実家の断捨離をしていて、気がついたこと。 思い出したことなど
今晩は。
今日は、自分で気が付いたことがあり、忘備録として書こうと思う。
今は機能不全家族や、毒親、虐待、DVなどは一般的に認知を得ているが、私が子供の頃や、若い頃は、そんな言葉や、概念などもなかった。
以前違う記事でも書いたが、子供の頃、自分の家は他の家や家族とは、どこかが違うとはなんとなくは子供心には感じてはいたし、思ってもいたが、その違和感を自分の家族以外の第三者や、友達などの自分のまわりの人達に話してはいけないと、私の家族の中では、暗黙のルールがあった。
また、それらを私の親は無言で押し付け、その無言の圧力もそれなりにあった。
当時の世間では、機能不全家族や、毒親、虐待、DVなどの考え方自体がなかった時代だ。
ましてや今程、インターネットもなかった。
機能不全家族や、毒親、虐待、DVなどの情報は、どうやって得たらいいのかは、私は全くわからなかったし、知らなかった。
世間には、子供に手をあげたり、殴ったりしない父親がいるということ知った当時の私は、ものすごいカルチャーショックなども受けた。
もし、児童相談所というところがあると当時の私が知っていたら、恐らく自分はそこに駆け込んでいたと思う。
当時小学生だった私は、母に父と離婚をしてと散々お願いをしても、世間体と、経済的な理由で母は父とは離婚はせず、母方の祖母と一緒に住みたいと言っても、祖母にはだめだと言われ、父方の実家に住むというのは、当時の私にはなく、どうしたらいいのかが全くわからなかった。
大人になり、自分の家族や家の問題は、自分自身が変わればいいのだと思い、自己啓発の分野をかなり勉強をした時期もあった。
自己啓発で、自分自身や、自分の生き方が変われば、自分の家族の問題も解決をするのだと思っていた。
いくら自己啓発や、引き寄せなどを学び、実践し、実行をしても、いくらやっても、私の家族や家に関しては、何も変わらなかった。
そのうち、機能不全家族や、毒親、虐待、DVなどの世間の認知度があがり、一般的に知れ渡り、現在のような認知度になった。
自己啓発をいくら学んでも、実践をしようが、行動をしようが、私の家族や家が変わる訳ではない。
ただ当時の私は、自分の家族や家をなんとかしたかった。
それに必死だった。
私の生き方や、私自身が変われば、自分の家族や家は変わるのか?
いや。 変わらない。
今回実家の断捨離をしていて、ふと思った。
一体自分は何の為に、実家の断捨離をしているのか?
と。
自己満足の為? それともなかなか断捨離をしない、母に代わって?
それとも、家族が自分達の荷物を放棄したままの家族に代わって、私が義務感でやっているからか?
自己啓発を学んでいた頃に、ある事を学んだ。
今年一年のうちに、あれもこれもという細かいどうでもいいことではなく、自分は今年はこの物事や、プロジェクトをやると目標にし、もし、それが2個か3個あったとしても、それをやり遂げたという年は、素晴らしい年になるのではないか?
と。
自分も、肝心な事を忘れていたと思う。
自分の断捨離を、まず始めに最優先にするべきではないか?
と。
一旦ここで、初心に戻る必要があると思った。
何のために、私は断捨離をするのか?
何のために、実家の断捨離をするのか?
母と、母のコレクションのことで言葉のバトルをするのに時間やエネルギーや、労力などを割くのならば、自分の為に時間などを使った方がいいのではないのか?
自分のガラクタや、モノ達の断捨離に自分のリソースを一点に集中をさせるべきではないのか?
今年の春が来ても、母のガーデニング用品や、肥料などは、きっと死蔵品のままであろう。
これだけ面と向かい、母に言い続けて来た。
時にはダイレクトに言ったこともあった。
でも、母はまた新しい鉢植えを買って来た。
母は、鉢植えを買っては枯らし、世話をしきれずに、買っては枯らしということを繰り返し、結局は、空になった鉢植もゴロゴロと、死蔵品となっている。
母は本人が気が付かない限り、このままずっと変わらないだろう。
あとは、自分のガラクタやモノ達を処分をし、実家と関わらないようにするのが、ベストなのかもしれない。
母のコレクションとやらは、今も増え続けている。
母はコレクションを、今はまだそのまま死蔵品のままにしておきたいようだ。
残るは、自分のガラクタとモノ達の断捨離をし、持ち物が不明な家族もガラクタやモノ達も、自分の手がまわれば断捨離をする。
自分のリソースを、一点に集中をさせるしかない。
自分のガラクタやモノ達に、断捨離以外での自分のリソースを割かれたくはない。
淡々と、自分のガラクタとモノ達の断捨離に、自分のリソースを費やす。
もう一度、自分自身に問いかける。
何の為に、自分のガラクタやモノ達の断捨離をするのか?
私は、今後どういう人生を生きたいのか?
私は、どういう生活をしたいのか?
実家とは、今後どのような形で、私は関わるのか?
親とは、今後はどのような形で関わるのか?
その時が来たら、自分はどうするのか?
自分が一体どうしていきたいのか?
だと思う。
カレン本に書いてあったが、ガラクタを処分するのは、必要な時には必要なものが手に入ると人生を信頼をして、いらないものを手放すことだそうだ。
カレン本に書いてあることを、信じてみようかと思う。
この一年だけではなく、ガラクタやモノ達の断捨離や全捨離、片付けなど何年もやり続けるのであれば、情熱や、やる気だけでは続かない。
どんな時でも、どんな状況でも、どんな事があろうとも、ただ、淡々と、コツコツと地道に継続してやっていき、やり抜くしかない。
皆さん、今日一日お疲れさまでした。