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父の思い出

東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ

ひんがしの のにかぎろいのたつみえて かへりみすればつきかたぶきぬ


万葉集にある柿本人麻呂の歌。


ここ最近よく実家に帰り断捨離をしている。

父が亡くなって15年経つ。実家から父の服がわんさか衣装ケースから出てきた。もはや迷わず捨てた。捨てて捨てて捨てまくった。


その父の好きだと言う和歌が冒頭の柿本人麻呂の歌である。父の服、特に大事に着ていた背広を箪笥やら押入れの中の衣装ケースやらから見つけ出す度に大きなゴミ袋に入れた。一念発起して始めた帰省する度の断捨離。朝起きてから寝るまで続く作業に父へのレクイエムを奏でる余裕などなかった。

だからだろうか。実家から帰って通常の生活に戻ると何故だか父の好きなもの、好きだったものが頭の中をよぎる。


冒頭の和歌だけではない。チャイコフスキーのくるみ割り人形。父がドライブ中に好んで聴いていた曲である。曲を思い出すと父が運転する車の助手席で外の景色を見ていた自分を思い出す。そう言えばあの頃の父の年齢を今はとっくに超えているな。


服は体型も違い寸法も違うので父のものを代わりに着るという訳にもいかず迷わず捨てた。写真などはとりあえず全て1箇所に集めている。父のものを捨てた替わりという訳でもないだろうが父のことを思い出すのは遅ればせながらのレクイエムなのだろう。


時代は変わり歳が50歳、60歳と言っても昔の様に仕事は引退間近という訳にはいかない。実際、まだそんな心境にもならない。昭和一桁生まれの父とは比ぶべくもないが人生という長いスパンで物事を見ると父が同年代の時の環境やしていたことと自然に比較してしまう。やはり親と一言で言っても同性の親、つまり父親はライバルなのだ。負けたくない、というより劣っていては父にすまないという想いがある。


青は藍より出でて藍よりも青し。


男二代で出藍の誉と必ずしも上手くいく訳ではないがせめて、少なくとも父を超える意志と気概だけは持ち続けたい。それが父への真の意味でのレクイエムになるだろうから。

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