かつて妊活をした
GW中は特に大きな予定もなく遠出もせずのんびり過ごす。晩春は気温も上がり春眠暁を覚えずで寝ても寝ても眠い。そんな時は家で過ごすに限る。
そんな休暇の過ごし方は結局好きな映画を観るとほぞを固めるとamazonのprime videoで何か探して観る、というパターンになる。
で、たまたま、「ヒキタさん!ご懐妊ですよ」という映画を観た。
観ていて30代後半の妊活をしていた頃のことを思い出していた。下関造船所に勤めていた頃で当時上さんが言い出して通いだした。北九州は折尾にある結構全国的に有名な産婦人科医院。その頃のいろんな出来事が走馬灯の様に駆け巡った。
下関には5年余りを過ごした。長崎から転勤で下関に来てまた転勤で長崎に帰った。その下関にいる間に通った。今改めてGoogleマップで確認するとその医院は外観も変わらず存在している。当時通ったのはもう20年ほど前のことである。医院に対する評価も完全に2分されている。妊娠し子供を授かった人は5つ星。そうでない人は、、、まあ当然と言えば当然の評価だろう。そこで知り合ったご夫婦とは今も連絡を取り合っている。いろいろ思うところはあるが医院の評価についてはここで触れることはしないでおく。
20年前のことを思い出しながら観た映画の内容から推察する今の不妊治療はさほど当時とは変わっていない印象だった。もちろん医療は一般的に日進月歩しているのだろう。当時印象に残っていることを一言で表現すると不妊治療では結局女性にかかる負担が大きいということだった。仮に男の方に問題があったとしても、だ。同じ子供を授かるに対しこの差はなんだか不公平な気がした。女性には子供を産む喜びがあるのだしそもそも公平とか不公平とかの問題ではないだろう。ただ、その時の側で見ている上さんの辛さ、苦しみは映画を観ていてどうしても思い出してしまい所々で涙が出た。今こうやって書いていてもやはり涙が出てくる。伊東四朗演じる娘を思う父親が「何故お前(娘のこと)がそこまで苦しまなきゃいけない!」といった内容のセリフのシーンでは息ができず苦しくなった。
期待のMAX、そこからどん底へ。そんなことの繰り返し。運命ゲームに弄ばれている。そのことを自覚しながらそのゲームから降りることが出来ない。いつゲームが終わるかも検討がつかない。迷宮に落ちるとはこういうことを言うのだろう。(そんな結論を出すこと自体結局希望は叶わなかったことを意味するのだが。)
それでも現代の不妊治療の技術は子供を渇望する夫婦にとっては頼みの綱だとは思う。中学生の頃読んだ短編小説があった。不妊治療を題材にした内容だった。その治療は今考えると原始的であり残酷であった。男性の方に問題があるという設定だった。健康な若い男性、治療を受ける夫婦とは全く赤の他人の男性の精子と夫の精子を混ぜて治療を受ける女性の膣に注ぐ。そんな方法で懐妊した夫婦が会話する。あなたの子供よ、と。夫の方には実感がない。DNA鑑定など無かった時代。だからこそ存在した治療法である。(もちろん夫と同じ血液型の男性の精子が選ばれた。)その小説を読んだのが中学生の頃。その治療法を実際に行っていたのが慶應義塾大学病院と知ったのはずいぶん後のことだったが。へえ、こんな治療法が実在したんだ、、、
よしんば、不妊治療が存在すること自体が子供の授からない夫婦にとって有難いものなのか。はたまた残酷なものなのか。結果だけで判断出来るものだろうか。
話は違うが、昔結核が不治の病と言われていた頃のこと。結核に冒された若い人を題材にした小説に何度か触れた記憶がある。一節には不治の病といっても栄養を良く採り養生すればなんとか延命出来る可能性はあったそうな。そんな状況ではお金持ちの家庭環境にいる子弟が結核にかかってもある程度生きていられた。そこで文学が生まれる素地が生まれた。そんな説になんとなく納得してしまった。
時代は変わり経済的に余裕がある家庭なら妊活もある程度続けられる。親からの支援があれば治療のグレードを上げて嵩む治療費も払える。30代の頃に経験したことをこの映画もまるで既定路線かの様にトレースしていた。そういう意味においてもよく出来た映画だと思う。
ただ、結果として子供が授かるかどうかよりも夫婦が二人寄り添うことの大切さ、そのことにいつもフォーカスしていたいと映画を観ていて切に思った。今は亡き上さんへのレクイエムとして。