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#吉川晃司
梅雨 雨の雰囲気にどっぷり包まれて聴きたい 邦楽ROCK
こんにちは、Hideです☔️
私の住んでいるみちのく杜の都も遅ればせながら梅雨入りしました。
東北南部で平年より11日、北部で8日遅いそうです。
今回は、雨模様の日にどっぷり浸って聴きたい邦楽ROCKを紹介したいと思います。
雨が降ると、悲しい気分がより増しますし、辛い気持ちの時には心に追い打ちをかけられますよね。
そんな激しくも辛さ感満載の曲をお届けします。
雨に泣いている Weep
70年代後半から80年代前半の日本ミュージックシーンヒストリー 後編
こんにちは、Hideです♪
前編に引き続き70年代後半〜80年代前半の日本音楽シーンのヒストリーをお送りします。
バブル期直前の1983年あたりから日本の音楽も随分と明るくポップなメロディーと弾むようなリズムと煌びやかなサウンドになってきます。
いつの時代も世相を反映するのが音楽という文化なのですよ🎵
では後編を〜どうぞお楽しみ下さい。
アイドルエンターテイメントの変革期 アイドルも進
1983年〜84年 日本ロック界に新風が巻き起こる🎵
こんにちは、Hideです♪( ´θ`)ノ
1983年(昭和58年)は、私が高校を卒業して車の免許も取得して就職した年です。
世の中の動きでは、83年4月に千葉に東京ディズニーランドがオープンしました。
バブル期の前でしたが、もうその頃から好景気であったことは間違いありません。
高校から就職するにしても、2〜3社から内定をもらい求職者が入社する選択する余地があったくらいですから。
非正規雇
Rock’nRollには日本語の詩が乗りにくいと言われた時代
こんにちは、Hideです( ^ω^ )
私が生まれた当時から、日本語はロックンロールのリズムには乗りにくいと音楽界では言われ続けていました。
「ロックンロールは、英語で歌うもの」
等々…それぞれの考え方がありました。
いわゆるロックンロール日本語論争で、様々な意見が飛びかったようです。
ビートルズが世界的に人気が出て、ロックミュージックがポピュラーになってきて、その論争も白熱化していった