ハイボール

自分を守るための教訓7ヶ条 ①出来る限り頼れる公共機関と繋がりを持つ ②安心させるべき人を安心させ感謝する ③ぶれない気持ちを維持する ④無茶をせずに、頼れる人に相談して助けてもらう ⑤不義理を起こした時は素直に謝る ⑥共感できる人を探して、楽しく生きる ⑦1人で全部背負わない

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自分を守るための教訓7ヶ条 ①出来る限り頼れる公共機関と繋がりを持つ ②安心させるべき人を安心させ感謝する ③ぶれない気持ちを維持する ④無茶をせずに、頼れる人に相談して助けてもらう ⑤不義理を起こした時は素直に謝る ⑥共感できる人を探して、楽しく生きる ⑦1人で全部背負わない

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自分の簡単なプロフィール

名前:ハイボール (1990/7/27〜) 34歳の男 福岡県 神社仏閣をこよなく信じています 中学を卒業後、高等専門学校(高専)に入学。休部状態にあったラグビー部の復活に携わる。だが、再試験日に沖縄に家出して高校1年生で留年。 留年後もラグビー部員を集めて最終的には17人ほどメンバーが増えた(今現在もラグビー部は続いている)。 しかし、気力と体力が落ちて、留年した年の9月の17歳で不登校。心療内科を受診し、精神疾患『統合失調症』を患う。 高専は退学し通信制高校へ編入。

    • 無難な入院生活

      無難な入院生活が2ヶ月を迎えようとしている。ここは開放病棟だが、外出や外泊は制限されている。自分としては双極性障害の躁状態は落ち着いた。 躁の後にやってくる鬱も抑えられている。 躁状態の時に、LINEメッセージで家族や親戚、友達に『自分は神様で大日如来となってあの世で皆様をお守りする』と送ったが、人間はいつか死ぬ時が来るのだと悟り、恥ずかしいメッセージを送ったとは思わないようにした。 送られた側は大変ご迷惑をお掛けしました。今後は無茶なことはしません。 話は少し逸れたが

      • なぜ心理学を学ぼうと思ったのか

        自分はなぜ心理学を学ぼうと思ったのか。それは以前働いていた事業所の上司からの一言でハッと気づいたからだ。『あなたは国家資格の心理学を学んだ方が良い』と。 その言葉一つで人生が好転していっているような気もしている。生きる目標として国家資格の『公認心理士』を目指すのは、自分の冒険心に火がついた。 着火剤となったのは上司で、この火を灯し続けるのは自分自身。 国家資格を取得しても、医療機関で貢献できるようになるには最低でも10年かかるらしい。 あくまでも、自分の目標は国家資格を取

        • 神様と仏様を信じて公認心理士の勉強をする

          神様と仏様は目に見えないだけで、今世を生きる人々に何かしらのメッセージを送っている。 昨日のエッセイで不思議な体験をしたことを書いた。あれは神様仏様の粋な計いだった。大丈夫、1人じゃないと応援してくれたメッセージだった。 自分は国家資格の『公認心理士』を目指している。 公認心理士を目指そうと思ったのは、以前勤めていた上司からの一言である。 「あなたは国家試験レベルの体験をしているから、是非とも公認心理士の資格を取ってほしい」と言っていた。 国家資格の話が出るとは思わなか

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          腑に落ちるとトイレの水が勝手に流れる不思議な話

          タイトル名の通り、不思議な話が本当にあるのだと受け取っていただいても構わないし、そんな馬鹿な話がある訳ないと受け取っても構わない。 ただ一つ言える事は、自分が実際に体験したことを、打ち込んで残しておきたい、ということだ。 それでは、本題に進もう。 自分は精神科の隔離室に入った時に不思議な体験をした。 『あれ?この光景、どこかで見たことがあるぞ』なぜか分からないが、隔離室内で強烈なデジャブが起きた。 隔離室にはトイレがあるのみで、部屋からは1歩も出ることができない。ス

