『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』を聴いて
文藝春秋『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』鈴木忠平著
「読んで」ではなく「聴いて」としたのはAudible(Amazon)で聴いたからです。
学生時代就職活動で大学の研究室仲間と共に関東方面にいた。その際横浜でプロ野球ナイターを観戦した記憶がある。確かロッテに在籍していた落合博満選手が2打席連続ホームランを放ち淡々とホームベースを周っていた。ベンチに戻る前に観客席に手を振って声援に答えていた。
直接観た落合博満という人間は後にも先にもこの1回のみだが、もう一つ選手時代のことで印象に残っていることがある。それはリーグ戦も日本シリーズも終わりプロ野球としてはオフシーズンの季節にスポーツ紙に載っていた記事だった。プールを水中歩行する落合選手の写真と共に下半身(のどこか)を怪我して通常の練習やトレーニングが出来ないためプールで泳がずに水中歩行している“オレ流”と見出しの記事だった。
今では街のトレーニングジムや公共施設のスイミングプールで歩行専用のレーンというかエリアがあるのは常識だけどその当時はなかった。プールというのは泳ぐところであり歩く場所ではない。改めてそんな観念があったといよりプールをわざわざ作ったのは泳ぐためというある意味当然の発想からだったと思う。水の中を動く、歩くという発想とその利点に着目し実行した当時は周囲から見れば奇異に感じられたのだろうし、また落合が変なことをやっているとして決まり言葉でありイメージソングならぬ接頭語の“オレ流”と記事になったのだろう。
当時のことを改めて思い出しても落合博満という人物が監督時代より前の選手時代から卓越した知見と行動力、実行力があったことが分かる。当時から時代の先端を走っていた。そのことは今現在ではどこのプールでも歩行レーンが設けられていることからも分かる。
監督として見えること、分かっていることが周囲に理解されない場合(それは水中歩行の例からも相当事例があっただろう)説明も説得もしない出来ないと結局独り孤独に突っ走るしかないのではないか。「嫌われる」状況に陥る天才には逃げようもないそんな落とし穴がある気がしてならない。(凡人の自分には想像するしかない世界だが。)
監督という立場で勝つという至上命題を引き受けて勝負の世界で何に優先順位―priority―を設定するかに最も腐心したと想像する。一番気にかけ考え抜いた事柄に対しおそらく最も批判され中傷されたのではないか。そんな立場に追いやられると沈黙は金とばかりに他人への言葉を失い淡々と目の前のことをこなすのみ。そんな心境になった様な気がしてならない。ここ3年の同調圧力の強い日本社会を見ているとつくづく才能が秀でて卓越した人材が必然的に海外に出ようとするのもうなづける。