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人を想う心。

昨日の夕方、ふと思い出した。

5月30日は、私が1回目のA-cureとしてnoteに
いた頃にフォロワーだった、とある人の
誕生日だという事を。

その人自身も大変な思いをしながら
生きて来た経緯を知っていたけど、私が
2度目の自殺未遂による7ヶ月半の入院から
復帰して最初に投稿した記事に、真っ先に
コメントをくれた。

その中には、私がどうしているか気になって
週1ペースで訪問しに来ていたという事が
書かれていた。

※厳密には、退院した2021年8月27日から      31日までは復帰第1号の記事を投稿する前に過去記事の整理や入院中にメモした事を          記事にまとめて投稿する準備していた期間      だったが、整理後に残った入院前最後の          記事に、一足早く私が生きていた事を安心    する旨のコメントも(新記事投稿前に)        送って来ていた(勘が鋭くて超驚いた)。 

記事数がゴッソリ減ったタイミングで偶然      訪問して来たのかなんかして、気付いて        しまったんだろうなぁ・・・ 

散々心配させて申し訳無かった気持ちと、
誰かに気にかけられる程の価値が私に
あるのだろうかという複雑な気持ちが交錯
したが、それらよりも早く抱いたのは、
私に生きていて欲しいと願う誰かが確かに
存在した事実に、自分の中の言語化出来ない
部分が和らぐ且つ温かくなる感覚だった。

その後、個人的な事情で1回目のA-cureを
辞めて以降その人を全く見なくなって
しまったが、今どうしているのかなぁって、
今度は私が気にする側に転じた。

私の記事更新が急に途絶えた時も、こんな      気持ちだったのかな・・・

退会によって、前のアカウントの記録は          消えてしまったけど、あの時に受け取った      温かい記憶は消えない。

私は彼の事を、決して忘れない。

気にかけてくれて、ありがとう。 

たとえnoteでもう2度と見られないとしても
その人が1日1日充実した生活を送って、
幸せに歳を重ねていってくれる事を願う。

異なる地の、同じ空の下で。

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