          腑に落ちるとトイレの水が勝手に流れる不思議な話

          大人の社会にも『いじめ』はある

          【教訓】 ①困った時は第三者に救いを求めよ ②できうる限り多くのものに事実を伝えよ ③公的機関、相談支援センター、ハラスメント防止委員会に相談をせよ ④あなたが全てを1人で背負い込む必要はない ⑤あなたはスケープゴート(罪を背負う人)にならなくていい 自分は勤めていた会社で陰湿な『ハラスメント』を受けて、2024年3月末日を持って、やむを得ずに仕事を離職した。 『ハラスメント』と言えば聞こえは良いが、要するに、これは『いじめ』だ。大人になっても『いじめ』はある。 自分は

          大人の社会にも『いじめ』はある

          【完】出雲へ行く、の巻『公認心理士』

          簡潔に、『出雲へ行く、の巻』を完結しよう。 出雲大社へ到着して手を合わせた。自分の住所と名前を言っただけで、後はお願い事をしなかった。というよりも、長時間の運転の最中に『子どもたちの精神が強くなるように』と願いながら向かっていた。 自分の想いは伝わったと思っている。 しかし、肝心のスサノオノミコトが祀られている素鵞社(そがのやしろ)へは、立入禁止となり参拝は出来なかった…。着いたのが17時ごろで、素鵞社(そがのやしろ)へは16時30分までしかお参りが出来なかった。 それ

          【完】出雲へ行く、の巻『公認心理士』

          出雲へ行く、の巻④『幸運のタイヤ交換』

          2024年10月3日 出雲大社を目指して、広島県三次市の高速に乗った。 雨が降りしきる中、速度制限を守りN-BOX(車)を走らせた。 10月2日の話にはなるが、この車は新車で購入してから1度もタイヤ交換をしていなかった。 でも、幸いにも10月2日に立ち寄った福岡県苅田町のガソリンスタンドで、タイヤ交換をすることになったのである。 店員(イケメン)『タイヤの溝がほぼ無くなっていて、スリップサインが出ているんです。今日みたいに雨が降っている時はブレーキを踏んでも、制動距

          出雲へ行く、の巻④『幸運のタイヤ交換』

          出雲へ行く、の巻③『ヤマタノオロチ現る』

          現実離れした話だが、自分の身に実際に起きた双極性障害特有の『誇大妄想』に対して、 整理する意味で文章を打ち込みたい。 前回の話として、佐賀県の吉野ヶ里から島根県の出雲へ向かう道中に自分が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)ではないかという考えに至った。 吉野ヶ里から出雲大社へ向かう400kmの間に様々な葛藤が出てきた。 ヤマタノオロチが気持ちをブレさせ、あの世に逝くように仕向けてきたのである。 『なんしよんの?!』 『何がやりたかったの?!』 ヤマタノオロチが自分を責め立てる。

          出雲へ行く、の巻③『ヤマタノオロチ現る』

          出雲へ行く、の巻②『現実を取り戻す』

          今回も現実離れした、おかしな話だとして読んでもらいたい。 2024年10月3日の午前7時35分。 佐賀県の吉野ヶ里遺跡付近で、自分は島根県の出雲大社に行くことに決めた。 なぜなのか? 前日の10月2日23時24分に自分は『光』だと思えたからだ。 光? 『光』は希望、幸運、道が開けた時の明かりだ。 それまでの自分は光を見ないようにフィルターを張っていた。 『要するに、人生を諦めた”弱虫”だったんだ。』 でも、ようやく現実を取り戻して見えたあの『光』を出雲大社に行

