自由には責任が伴うのか。
結論から言う。自由には責任は伴わない。そもそも責任が伴うという時点でそれは自由とは言わない。
責任が伴うのは権限である。例えば、職場で課長は人事という権限を持つが故にその業績に責任を持つ。権限と責任は2つで1セット。この関係が崩れると組織は崩壊へと向かう。権限だけを行使して責任を負わなければ組織は膿む。
では、自由には何が伴うのか。少なくとも責任ではない。あえて言うなら危険である。人はその時その時何かを選択している。その選択肢に制約が無く自由であれば時には無茶なことをすることも有り得る。安全や安心から離れた選択肢を拾うとき危険度が増す。
自己責任という言葉にはいつも違和感を持つ。責任とは自分と対峙する他に向けてのことではないだろうか。社会との関係において社会の中の個人という観点に立って責任が生じる。個人の中で自己完結する責任とは何だろう。ピンと来ない。
自己責任という言葉はかつては耳慣れない言葉だった。一般的になったのは中東の某国で内戦が勃発し外務省が渡航するのは危険と警告したにも関わらず取材のために入国し現地のゲリラの人質となったジャーナリストを救う義務があるのか否かの議論が巻き起こった時だ。危険を承知で本人が納得した上で渡航したのだから自分の身は自分で守るのが当然だ。国が助ける義務は無い。だから自己責任という訳だ。この事例以降何か一つの定例の様に自己責任という言葉が使われた様な気がする。
近くでよく訪れる農協のお店がある。最近の社会情勢のおかげでレジを通った後買ったものはお店のカゴから持ってきた袋や容れ物に自分で収める。そのためのテーブルがお店の外に設けられている。そこにハサミが「使うのは自己責任でお願いします。」と書かれた貼り紙とともに置かれている。ハサミを使った上で怪我をしてもお店は責任を持ちませんとわざわざ断っているのだ。ここでも自己責任とある。不思議な面持ち。違和感がある。何故お店に責任転嫁しないでください、とは書かないのだろう。