ハイボール

自分を守るための教訓7ヶ条 ①出来る限り頼れる公共機関と繋がりを持つ ②安心させるべき…

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自分を守るための教訓7ヶ条 ①出来る限り頼れる公共機関と繋がりを持つ ②安心させるべき人を安心させ感謝する ③ぶれない気持ちを維持する ④無茶をせずに、頼れる人に相談して助けてもらう ⑤不義理を起こした時は素直に謝る ⑥共感できる人を探して、楽しく生きる ⑦1人で全部背負わない

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自分の簡単なプロフィール

名前:ハイボール (1990/7/27〜) 34歳の男 福岡県 神社仏閣をこよなく信じています 中学を卒業後、高等専門学校(高専)に入学。休部状態にあったラグビー部の復活に携わる。だが、再試験日に沖縄に家出して高校1年生で留年。 留年後もラグビー部員を集めて最終的には17人ほどメンバーが増えた(今現在もラグビー部は続いている)。 しかし、気力と体力が落ちて、その年の9月の17歳で不登校。心療内科を受診し、精神疾患『統合失調症』を患う。 高専は退学し通信制高校へ編入。福岡

    • 出雲へ行く、の巻③

      現実離れした話だが、自分の身に実際に起きた双極性障害特有の『誇大妄想』に対して整理する意味で文章を打ち込みたい。 前回の話として、佐賀県の吉野ヶ里から島根県の出雲へ向かう道中に自分が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)ではないかという考えに至った。 吉野ヶ里から出雲大社へ向かう400kmの間に様々な葛藤が出てきた。 ヤマタノオロチが気持ちをブレさせ、あの世に逝くように仕向けてきた。 『なんしよんの?!』 『何がやりたかったの?!』 自分は、もう車を乗り捨てて、森の中に行って静か

      • 出雲へ行く、の巻②

        今回も現実離れした、おかしな話だとして読んでもらいたい。 2024年10月3日の午前7時35分。 佐賀県の吉野ヶ里遺跡付近で、自分は島根県の出雲大社に行くことに決めた。 なぜなのか? 前日の10月2日23時24分に自分は『光』だと思えたからだ。 光? 『光』は希望、幸運、道が開けた時の明かりだ。 それまでの自分は光を見ないようにフィルターを張っていた。 『要するに、人生を諦めた”弱虫”だったんだ。』 でも、ようやく現実を取り戻して見えたあの『光』を出雲大社に行

        • 出雲へ行く、の巻

          スピリチュアルな話をしたい。 現実離れした話だと面白おかしく読んで欲しい。 自分の前世は、弥生時代に佐賀県の吉野ヶ里遺跡に住んでいた人の中の1人だと思っている。その理由をさらっとまとめて述べたい。 先月の話になるが、長崎の原爆跡地で無惨にも亡くなられた方達を鎮魂(立証できないので何名かは不明)させた。 原爆跡地から色々有って、実家に帰っていたが、佐賀県の吉野ヶ里遺跡付近で出雲大社へ行って神様をお返ししないといけないと思った。 ※おそらく、吉野ヶ里遺跡の中にいた人物はス

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        自分の簡単なプロフィール

          黄泉の国に片足を入れた話

          自分は今現在34歳で死者が行く『黄泉の国』に片足を入れた経験がある。 固定記事の中にも黄泉の国の内容はサラッと書いたが、今回は更に深掘りしていこう。 死者が行く黄泉の国?本当にあるの? そんなものは存在しないと思っている人が大多数をしめていると思うが、信じる人には分かっていただけると思う。 自分は2024年10月2日の夜に長崎県の原爆跡地へ向かった。そこで、原爆によって無惨にも亡くなられた方達にお祈りを捧げて『定期的に訪れることを″約束″』した。 黄泉の国に入りそう

          黄泉の国に片足を入れた話

          【完】沖縄の家出話は完結して、未来の話を始める

          今回で高校1年生で沖縄に家出した話は一旦完結する。 18年前に沖縄から帰ってきて、今もなお生きている人間(自分)がいることは奇跡でもある。 過去は過去、前向きにプラス思考で生きようではないか。 自分は今34歳で病院に入院している。 入院してから約1ヶ月となった。早く家に帰ってビールが飲みたいという思いが沸々と湧き出ている。 入院先は精神科なのだが、患者は9割以上高齢者である。 精神科病棟は認知症の高齢者で溢れかえっている。認知症が治る可能性はなく、このまま進行し続けて、病

          【完】沖縄の家出話は完結して、未来の話を始める

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?⑧

          今回は沖縄に家出した話と少し逸れる。そして、国家資格の公認心理師を取る選択肢が増えた(※あくまでも選択肢の一つ)。 昨日、お世話になった元同僚の相談支援センターの方が入院先に来られて面会した。 自分が高校1年生の時に沖縄へ家出した話からオーバードーズして島根県で生死を彷徨って生き返った話を伝えた。 最初は心配していた同僚も、話が壮大すぎて笑いも交えながら、前向きな考えで生きていこうという話になった。 心理師を目指す人の中には、オーバードーズをしたり鬱の人もいたり、身内が