          出雲へ行く、の巻②『現実を取り戻す』

          出雲へ行く、の巻①『前世について』

          スピリチュアルな話をしたい。 現実離れした話だと面白おかしく読んで欲しい。 自分の前世は、弥生時代に佐賀県の吉野ヶ里遺跡に住んでいた人の中の1人だと思っている。その理由をさらっとまとめて述べたい。 先月の話になるが、長崎の原爆跡地で無惨にも亡くなられた方達を鎮魂(立証できないので何名かは不明)させた。 原爆跡地から色々有って、実家に帰っていたが、佐賀県の吉野ヶ里遺跡付近で出雲大社へ行って神様をお返ししないといけないと思った。 ※おそらく、吉野ヶ里遺跡の中にいた人物はス

          出雲へ行く、の巻①『前世について』

          黄泉の国に片足を入れた話

          自分は今現在34歳で死者が行く『黄泉の国』に片足を入れた経験がある。 固定記事の中にも黄泉の国の内容はサラッと書いたが、今回は更に深掘りしていこう。 死者が行く黄泉の国?本当にあるの? そんなものは存在しないと思っている人が大多数をしめていると思うが、信じる人には分かっていただけると思う。 自分は2024年10月2日の夜に長崎県の原爆跡地へ向かった。そこで、原爆によって無惨にも亡くなられた方達にお祈りを捧げて『定期的に訪れることを″約束″』した。 黄泉の国に入りそう

          黄泉の国に片足を入れた話

          【完】沖縄の家出話は完結して、未来の話を始める

          今回で高校1年生で沖縄に家出した話は一旦完結する。 18年前に沖縄から帰ってきて、今もなお生きている人間(自分)がいることは奇跡でもある。 過去は過去、前向きにプラス思考で生きようではないか。 自分は今34歳で病院に入院している。 入院してから約1ヶ月となった。早く家に帰ってビールが飲みたいという思いが沸々と湧き出ている。 入院先は精神科なのだが、患者は9割以上高齢者である。 精神科病棟は認知症の高齢者で溢れかえっている。認知症が治る可能性はなく、このまま進行し続けて、病

          【完】沖縄の家出話は完結して、未来の話を始める

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?⑧『公認心理士』

          今回は沖縄に家出した話と少し逸れる。そして、国家資格の公認心理師を取る選択肢が増えた(※あくまでも選択肢の一つ)。 昨日、お世話になった元同僚の相談支援センターの方が入院先に来られて面会した。 自分が高校1年生の時に沖縄へ家出した話からオーバードーズして島根県で生死を彷徨って生き返った話を伝えた。 最初は心配していた同僚も、話が壮大すぎて笑いも交えながら、前向きな考えで生きていこうという話になった。 心理師を目指す人の中には、オーバードーズをしたり鬱の人もいたり、身内が

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?⑧『公認心理士』

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?⑦『ANAに搭乗して那覇空港へ』

          この記事は入院先から発信している。先月の話であるが、34歳で隔離室に入っていた時は部屋から1歩も出れずに、顔も洗えなかった。 隔離室には合計で4日間いた。 (隔離室では、自分の命を病院側が守ってくれていたから入っていたんだけどね) 沖縄に家出した話と隔離室に入った話とどう繋がっていくかは今後の長い連載で判明していくことだろう。これは自分の頭の中を整理するだけの自己満足の精神で発信している。 沖縄に家出したときは3月の中旬だった。家に置き手紙を書き、ガラケー(携帯電話)を

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?⑦『ANAに搭乗して那覇空港へ』

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?⑥『親のエゴ』

          2005年の中学3年から高校1年に上がる年に親が子離れしてくれていたら、壮絶な人生を送ることはなかったように思う。 ※今現在は両親の有難味を噛み締めて、苦難困難災難があったことを有難く思えている。 当時を振り返り、至らぬ点があった事実を丸裸になるつもりで書き残しておきたい。 中学3年生の頃に兄が2人とも家を出て、残った子どもは自分1人だけになった。 親は自分が家を出たら、寂しいからという理由で子離れできなかったんだと自分の中では思っている。 片道2時間かけて高専へ通学す

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?⑥『親のエゴ』