗りTVを中心に広まっていき、1960年代を通してさらに熟成されます。

60年代は純粋なJAZZ、R&B、ロックンロール、(ブルース、ゴスペル、カントリーも)がアメリカを覆っていて、この混然一体とした中でシーンが形成されていました。

⬆️名手、オーティス・レディング

ここから、ある日、天才的なギタリストが出現することになります。彼が出現するための音楽的な土壌がすでにできていたんですね。。これも天の采配か。。

彼の登場が、英国から世界の音楽シーンを変えていくことになります。

彼の存在が英国からブルーズ主体のアーチストが出現するきっかけになり(レッド・ツェッペリン、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン、ストーンズ)

米国でもオールディーズ(ポップ)に振れていた熱量がロックに移るきっかけとなりました(ドアーズ、ジャニス・ジョップリン)

そしてこの流れから、70年代のハードロック、ヘヴィメタルの原型の登場の流れにもつながっていくわけです。

このギタリストが、ジミ・ヘンドリクスです。

そして話題は1960年代に移ります。


ブラックミュージックについてはこちら

70年代、80年代、90年代の音楽シーンのリンクは⬇︎の末尾にございます。是非ご覧ください。

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