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何で高校1年生の時に沖縄に家出したのか?⑦『ANAに搭乗して那覇空港へ』

この記事は入院先から発信している。先月の話であるが、34歳で隔離室に入っていた時は部屋から1歩も出れずに、顔も洗えなかった。
隔離室には合計で4日間いた。

(隔離室では、自分の命を病院側が守ってくれていたから入っていたんだけどね)

沖縄に家出した話と隔離室に入った話とどう繋がっていくかは今後の長い連載で判明していくことだろう。これは自分の頭の中を整理するだけの自己満足の精神で発信している。


沖縄に家出したときは3月の中旬だった。家に置き手紙を書き、ガラケー(携帯電話)を置いて飛び出した。

”家を出ます、それでは”

天気は晴れで日差しが心地よかった。日豊本線から西小倉駅で鹿児島本線に乗り換え、博多駅へ向かった。そして、地下鉄空港線に乗り換えて福岡空港に着いたのだ。

この時に、なぜか高専の制服を着ていた。何でなんだろうか。
故郷は捨て、沖縄で新しい生活を始めようとしている人間が、学校の制服を着て空港にいる。
もしかして、まだ家に対して未練があったのであろうか…?


福岡空港では挙動不審ながらも何とか那覇空港行きのチケットを買えた。正規の値段で購入したので25,000円かかった。
5万円持っていったから、その時点で半分のお金が消えたのだ。

今冷静に考えると、あの切符は地獄か天国かの片道切符だった(話は34歳での精神科の隔離室へと繋がっていくわけだ)。

全日空のANAに搭乗し、飛行機が離陸した。しばらくすると機長のアナウンスが入り、機体は桜島上空を飛行中であるとのお知らせだった。高度8,000mから見下ろす桜島は威風堂々として黒煙がモクモクと立ち込めていた。

これから沖縄で始まる新生活を応援してくれているように思った。

話はどんどん、どんどん繋がっていく。
この世に境界線などない。
全部が繋がり、今の自分がいる。

今の自分はありとあらゆるものが繋がっていると分かった。
これを言葉にして伝えようとしても無理がある。

文章に書き残して自分の頭の中を整理して、うまく伝えられるように練習をしたい。
エッセイや体験記を書き残すのは頭の体操にもなって良い。

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