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?⑧

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?⑦

          この記事は入院先から発信している。先月の話であるが、34歳で隔離室に入っていた時は部屋から1歩も出れずに、顔も洗えなかった。 隔離室には合計で4日間いた。 (隔離室では、自分の命を病院側が守ってくれていたから入っていたんだけどね) 沖縄に家出した話と隔離室に入った話とどう繋がっていくかは今後の長い連載で判明していくことだろう。これは自分の頭の中を整理するだけの自己満足の精神で発信している。 沖縄に家出したときは3月の中旬だった。家に置き手紙を書き、ガラケー(携帯電話)を

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?⑦

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?⑥

          2005年の中学3年から高校1年に上がる年に親が子離れしてくれていたら、壮絶な人生を送ることはなかったように思う。 ※今現在は両親の有難味を噛み締めて、苦難困難災難があったことを有難く思えている。 当時を振り返り、至らぬ点があった事実を丸裸になるつもりで書き残しておきたい。 中学3年生の頃に兄が2人とも家を出て、残った子どもは自分1人だけになった。 親は自分が家を出たら、寂しいからという理由で子離れできなかったんだと自分の中では思っている。 片道2時間かけて高専へ通学す

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?⑥

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?⑤

          今現在の自分の年齢は34歳で、今から約18年前の16歳の時に地元の福岡県から沖縄に家出した。 今日は中学生時代に自分が″何″を考えていたのか、頭の中を整理する意味でも、書き残しておこうと思う。 尾崎豊の曲で『15の夜』という作品がある。自分はこの曲が気に入っていて『自由を求め続けた15の夜』という歌詞がズシリと心に刺さっている。 『義務教育で学校に背けば逃げ場所が無くなってしまう。』という、若者の不自由性についてのメッセージが込められていて、感受性が豊かな人であれば心に

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?⑤

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?④

          自分は双極性障害のⅠ型(ハイテンションになったり鬱になったりを繰り返す病気)を患っている。高校1年生で沖縄に家出したのは、その病気の影響もあるかもしれない(当時は精神疾患を患っていなかったが、先天性なものもあるかも…🤔)。 今現在は躁状態が落ち着いて、海でいう凪(なぎ)のような状態にいる。 面白いことを言えないし、この文章を打ち込んでいるのも、何か情熱を失くしたかのように打ち込んでいる。 前回の話では自分の生育環境について述べた。 教師が親だと変な子供が育つという内容

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?④

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?③

          自分は今現在34歳で、高校1年生の時に地元の福岡県から沖縄へ家出した。 学生生活や”家庭環境”で悩んでいる人に向けて発信しているが、自分の頭の中を整理するために書いている部分が大きい。 沖縄に家出して、高校で留年して不登校になり、引きこもったり、17歳にして精神疾患を患ったりして、ボロボロになっても今こうして文章を打ち込めている。 そんな人間もいるのだと、悩める学生は勇気を持って欲しい。 今日は家(うち)の”家庭環境”について1,000文字ぐらいで打ち込んでいこうと思

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?③

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?②

          自分は今現在34歳で高校1年生の16歳の時に地元の福岡県から沖縄に家出した。 思春期の頃の爆発的なエネルギーを持って、なぜ、沖縄に家出したのか書き残しておきたい。 長い話となるので、1,000文字ぐらいにまとめて連載という形で書き残す予定でいる。 前回の話であるが、中学時代の自分には、誰にも相談できない、″悩み″を持っていた。 その”悩み”は、学校の授業内で行われる”音読”だ。 ″あれ″は中学1年生の頃だった。いつものように1人ずつ席を立って音読を行う。 自分の番

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?②

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?①

          自分は今現在34歳で、高校1年生の再試験の時に地元の福岡県から沖縄に家出した。 再試験を受けなければ、留年は確定する。 そして、無事に帰ってきて、長い年月を耐え忍び、今こうやって文章を打ち込んでいる。 自分がどのような経緯を経て、爆発的なエネルギーを持って沖縄に家出したのか、経緯を書き残したい。 話せば長くなるので、1,000文字ぐらいで短かめに何編かに分けて発信をしていこうと思う。 この経験を文章に残し、誰かが読んで気づきがあれば嬉しい、というよりも、自分の頭の中

          何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?①

          俺、高校1年生の時に沖縄に家出したんだよね

          『俺、高校1年生の時に福岡県から沖縄に家出したんだよね。しかも3月の再試験の日に家出したから留年は確定してしまった。 今現在、俺は34歳で何とか生きてる。いろいろあったよ。沖縄から自力で帰ってきて、留年しても学校に行って、不登校になって、17歳で精神疾患を患って、34歳で島根県の出雲大社に行った後にオーバードーズをしてしまった。 でも、ドクターヘリが飛んで出雲大社がある出雲市内の病院で命が助かったんだ。集中治療室(ICU)で意識を戻して、幸いにも後遺症も残っていない。そし

          俺、高校1年生の時に沖縄に家出したんだよね